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多様は豊かさの証

豊かとは多様なことを言うのだ。多くの種類が存在していること、それが豊かであることの証なのだ。
私達は生物なのだから、多様である限りにおいて豊かであることの確認ができるようなのだ。

私が他人と違うこと。それは良いことなのだ。私が私である限りにおいて、それは生物の豊かさに貢献しているといえるのだ。存在していることそれ自体での社会貢献。

突然ですが。

私達は他人の悪口をいうときに、ほとんど同じパターンを使っている。
「普通の人はあんなことをしないよね。」「普通の人はあんなこと言わないよね。」という類の言い方だ。
つまり、「あの人って変だよね」というパターン。悪口を言われている人が「変」であること。ある一定の標準から外れていることは、悪口を言われる条件を満たしていることになるのだ。「変な」人は悪口を言われてもしかたないという論理。いじめも「変な」人がターゲットになる。周りと違うことをする人。周りと同じことをしていない人。

これって生物学的にどうなんだろう。いじめって多様性を否定する行為になってはいないだろうか。いじめる側が考える標準から外れている人をいじめて排除する。この行為が期待していることの画一性って何だ。皆同じ枠の中に入っていることの安心感か。予想可能な行動を取る人たちの集まりの中で楽に生きたいのか。変な人を見るストレスが嫌いなのか。

そちらの方が変だと感じる感覚は持ち続けたい。

創作の苦しみ

今日は実力テストの結果報告が相次ぎました。

ある塾生。
5教科合計点が 479点 学年1位。

他の塾生。
前回の実力テストから80点アップ(5教科合計)。

新型コロナの影響で出遅れる中3生が多いかと思いますが、齊藤塾の塾生達は自分との戦いの手を緩めることはありません。
良いスタートが切れたかと思います。

更に上を目指して欲しい。


さて、創作のプロたちの話を。


作家。

締切間際ギリギリにになって、カレンダーやスケジュール帳と睨めっこしながら、あるいは編集者の顔を思い浮かべながら、間に合わなかった時の言い訳なども用意しつつ、「出てこない、出てこない」とイライラしながら「創作」に取り組む姿。
もしかしたら、これこそが創作行為の本質なのかもしれない。出てこないアイデアを無理やり絞り出す。いつになってもやる気が起きない状況でも、逃げるわけにゆかないのでとにかく机に向かう。

そんな作家先生たちののたうちまわる姿を想像したときに、憧れがさめるどころかますます彼等を好きになりはしないだろうか。彼等も普通の人間であり、仕事として創作というものを選んでいる。仕事である以上、やる気が起きないなどとは言ってられない。確かに凡人よりも優れた創作能力を持ち合わせてはいるだろう。しかし、何もないところからものを作り上げ、日々評価にさらされる苦しみと日々戦わねばならないのだ。仕事と戦っているのだ。そう、仕事と戦うという点においては私達と何ら変わらない人間なのだ。

私達は、創作というとアイデアが天から舞い降りてくるものだと勝手にイメージしてはいないだろうか。ないものを作り出す行為。それは地べたに二本足で立つ「普通の」人間が、その限りある能力から絞り出しているものなのだ。

今までになかったものを意図的に作ろうとする行為。

だからこそ、彼等は私達の想像を超えた作品をつくれるし、それが私達に心の底からの感動を与えてくれるのではないだろうか。創作の場に自分を追い込み、新しいものを創りだす行為を「仕事として」生きているという一点において、やはり作家は作家なのだ。凡人は創作をしようとして自分を追い込んで机には向かわない。

そう考えると、期末テストに逃げずに立ち向かう生徒達は将来仕事に取り組むための格好のトレーニングを積んでいるともいえる。

個性

昨日入塾した生徒。今日、早速通塾初日でした。
長時間の学習に耐えて盛沢山な内容を消化してゆきました。
予想以上に早めに結果が出ると思います。

さて、今日は個性の話。
そう言えば、最近「自分探し」という言葉を聞かれなくなりましたね。
あれは、何だったんでしょうか。
「自己実現」も同じかな。




個性はアピールするものではない。にじみ出るものだ。

個性重視の教育、一芸入試の導入、アピールポイントの自覚、プレゼン能力を磨け・・まあいろいろあったけれど。
今多くの生徒達の関心の流れはどちらに向いているのかは明らかだ。
低学年のうちから、英検、漢検、数検、そのあとTOEICや資格試験などへと関心が移って行くのが実情だ。

あれ?個性の時代じゃあないの?

個性で飯は食えない。勿論、芸術家のような人達はいる。でも、芸術で飯を食ってゆくのは楽ではないことは誰でも知っている。だから、私にはこんな個性がありますといくらアピールしても、大概はそれがなんだということになる。当たり前だ。
個性をアピールする前に、そもそも君は何ができるのかねと聞かれることを皆知っている。

欲張らないから結果が出る

学習の習慣をつけるコツは、最初のハードルを低く設定すること。
ちょっと物足りないくらいのレベルと分量を「必ず続ける」ということが大切。
この方法だと、継続できなかった時に、自分に言い訳ができない。

だから継続できる。

継続それ自体を目的化すること。

中身を欲張らない。

継続できない人に限って「こんな少ない分量では物足りない」とか言うものだ。
一日分の分量が少なくても、積み重ねるととんでもない量になることを知らない人だ。

努力とは継続のこと。
継続とは今日もそれをすること。
これが習慣化した人は最強だ。

スタートラインでは継続それ自体を目的化すること。

齊藤塾のような塾を継続することは決して楽ではありませんが、習慣化したときの果実はあまりにも大きい。
塾生達はそのことを体で知っている。

叱られたい若者達

今の若者たちは「叱ってくれる人」を求めているのだそうです。
真剣に叱られた経験のない若者が増殖中です。

叱るには、叱る対象となる人を良く見ていないとできません。そして叱る人にも覚悟がいる。単なる感情の発露としての「怒り」とはそこが違う。叱るにはその人を正しい道に導こうとする覚悟が要る。そして愛情もいる。

そのような人に出会うことなく大人になった人が増えているようです。

大人の側にも迷いがある。自身がない。覚悟ができない。
子ともの側も、叱られ慣れていないので叱られることが「相手に対する恨み」になったりする。

どっちもどっちの悪循環。

ないものねだりはやめて、新しい時代の生き方を模索するしかないのでしょう。

自由を求めた結果。
「個」単位の豊かさを求めた結果。

自分を叱ってくれて、常に自分の人生の軌道修正をしてくれる人を求めている。
目を光らせてくれて間違った道を歩んでいたら直してくれる人を求めている。

気持ちは分かるが、もう時代は後戻りできない。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

合格実績(2012年~2020年までの合計)前橋高校4名、前橋女子高校8名、高崎高校5名、高崎女子高校7名、群馬高専5名、渋川高校20名、渋川女子高校17名、高経附高校3名、前橋育英S4名(中学受験については初年度からの合計で中央中等8名、佐久長聖中8名それぞれ合格、大学受験については、群馬大、埼玉大、茨城大、信州大、新潟大、静岡大、早稲田大、慶応大、津田塾大、東京女子大、明治大、法政大、成城大、東洋大、獨協大等多数合格・詳細は下のホームページからどうぞ)

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