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東京時代

東京にいた頃の夢をときどき見ます。

ふと気がつくと、東京時代の職場に戻って机に向かっている。
同じ課の同僚たちは一つの目標に向かって、今日の仕事を黙々とこなしている。
すると、課長が「ああ齊藤君、こないだ頼んだ仕事はどうなってるかな」と聞いてくる。

え? こ、こないだの仕事って?
全然分からない。だって、私はこの職場をしばらく離れていたんだから。
どうしよう。どうしよう。

そんな夢。

恐い夢って不思議です。
絶体絶命になると、目が覚めるか、場面が変わる。

気がつくと東京時代に引き戻されている夢。
恐い夢。

東京時代以降の私の経験は全て夢で、東京時代までが現実だった。
そんな感覚にふと襲われることがある。

東京には、たった4年しかいなかったのに。

退職金

私が大学受験準備のためにサラリーマンを辞めたのが8月15日。

つまり、この時期、私はまだ会社員だったんですね。
受験生達が夏期講習でみっちり勉強しているこの時期に、私はまだフルタイムで仕事してたんです。

受験生は、夏期講習の充実度が秋以降の伸びに直結するというのに。

何を考えていたんでしょうねえ。
22歳の私は。

実は、8月までは仕事を辞めたくない事情があったんですね。

退職金。

21万円。

これがどうしても欲しかった。

7月に辞めたらゼロ。
8月なら21万円。

迷うところです。

1か月の勉強の遅れは受験生にとっては致命的。
そのくらいのことは分かっていたつもりです。

でも、迷った。

だって、何も頼るものがなかったんですよ。

こんな受験生は、他にあまり例がないと思います。



最近、貧困を理由に進学を諦める人も多いと聞きます。

私のように、稀有な体験をした人もいるのです。

夏期講習って大切ですよ!
という結論で良いでしょう。

さて、齊藤塾の夏期講習も「最後の詰め」に入りました。

思い出の先生

高校時代のO先生の授業は忘れられない。

質問大歓迎というから、確認のために質問してみた。

「齊藤君なあ。そういうことは辞書にみんな載っているよ。辞書を引いてみな」

これがO先生の答え。

次からは、まずは辞書で調べてみて、載っていないことしか質問できなくなる。

まずは自分で調べる。調べても分からないことを先生に聞く。

そんな習慣が自然と身についた。

たまに、

「それは良い質問だね。多分、他のみんなもそのことには気づいていないだろうから、説明しような」

などと、言ってくれる。最高の褒め言葉。

私が質問したことで、授業が深まり、教室全体で新たな知識の共有ができる。

いい加減な気持ちでは参加できない授業。
でもワクワクする授業。

一生忘れられない授業。





「勤労感謝の日」をエネルギーに

23日は「勤労感謝の日」でしたね。

いつも同じ話で恐縮です。

大学受験時、9月から浪人した私は成績が思うように上がらないまま11月後半を迎えていました。忘れもしない11月23日は模試の日。何故、忘れないのか。実はこの日の模試の結果だけが唯一希望をつなげられる結果だったのです。結果が返却されたのは12月中旬。この1回だけの「希望」を握りしめて、1月からの受験に臨んだのでした。

この時期の受験生は焦りますよね。

思い通りに成績が伸びない、一番苦しい時期です。
この焦る気持ちの中でも「今日も着実な一歩」を心掛けて欲しいのです。焦ったり絶望したりしても布団をかぶって寝たりしない。どんなに気持ちがイライラしても、心をクリアーにして問題集を1問1問解き進める。追い詰められた時にこそ、この「着実な一歩」を進められる強い人になって欲しいのです。このようなチャンスはなかなかありません。苦しい時こそ、小さな一歩を進める。小さいけれども着実に前に進んだ自分を褒めてあげる。そんな受験生であって欲しいと思います。4月にはとても強い高校生になっているはずです。

記事をパクられた

このブログの記事のことではありません。
昔の話。

(私のブログの文章はどんどんパクって頂いて結構です。そんな人、いないか。)

渋川高校1年の時、私は新聞委員会に所属していました。部活ではないのに部室まであるという、ちょっと変わった組織でした。まあ、新聞一つ作るのって部活のようなノリが求められますよね。今でも高崎高校なんて素晴らしい新聞を作っていますよね。あれなら自慢できます。

さて、ちょっとした陰謀で(陰謀の詳細は省きます。長くなるので。)新聞委員となった私は、何と単独行動に出たのです。先輩達は秋に年1回だけ発行される新聞の記事内容やら、割り付けやらに関心があったようです。私はというと、今渋高生が一番興味ありそうなホットの情報を提供できないか。そんなことばかり考えていました。

秋に発行される新聞に、夏の部活の大会の結果などを載せても無意味だ。誰でも知っている賞味期限切れの記事は無駄だと感じて。

その単独行動とは何か。

一人で取材し、一人で記事を書き、一人で印刷し、一人で配布までやってしまう。

全て自分一人でやる。勿論、原紙や印刷機などの備品は学校のものです。

気が向いたら、家に原紙用紙を持ち帰り思うがままに書く。そして、一人で勝手に発行する。

さて、私のこだわったホットな話題とは何だったか。
勿論、野球部の練習試合の模様等も記事にしましたが、一番こだわったのは文化祭関係の記事。
高1時代の私は今以上に真面目だったので、秋の渋高文化祭に向けて新聞委員会として情報提供しようと張り切っていたのです。具体的には、春から五月雨式に実施される各高校の文化祭をできるだけ取材し、翌日には新聞として発行する。時間の許す限りそれをやったのです。

当時の高校の文化祭は大きな問題を抱えていました。

発表を主体にするか、お祭りを主体にするか。

今では大学は勿論、高校の文化祭もお祭り的色彩が強いかと思うのです。
当時はそのあたりを真面目に議論していたのですね。(まあ、一部の生徒だけでしたが。)
議論のたたき台になるような情報提供が何とかできないものかと一人で模索していたのです。
何とも変わった生徒。真面目過ぎるというか。

(なかなかパクリの話に行かなくてすみません。)

そんなことで、春のある日曜日。県西部のT高校へと一人で「取材」に出かけたのです。
ところが、その高校の対応があまりにもひどかった。一般的には、取材と告げると生徒会の担当者が少しだけ時間をつくってくれるのですが、その高校では全くの知らんぷり。発表やイベント、どれをとっても呆れるばかり。見るべきところもあまりなくて、予定より早めにそそくさとその高校を後にしたのでした。吾妻からはかなり遠かったのに・・・・。

その失望感をそのまんま渋高新聞として一人で発行し、全生徒に配ったのです。参考にすべき点ゼロ、というようなタイトルだったかと。
勿論、その高校の文化祭をボロクソにこき下ろす内容。まあ、そんなことが許された時代でしたね。
記事に対するうけはそこそこ良かったと記憶しています。

ところが、

それから10日後ほどの某地方新聞に私の書いたその記事が載ったのです。

「高校文化祭特集」だったかと思うのですが。
私の文章の一部がそのまま掲載されて、高校文化祭の問題点を軽めに扱う内容だったかと記憶しています。
おいおい勝手にパクるなよ。そもそも、渋高内部でしか発行していない新聞が何故外部に漏れたのか。それ自体不思議ですし、プロのジャーナリストが無断で高校生の記事をパクるなんてありえない、と憤りを感じました。

大人ってこういうことをするんだあ。

高校生が内部で発行している新聞に著作権があるのかないのか。
そんなことは知りません。でも、何の連絡もなしに載せるとは。礼儀ってないの。
しかも他校を非難するデリケートな記事。

その特集記事で高校新聞の引用は私の記事だけでした。

あれから長い歳月が経ちました。

さて、高校新聞は変われたか。
渋高は変われたか。T高校も。

そして、大人は。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

2019年合格実績
前橋高校1名、前橋女子高校1名、高崎高校2名、高崎女子高校2名、群馬高専2名、新潟大歯学部1名、中央中等1名(その他・過年度分は下のホームページからどうぞ)

* お問い合わせは下記問い合わせバナーからどうぞ。
* 齊藤塾ホームページへは下のリンクからどうぞ。

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