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褒める、褒めない


褒め言葉をシャワーのように浴びせかければ人は変わる。
褒めて褒めて褒めちぎれ。
どんな人にも最低ひとつくらい良いところがある。それを見つけ出して褒めよ。

そんな言葉が教育界には溢れている気がする。

確かに、全く自信喪失状態になった子には有効かもしれない。ちょうど、病気の治療に薬が必要なように。でも、薬は病気の時にだけ有効なのであって、常用してはいけない。薬と麻薬とは境界線が曖昧だから危険なもの。まだ、多用することで効能は限りなくゼロに近づく。

「それだけ病んでいる子が多いのだよ」
そう言われてしまえば、もう言い返す言葉はない。実際、病んでいる子は多いのかもしれないが。

「齊藤塾の塾長は塾生を褒めない人なのですね。変なポリシーで指導しているんですね」

そう誤解されては困る。誤解されないように慎重に話を進める必要がある。つまり、こうだ。人を変えたいというある「意図」を持って褒めることはやめよう、と言いたいのだ。下心のある褒め方はダメだ、というと強すぎるかな。

無能でよい

「多能」でなくてよい
「君子、多能恥づ」  『論語』より               

どんなに天賦の才能の少ない人でも、今持っているその才能を最大限に伸ばすには一生かかっても時間が足りないのかもしれない。

大人は「何でも出来る子」を評価したがりますが、「多能」な人でも今できる全てを生かすには人生が100回あっても足りないでしょう。

君にも「自分はこれで社会貢献するのだ」と一つの事に絞り込み、他の全てを捨て去る勇気が求められる時がいずれ来るのです。

その決断の時の「腹のすわった」姿に私はしびれます。

君が天から授かったその一つの事を探すために今日の勉強があるのです。

まずはガムシャラ


千野栄一著『外国語上達法』からいつくか抜粋しておきます。

「私は語学が苦手である」・・・・冒頭部分です。執筆当時、千野先生は東京外国語大学教授でした。

「『いや、もうだめですね。覚えるそばから忘れていきますよ。・・』」・・・千野先生の恩師の方の言葉。この先生は70歳を過ぎてからも、毎年一つは新しい外国語をものにしておられる、とか。

「上達に必要なのは『お金と時間』」・・・ドイツ人の大学院生をうならせ、ポーランド人の先生が感嘆するほどのポーランド語を操ったS先生の言葉。

「1日に6時間ずつ4日やるより、1日に2時間ずつ12日やって方が効果的である」・・・その前にまずはガムシャラにやる時期が必要とも書いています。安定期に入ったら細切れがよいのですね。

仕事と社会


仕事とは「すでに出来上がっている社会システム」の小さな歯車の一つとなって、責任を果たすことを言う。そのためには期待されていることがこなせなければならない。期待されていることはできないが、これなら得意だなどと繰り返す人が社会システムの担い手として責任ある仕事ができるとは到底思えない。そう、仕事には責任が伴うのだ。個性と責任という二つの言葉、この二つの距離は遠いように見える。

「私はこんな人です」などといくらアピールしても、あくまでそれは参考程度だ。大切なのは君にはどんな仕事ができるかだ。そのことの大半は「君にしかできないこと」ではなく「他の人でもできること」なんだ。他の人でもできることのクオリティーを上げて、他の誰かではなく君自身がその仕事を勝ち取るしか君が生きる道はない。

誰にでもできることのクオリティーを上げること。仕事の速さと正確さを上げること。これって受験勉強と同じではないか。受験勉強で期待されることと仕事で期待されることとはかなりの部分でダブるのだ。受験勉強なんて将来役に立たないという人がいるが、それは間違いだ。

「仕事がないなら、君自身が仕事を作り出せば良いではないか」などと言う人もいる。IT関係を中心に、過去にはなかった仕事を作り出して活躍している人達は沢山いる。ベンチャーの時代だと言われている。NPOに飛び込む人も多いと聞く。彼等の豊かな発想力で新しい仕事を生み出すその勢いには敬服する。数少ない成功者だからこそその勇気とエネルギーを称えたい。

だが、大半の人は今現在ある仕事、今現在ある会社を選択することになる。その時に君に期待されているのは君の個性ではない。一定以上の仕事のクオリティーだ。正確さや速さだ。

「個性の時代」に自分探しをしてきた人達の多くが、今働きながら資格取得を目指している。どうやら、自分が誰かわかる前にまず生活をしなければならなくなったようだ。彼等を笑っているのではない。塾業界の人の大半が紆余曲折の末今の仕事のたどりついている。私は大学3年時にはほぼ決めていたので早い方だろう。人生、そんなにうまくはゆかない。彼等を笑っているのではない。むしろ、気づいてやり直そうとしているその勇気を称えたい。応援したい。もっと言えば、彼等の頑張りからエネルギーをもらっている。

出来上がった社会システムに受け入れていただくために今の勉強はある。自分はこんな人です、とアピールする前に社会システムの小さな歯車になること。誰にでもできる仕事をそのクオリティーにおいて他者を凌駕し君が仕事を勝ち取ること。そうやってこれから君は生きてゆく。好むと好まざるとにかかわらず。

「苦しい」と「つまらない」の中間

何かができるようになって自信がつくまでには、少し時間がかかります。どのようなプロセスでできるようになり、楽しさの体感に至るかについては「自ら体験しなければ分からない」性質のものです。いくら、他人に「説明」されても、体では分かりません。塾とは、その「体でわかる」ということを経験するために存在していると考えます。そう、齊藤塾に集う生徒達はその体験をするために集まって来ているのです。

自宅にいては得られない体験。ひとりでは決してできない体験。

勉強とは「苦しい」と「つまらない」の中間あたりの体験を続けるものです。ひとりで実行するのはなかなか難しい。だから、個別演習型学習塾は必要とされているのです。指導者の導きに従って、決してひとりでは手に入れられないものを得るために集う場です。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

齊藤塾合格実績・・・前高、前女、高高、高女、高専、渋高、渋女、高経附、佐久長聖中、中央中等、樹徳中、埼玉大、新潟大、群馬大、静岡大、高等工科他

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