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我慢

人がやらない時にこそ・・・
毎日継続するコツは、「継続できるところまでハードルを下げる」ということ。
継続ができないと嘆く人に、継続できるところまでハードルを下げるようにアドバイスすると、必ず次のような答えが返ってきます。

「そんなちっぽけなことを継続しても意味がない」

一見「ちっぽけ」に見えること。これを「毎日」継続することで、とてつもない大きな山に登れるということが彼には分からないのです。いや、大半の人は分からない。
早く結果を出したい。早く見通しを立てたい。そうやって焦るから、ますます泥沼にはまってゆく。そして泥沼の中でまた焦る。悪循環。

「10日あれば〇〇できる」「わずか3か月で〇〇が完成する」・・・

こんなタイトルが溢れています。魅惑的なタイトル。外科手術のようにすっきり治る療法。漢方のように時間をかける療法には人気がない。皆、時間がないから。

でも、私に言わせれば「我慢が足りない」。

「我慢」

今や死語か。

良い参考書も問題集も溢れている。あとはやるかやらないかの問題。
そして、私が継続の方法まで教えてやっている。

その中身ではなくて「継続」それ自体を目的とすること。
そうすれば、徐々に継続することが習慣となり、やらないと気持ち悪い状態になってくる。
習慣とはそういうもの。最初は確かにつらい。実際は「つらい」と「面倒くさい」の中間くらいの面倒くささ。
これを乗り切るのに「気合い」や「根性」はいらない。

でも、大半の人がやらない。だから、やった人の一人勝ち。

吾妻の塾

私はこの仕事だけで生きています。
副業したことはありません。
家族も養っています。

開塾した当初は、昼間は何の仕事をしているのか、とよく聞かれましたね。昼間は授業の準備をしている、と答えるとけげんな顔をされました。塾が本業だということを信じてもらえない時代もあったのです。最近はそんなこともなくなりましたが。

最近はむしろ、忙しそうだとか、いつ休んでいるのかなどと心配してくださる方もいます。

評価はどうあれ、自分の好きな仕事で生きて行けることは幸せです。だから、お客さんには感謝しつつ、期待以上のものをお返ししようといつも思っています。

ここのところトップ校受験専門塾らしく、入塾基準を厳格にしています。

これほどの田舎塾で入塾基準もないもんだと言いたい人もいるでしょうね。
心配してくださる方もいらっしゃいます。
塾生が少なくなったらどうやって家族を養うのか、とか。何歳までやるつもりなのか、とか。自分で自分の心配ができないので他人様が心配してくださいます。

奇跡の塾だ、と褒めてくださった方もいます。齊藤さんなんて、あんなところで塾をやっている。自分達なんてまだまだ条件が良い、みたいな。

倉渕村出身の某議員には「え?東吾妻で塾やってんの?だって、人口2万弱くらいじゃあないの?よくねえ。」
と、驚かれました。

吾妻にも子供はいます。
未来に夢膨らませている子供達が。


子供達の未来に期待を膨らませている保護者の皆さんも。
どこまでも不安な保護者の方も。

子供の数が半減しているというのに、厳しい入塾基準で塾生数を絞るということは経営上は正気の沙汰ではないのかもしれません。私は勇気があるのか、タダの変人なのか。

言えることはタダ一つ。

自分の教えたい人だけに指導したいということ。そして、今の指導スタイルに合う人だけに齊藤塾のサービスを提供したいということ。一人で教えている塾なので、できないことを無理してやろうとして、お客さんを失望させるようなことがあってはいけないと考えているのです。できることを確実に。

フリー通塾にすることで、何とか送迎の負担を軽くしたい。通塾回数の確保をしたい。そんなことばかり考えています。

いつでも通える塾、ということで、安っぽい塾だとは思われたくはないですね。勿論です。
いつでも通える塾というシステムは「私の本気度の現れ」を意味しています。

自立心を育てる


自立心はどうやったら身につくのか。

自立心とは、

自立せねば前に進めないときに「自ら」作り上げるものだ。

体の「内側から」「自分だけの力で」作り上げ、育てるものだ。


日本の教育は模索し続けてきた。


「自ら考える力を養う教育」・・・・・
「生きる力を養う教育」・・・・・
「PISA型教育」・・・

いろいろ言われている。
が、私達は本当に腹がすわっているのだろうか。

自立せねば生きてゆけない環境で子供たちを鍛える覚悟。

その覚悟が今大人たちには求められていると思う。

自分で自分を鍛えられる人だけが世界で活躍できる

典型問題すら甘い

1学期の期末テストが気になり出した生徒が多いかと思います。

今日の段階では、ふだん学校の授業を真面目に聞いている生徒でも、

「典型問題すら甘い」

と断言できます。

皆、そうだから。

そして実は、私もそうだたtからよく分かります。

どんなに優秀な生徒でも、学校での今日の授業については初めて学ぶのです。

生まれて初めてなのです。

だから、何をどこまでトレーニングすべきかを知らない。

どのレベルまで演習の反復が必要かということは分からない。

これを示すのが塾の大きな仕事だと考えています。

その単元のどの問題をどの位反復するのが正しいのか。

それを体感させるのが塾長の役割なのだと言えます。

求められるのはどのれバルか、

それは

「問題を見た瞬間に手が動くレベル」

です。

ここを見据えて指導しています。



視線が変わること

人は同じ過ちを何度でも繰り返す動物。
「間違ったら反省し、修正する。次に別の間違いを犯したら、それも修正する。これを積み重ねることで、人は間違いを犯しにくい体質へとステップアップしてゆく。だって、人間は反省できる動物だから。」

これは間違いです。
あまりにも呑気な人間観です。
そして、自分自身への過大評価も見え隠れしています。
自分を許し続ける体質、というか。

人間はそう簡単には反省なんかしません。
組織も社会も同じ。

「二度とこのような過ちは繰り返しません」という言葉を何度も繰り返す。

まずは、その前提に立って思考をスタートすべきです。
人の行動パターンは簡単には変わらない。
思考パターンも変わらない。

死ぬほどの恐怖を味わった時だけ変わりうる。

そういう前提がスタートライン。

だから、

「変わる」ということを軽く見ない。
変わろうとしたら、本気になること。
まずは何かを捨ててから。

きっと、

変われた人への視線も違ってくるはず。

賞賛、尊敬、憧れ。

そして、畏怖。

本気で変わろうとしている人は「怖い」。

本気になった受験生の目も怖い。

募集は5名

今年は7月の募集は5名までとします。

少人数個別指導色がますます強まりましたので。
1教室の人数を絞っています。




チラシも折り込みます。

去年、夏休み直後の中学校実力テストでは、

学年1位・・・4名
学年2位・・・1名
学年3位・・・4名
学年4位・・・1名

でしたので、これをアピールするチラシとなっています。

業者テストでは、県内10位の塾生も出ました。


塾生自慢ではあります。
努力の成果が形になって表れる。
それを、称えられる。
塾長冥利につきます。

今年は例年よりメンバーを絞った戦いになります。
が、結果は必ず出します。
これは100%の自信。

ここ数年、9月に結果が出ないことはありませんでした。

何をどうに努力すべきか。

これを示して、軽く背中を押す。
これが私の仕事。


今年も既に県内で17位にまで上がってきている塾生もいます。
一桁順位になるのは確実です。

勉強は他人との競争ではありません。
昨日の自分との戦いです。
その成果としての県内順位。

量と質


量は質を変える。

世の中安易な発想が多すぎます。

「〇〇しただけで〇〇する」系の話。

物事の因果関係ってそんなに単純じゃありません。そんなことはちょっと考えればわかること。

のたうちまわって苦しんで初めて見えてくるものの方が多い。そして、それは本物です。自分で搾りだすんですよ。
今までさぼっていた受験生ほど、どこかに楽な道があるのでは、と検索しまくります。それが遠回りなんだってどうして気づかないのか。

「やる気スイッチ」も同じ。安易な発想です。本人が苦しまないと、そのスイッチも見えて来ないのです。

多様は豊かさの証

豊かとは多様なことを言うのだ。多くの種類が存在していること、それが豊かであることの証なのだ。
私達は生物なのだから、多様である限りにおいて豊かであることの確認ができるようなのだ。

私が他人と違うこと。それは良いことなのだ。私が私である限りにおいて、それは生物の豊かさに貢献しているといえるのだ。存在していることそれ自体での社会貢献。

突然ですが。

私達は他人の悪口をいうときに、ほとんど同じパターンを使っている。
「普通の人はあんなことをしないよね。」「普通の人はあんなこと言わないよね。」という類の言い方だ。
つまり、「あの人って変だよね」というパターン。悪口を言われている人が「変」であること。ある一定の標準から外れていることは、悪口を言われる条件を満たしていることになるのだ。「変な」人は悪口を言われてもしかたないという論理。いじめも「変な」人がターゲットになる。周りと違うことをする人。周りと同じことをしていない人。

これって生物学的にどうなんだろう。いじめって多様性を否定する行為になってはいないだろうか。いじめる側が考える標準から外れている人をいじめて排除する。この行為が期待していることの画一性って何だ。皆同じ枠の中に入っていることの安心感か。予想可能な行動を取る人たちの集まりの中で楽に生きたいのか。変な人を見るストレスが嫌いなのか。

そちらの方が変だと感じる感覚は持ち続けたい。

覚えるそばから忘れる

千野栄一著『外国語上達法』からいつくか抜粋しておきます。

「私は語学が苦手である」・・・・冒頭部分です。執筆当時、千野先生は東京外国語大学教授でした。

「『いや、もうだめですね。覚えるそばから忘れていきますよ。・・』」・・・千野先生の恩師の方の言葉。この先生は70歳を過ぎてからも、毎年一つは新しい外国語をものにしておられる、とか。

「上達に必要なのは『お金と時間』」・・・ドイツ人の大学院生をうならせ、ポーランド人の先生が感嘆するほどのポーランド語を操ったS先生の言葉。

「1日に6時間ずつ4日やるより、1日に2時間ずつ12日やって方が効果的である」・・・その前にまずはガムシャラにやる時期が必要とも書いています。安定期に入ったら細切れがよいのですね。

本気の人の行動は

高い壁の真下まで行って上を見上げ、こんな高い壁は超えられるはずがない、と諦める人は本気ではない人。
「無理だ、無理だ・・・」と100回繰り返しても何も変わらないから。

見上げることも、無理だと言い続けることに有効性はない。
唯一有効性が認められるのはできない言い訳に使うときだけ。

では、本気の人は何をしているか。

足元にレンガを積み始める。
階段を1つ作るために。
次に2つ目の階段作りに移る。

壁を乗り越えるのに100段必要ならば、まずは最初の1段を作ることから始める。
それが分かっているから、まずは1段目を積む。
それしか無いことを知っている。
そして、実行する覚悟を決めている。

真に本気な人は「やるぞー!」なんて宣言しなくても足元のレンガ積みは始めている。
本気は人の行動は地味なのだ。
そして、多くの人は寡黙。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

【遠方の方も吾妻線を利用して、土日、祝日中心に通っている塾です。長時間の個別演習形式で鍛えて結果を出しています。お気軽にお問い合わせください。】

合格実績(2012年~2020年までの合計)前橋高校4名、前橋女子高校8名、高崎高校5名、高崎女子高校7名、群馬高専5名、渋川高校20名、渋川女子高校17名、高経附高校3名、前橋育英S4名(中学受験については初年度からの合計で中央中等8名、佐久長聖中8名それぞれ合格、大学受験については、群馬大、埼玉大、茨城大、信州大、新潟大、静岡大、早稲田大、慶応大、津田塾大、東京女子大、明治大、法政大、成城大、東洋大、獨協大等多数合格・詳細は下のホームページからどうぞ)

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