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反応


哲学者の谷川徹三さんによると、「考える」ということの原初的形態は「我々が生活の中で何らかの障害に出合って、我々の意志が阻まれる場合、それに反応する一つの仕方」なのだと。

障害に出合わなければ考える必要もない、ということですね。

人は、考えなければ前に進めないような状況に追い込まれて初めて考えるということをする。何も考えずに日々過ごせる人が哲学的思考をすることなどあり得ないということなのかもしれません。

まあ、そうかもしれませんね。それほど人は怠惰なのでしょう。必要のないことはなるべくやらない。何らかの困った状況に追い詰められて、初めて頭を使い始める。何とか頭を使って乗り切ろうとする。考えなければ前に進めなくなって、やっと考えだす。

そう考えると、先人達が膨大な思考の遺産を残してくれているということは、それだけ先人達が様々な障害に出合って、その時々に思考せざるをえなかった。そんなな状況に追い込まれて、苦しみながら思考してきたということに違いありません。

受験も一つの障害ともいえます。

どうしても乗り越えなければならない。受験では様々なことを考える必要に迫られます。
深く考えるチャンスをもらったとも言えますね。

貢献

勉強は、将来ラクができる職業に就くためにやっているのではありません。

将来自分や親が幸せになるために、今苦しい勉強をしているのではないのです。



君が今勉強しているのは、将来社会に貢献するためです。



君が好むと好まざるとに関わらず、人間は社会を構成して生きるように出来ているのです。

人間は、一人一人が役割をもって社会を作ることではじめて生きることができる、と言う動物です。

だから、君に役割ができて社会に必要とされる人間になり、社会から認めてもらえる人になって、はじめて君も生きられるのです。

そうなるために、君は今勉強しているのです。



「自分や親の将来」などという個人的なもののために今勉強しているのではありません。



今日のその勉強、その取り組み方で君は将来社会貢献できますか?

当たり前

今年も塾内テストで、

県内一桁順位の塾生が出ました。

努力の厚みが結果を呼び込んでいますね。
私も指導方法に間違いのないことを確認できました。



さて、

アマゾンで星の少ないレビューに「当たり前のことしか書いてない。読む価値なし」などという批判が散見されます。
当たり前のことしか書いてない書物は読む意味がない。時間の無駄であった。
そういうことを言いたいのでしょうね。

こういうレビューアー達には、書物とは新しい情報を得るために読むものだ、という暗黙の前提があるようです。

他の誰も言わないようなことがこの書物には書いてある。だから読む。
今まで出版されたどの書物でも触れていない新しい情報について触れている。
あるいは全く新しい切り口で書かれている。
又は、誰も気づかなかったような新鮮な主張が展開されている。

だから、読む価値がある。
そう言いたいのでしょう。

勿論、そういう書物が求められるのは良く分かります。

しかし、

当たり前のことが書かれている書物に読む価値はないのでしょうか。

いや、大いに読む価値があると思うのです。

当たり前のことこそ見過ごされやすいからです。
当たり前のことが、実はなかなか実行できないからです。
普通のことが普通にできるこだけで、他人から一目置かれることも珍しくないからです。

当たり前のことしか書いてない書物。
大いに読む価値あり。

当たり前のことこそ忘れてはいけない大切なこと。

小さなことを


日々の学習がまさに習慣化している人には誰も勝てません。日々の一歩がどんなに小さくても、それをやることが習慣化していれば、「止まれない」のです。勉強を止められない。勉強を止めることが不愉快になる。勉強を止めようとすると不快信号が発せられる。そんな状態になった人には誰も勝てません。

では、そのような理想的学習習慣をつくり上げるにはどうしたら良いのか。それは簡単です。簡単だからこそ難しいともいえる。逆説的ですが。もうこのブログでは何度も強調してきたことですが。

習慣力をつける方法。それは、「続けられることを続ける」こと。続ける内容ではなくて、続けるという行為事態を目的化すること。

一般的には手段が目的化することは良くないことです。しかし、習慣力をつけるこつはそこにあるのです。それくらい、人は継続ができないとも言える。だから本末転倒と言われようと「続ける」ことを第一目標とする。そのくらいハードルを下げてやって、継続できない自分から継続できる自分へと変えるのです。ハードルを下げることで、継続できない理由がなくなってしまう。もう逃げ場がなくなって継続するしかなくなる。やれない理由探しが恥ずかしくなるくらいハードルを低くする。

こんな手段を使わざるを得ないほど、人は継続ができないんですよね。

やれない人に限って、それでは意味がないと言いますよね。まあ良いんですが。

騙されたと思ってやってみると、これって結構病みつきになりますよ。小さなことを継続できることは自信に繋がります。イメージとしては、体の芯ができる感じ。少しぐらいでは揺るがない心棒が体にできた感じ。不安になったり落ち込んだりしても帰るところがある感じ。こういうことって大事だと思うんですがね。

齊藤塾に入塾することで、そんな習慣力をつけられたら良いなあ思って私は日々指導しています。

「つらい」と「面倒くさい」の中間


努力とは継続のこと。
継続とはできることを毎日続けること。

毎日継続するコツは、「継続できるところまでハードルを下げる」ということ。
継続ができないと嘆く人に、継続できるところまでハードルを下げるようにアドバイスすると、必ず次のような答えが返ってきます。

「そんなちっぽけなことを継続しても意味がない」

一見「ちっぽけ」に見えること。これを「毎日」継続することで、とてつもない大きな山に登れるということが彼には分からないのです。いや、大半の人は分からない。
早く結果を出したい。早く見通しを立てたい。そうやって焦るから、ますます泥沼にはまってゆく。そして泥沼の中でまた焦る。悪循環。

「10日あれば〇〇できる」「わずか3か月で〇〇が完成する」・・・

こんなタイトルが溢れています。魅惑的なタイトル。外科手術のようにすっきり治る療法。漢方のように時間をかける療法には人気がない。皆、時間がないから。

でも、私に言わせれば「我慢が足りない」。

「我慢」

今や死語か。

良い参考書も問題集も溢れている。あとはやるかやらないかの問題。
そして、私が継続の方法まで教えてやっている。

その中身ではなくて「継続」それ自体を目的とすること。
そうすれば、徐々に継続することが習慣となり、やらないと気持ち悪い状態になってくる。
習慣とはそういうもの。最初は確かにつらい。実際は「つらい」と「面倒くさい」の中間くらいの面倒くささ。
これを乗り切るのに「気合い」や「根性」はいらない。

でも、大半の人がやらない。だから、やった人の一人勝ち。

最初の数日が勝負。その数日間に必ず何かの障害がやってくる。風邪をひく。特別な用事ができる。パスしたくないイベントがやってくる。などなど。「とりあえず今日はまあいいか」と例外を一つ作ったが最後、継続は中断する。気合いも根性も要らないのだが、このような時にも淡々と継続できる人は本当に強い人だ。

本当に「怖い」人ってこういう人のことを言う。淡々としている人。勉強を習慣化している人。やらないと気持ち悪い人。

ハードルを下げて、毎日習慣化した人は気がつくと大きな山に登っている。
いつの間にか達成している。このような人を見上げて、「ちっぽけ」と言った彼は必ず言う。
「あんなことならオレにもできたよ」と。
いや、彼には一生かかってもできない。やるべき時にやらない人は一生やらない。

中身ではなくて、継続そのものを目的化すること。そして習慣化することで、あたかもはずみ車のように止まることが不快になる。やらないと気持ち悪く感じるようになる。ほんのわずかの人だけが、この真実を知っている。そして、実行している。「どうしてあなたはそんなに凄いのですか」との質問に戸惑っている。

だから、自立型(個別演習型)

どんな些細なことでも、自分でやることで体中の細胞が活性化すると思う。

私も、教えることが大切なのは重々承知。

要領のよい最短距離の解法を教えることは大切。
勿論やっている。今日もそれを教えた。
マニュアルや教科書も大切。
勿論、教科書なしでは迷ってしまう。
だから、常に教科書は参照している。
他人の成功例も大切。
大いに参考になる。

でも、

一番大切なことは、
自分の体を使ってみること。
それがたとえ最短距離ではなくても。
マニュアルから外れていても。
他人から見たらぎこちなくても。

動き続ける人には誰もかなわない。

「自分で、自分で」と。
幼児のように。

だから、
自立型。

殻を破る勇気


勉強は自らの殻を破ることの連続です。
壊しては作り変えることの繰り返しなんです。
最初の洗礼は中1段階だと思います。

今までの殻を壊して新しい自分に作り変える。
脱皮を繰り返して大きくなる動物のようでもありますね。

そういえば、脱皮が中途半端で古い皮がお尻に引っ掛かっている蚕が時々いました。
勿論、大きくはなれません。

殻を破りましょう。恐れずに脱皮しましょう。
そうすることで新しい「大人の」世界が開けますよ。
恐くはありません。皆通ってきた道です。
指導者がついています。

楽した結果は・・・

新聞チラシを折り込みました。
早速、お問い合わせを頂いております。
ありがとうございます。



さて、「楽して」の話。



受けるのが楽な先生の授業。

得るものがありません。

楽して単位が取れる先生の講座。

単位は取れるが何も残らない。

楽して通える塾。

継続するのは簡単だが、やはり何も残らない。



全て、時間の無駄ですね。



これからは人間にしかできない「創造的」なことを人間がやり、調べればよいことは全てコンピュータにやらせる時代。

そんな時代がやって来るのだそうです。

「創造的」って、言葉の定義からして難しい。

創造的な仕事の大半は既存の技術を「組み合わせた」ものであることが多い。

ということは、既存の技術に対する知識がなければならない。勿論、経験も。

その部分は自らの体を使って得たものでなくてよいのだろうか。


経験の部分で「楽して」おいて創造力「だけ」を働かせるなんて可能なのだろうか。

体に染み込んだ経験の部分のこと。


好き嫌い

嫌いなものでも食べる。
少しだけでも良いから食べる。
その食物にしか含まれていない栄養素があるのだ。
それぞれの食物には個性がある。
他の食物には真似できない個性が。

嫌いな人とでも話をする。
少しだけでも良いから話す。
その人にしか語れない話があるのだ。
一人一人には個性がある。
他の人には真似できない個性が。

だから、

「好き嫌い」はとっても損なこと。

ちょっとの我慢、ちょっとの勇気で世界は広がる。

そして、

その経験の厚みは、大人になって効いてくる。

まず一歩。自分の足で。


読書は大切だ。当たり前だ。

しかし、書物に書いてあることの多くは「過去に結果が出たこと」や「多くの人が認めている共通認識」のようなものがほとんどだ。だから、書き手も「安心して」書いている。だって、結論については「保証付き」なのだから。だから、書物に現れているストーリーは結果からさかのぼって、逆方向からストーリーを組み立てているものが多い。結論が分かってから途中の筋道を整備している。丁度、迷路の正解のように。失敗した線は全て消し去って、正解のルートだけが示される。

騙されてはいけない。

この正解のストーリーだって、最初からこんなにきれいに組み立てられて来たものではないのだ。ボロボロの試行錯誤を繰り返し、みじめな失敗者達の屍の上を渡って来て、何とかたどりついた結論だったりするのだ。だから、教科書や参考書に書いてあることは「綺麗すぎる」。他の書物に書いてあることも「格好良すぎる」。そこにたどり着くまでの、ボロボロやドロドロを跡形もなく消し去って、あたかも最初から結論が分かっていたかのように書かれている。恥ずかしい失敗話はカットされている。

私達が知りたいのは、その失敗の方だ。見たいのは試行錯誤の記録。屍たち。

でも、それらはほとんど見せてはもらえない。

作家が自らの小説の推敲跡などを見せてくれることはまれだ。

しかたない。

だから、

自分の足で動くこと。
自分の手を使って補助線を引いてみること。
まずは一歩踏み出してみること。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

【遠方の方も吾妻線を利用して、土日、祝日中心に通っている塾です。長時間の個別演習形式で鍛えて結果を出しています。お気軽にお問い合わせください。】

合格実績(2012年~2020年までの合計)前橋高校4名、前橋女子高校8名、高崎高校5名、高崎女子高校7名、群馬高専5名、渋川高校20名、渋川女子高校17名、高経附高校3名、前橋育英S4名(中学受験については初年度からの合計で中央中等8名、佐久長聖中8名それぞれ合格、大学受験については、群馬大、埼玉大、茨城大、信州大、新潟大、静岡大、早稲田大、慶応大、津田塾大、東京女子大、明治大、法政大、成城大、東洋大、獨協大等多数合格・詳細は下のホームページからどうぞ)

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