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報酬

家のお手伝いはさせるべきです。
「任せる」形で。つまり、責任を持たせる。

それが、家族という最小単位での社会で生きてゆく自信につながります。その自信が外の社会に出てゆく勇気になります。

このお手伝いに「報酬」を支払うのは如何かと思うのですが。報酬を払った瞬間にその意味合いが全く違ってきてしまいます。

家族という小さな社会の中で生きてゆくには相応の役割がある、という当たり前のことをするだけです。

このような考えは、最近理解されなくなってきていると感じています。

感謝を形で示す意味でも「報酬」は必要なのだと考える人が急増中のようです。

覚悟が前提、ミスマッチなし

齊藤塾は、結果の欲しい人が覚悟して飛び込む塾です。
だから、入塾初日から全開指導です。

覚悟が前提なので、ミスマッチはありません。
そんなことを考える暇があったら、私の課題を日々乗り越えるだけです。

成績が思うように伸びない。

その原因は一つ。

「復習」の不足。

「復習なんて、ちゃんとやってますよ」という人へ。
何回やりましたか?
まさか、1回や2回じゃあないでしょうねえ?

結果が出るまでやるのが復習です。
結果の出ない人の復習って「ただ、ノートを眺めているだけ」ということが多い。

結果が出るまで復習するという経験。
その経験なしに「オレは頭が悪い」なんて言うなよ。

自分の手を動かせば、もっと定着する。

手を動かせよ!
脳ミソを鍛える手っ取り早い方法。
それは、自分の手を動かすこと。

やったことないから、その効果が分からないのですよね。

それが分からないまま、受験を迎える。
恐ろしいことです。
それが分からないまま、大人になる。
これは、もっと恐ろしいことです。

塾って、そういう「当たり前のこと」を体感させる場です。

腹を据える

「君子、多能恥づ」  『論語』より               

どんなに天賦の才能の少ない人でも、今持っているその才能を最大限に伸ばすには一生かかっても時間が足りないのかもしれない。

大人は「何でも出来る子」を評価したがりますが、「多能」な人でも今できる全てを生かすには人生が100回あっても足りないでしょう。

君にも「自分はこれで社会貢献するのだ」と一つの事に絞り込み、他の全てを捨て去る勇気が求められる時がいずれ来るのです。

その決断の時の「腹のすわった」姿に私はしびれます。

君が天から授かったその一つの事を探すために今日の勉強があるのです。

悔しさから


学生運動が激しかった頃、東大で入試が中止された年がありました。東大を目指していた優秀な高校生はしかたなく京大、東北大はじめ他の大学に進むか、浪人して東大を目指すしかありませんでした。
どうも、この年に東大を受験できなかった人達に有名人が多いような気がしてならないのです。宗教学で有名なNさん、今も大人気の社会学者Uさん、反原発で有名な原子力学者のKさんなどなど。

たまたまなのか、悔しい思いを学問にぶつけたからなのか、東大以外の大学での教育が東大に負けず劣らず素晴らしかったのか。ノーベル賞受賞者が東大以外の大学出身者でほとんど占められているのも面白いですよね。

想定


「必要なところ」だけ「最短距離で」鍛えたのでは貧弱な力しかつかない。
全く応用が利かない。
すぐに「想定外」などと言って逃げる人になる。
想定外のことに出くわすと、きょとんとして立ち尽くすだけの人になる。

低学年の頃から一つの競技に絞って鍛えた体は踏ん張りが利かない。

何でもやってみる。様々な体験をしてみる。
いろいろな物を見てみる。
野山を駆け巡り、靴を泥だらけにし、手足がかすり傷だらけになって鍛えられた体は踏ん張りが利く。

そして、

決して、想定外などとは言わない。
だって、野山は想定外のことだらけなのだから。
むしろ、想定外を楽しめるスタンスで生きているのだから。

未来のことはすべてが想定外。

様々に思いめぐらすこと。
それで頭は鍛えられる。

野山を駆け巡った体のように。

達人たちの言葉


千野栄一著『外国語上達法』からいつくか抜粋しておきます。

「私は語学が苦手である」・・・・冒頭部分です。執筆当時、千野先生は東京外国語大学教授でした。

「『いや、もうだめですね。覚えるそばから忘れていきますよ。・・』」・・・千野先生の恩師の方の言葉。この先生は70歳を過ぎてからも、毎年一つは新しい外国語をものにしておられる、とか。

「上達に必要なのは『お金と時間』」・・・ドイツ人の大学院生をうならせ、ポーランド人の先生が感嘆するほどのポーランド語を操ったS先生の言葉。

どうでしょう?

「〇〇日間でペラペラになる」というコピーが目に入らなくなります。

原書講読


電子辞書にしろ、スマホやPCによる検索にしろ、以前では考えられないほどのスピード感で私達の学習効率を高めてくれます。

ある意味、夢の道具です。

それなのに肝心の学習効果が上がっているとはいいがたい。

つまり、学習「効率」は格段に向上したのに学習「効果」は上がっていないかもしれない、ということ。

道具がストレスを省いてくれた、その分私達が「ラク」をしただけで終わっている。そんな感じでしょうか。

いつも、言っていることの繰り返しになりますが。

困難に対峙した時に初めて私達の思考は起動する。
ストレスのないのっぺりした学習では、あまり困難を感じないということなのでしょうね。困難を感じないから、思考は起動しない。だから、学習効果がそれほど上がらない。

「機械にできることは機械にやらせて、人間にしかできないことを人間がする」

よく言われることです。

しかし、そんな簡単な話でもないようですよ。

「人間にしかできないこと」だけに絞ってピンポイントで思考するなんてことができるのでしょうか。はなはだ疑問です。エッセンスの部分だけヒトがやる? どうなんでしょうね。

思考って、一見無駄に見えることや、雑多なことの積み重ねの上に成り立っているような気がするのですが。特に、発明や発見こそ、行き詰まった時に、そのようなものからヒントを得て突破口を開いてきたと思うのです。そんなエピソードばかりですよね。


大学生はよく、原書購読を課せられます。
英語で書かれた専門書を英語で読まされる。
構文を解析しながら、辞書とにらめっこしながら一歩一歩読み進める。

その書籍の翻訳が存在しても、原書で読まされることも多い。

勿論、翻訳では著者の伝えたいことが十分に日本語に再現されていない、という問題もある。
どうしても、日本語の単語と英語の単語には意味のブレが出てきてしまう。

原書をストレートに読めば、そのブレの多くは解消される。

しかし、

原書を読む目的はそれだけでしょうか。

私が思うに、

原書を読む醍醐味。
それは、

ゆっくり読むこと。
じっくり考えながら読み進めること。
ここにあると考えます。

原書だと「読みとばす」という行為ができない。

時間をかけて読み進めるしかない。
だから、考える。思考する。思索する。

読書の楽しみは読みながら自分の言葉で咀嚼し直すこと。
自分の脳ミソで著者の思考をなぞり、自分の言葉で構築しなおし、自分自身の理解として腹に落とすこと。

原書は速読できない。
少し読んでは考え、考えては読む。

だから、思考は深まる。
量は読めないが、明日からの行動に少しの変化をもたらす。

「苦しい」と「つまらない」の間

何かができるようになって自信がつくまでには、少し時間がかかります。どのようなプロセスでできるようになり、楽しさの体感に至るかについては「自ら体験しなければ分からない」性質のものです。いくら、他人に「説明」されても、体では分かりません。塾とは、その「体でわかる」ということを経験するために存在していると考えます。そう、齊藤塾に集う生徒達はその体験をするために集まって来ているのです。

自宅にいては得られない体験。ひとりでは決してできない体験。

勉強とは「苦しい」と「つまらない」の中間あたりの体験を続けるものです。ひとりで実行するのはなかなか難しい。だから、自立型学習塾は必要とされているのです。指導者の導きに従って、決してひとりでは手に入れられないものを得るために集う場です。

自立型学習塾。

一番強い人

好きで勉強している人には誰もかなわない。

好奇心の趣くまま、気の済むまで調べる。研究する。問題を解く。

それが「許される」環境が理想だと思う。

じゃあ、今の中高生はそれが「許されて」いないと言いたいのか。

それには答えない。勉強の目的は様々で良い。個人差があっても良い。

スケジュール満杯の学生生活も良いだろう。充実しているともいえる。

ただ、気の済むまで自分と向き合う時間もあって良い。

何事にも代えがたい時間。そう思う。

「本当の自分」に帰る時間

小さな自信を積み重ねる

今日は実力テスト学年2位の報告を受けました。

努力の人は結果を出しますね。


さて、




自信をつけるための唯一の方法。

それは、

自分でやること。

何を?

何でもよいから。

例えば、問題集を1冊終わらせる。
それだけで、大きな自信になる。
最後のページまで解き終わり、しみじみとながめる。
手垢のついた問題集。
同じ問題集はいくらでも手に入るが、自分の手垢のついた問題集はこの1冊だけしかない。

だから、いとおしくなる。

1問また1問と解き進める。
この積み重ねを「実行」した自分。
自分にもこれほどの力があったのか。

「問題集を1冊終えるなんて無理無理!」
と言う人に限って、厚い問題集をイメージしている。
薄くても1冊は1冊だ。

そういう人には薄い問題集を提示する。

薄い問題集を示されたとき、それでも無理とは言えなくなる。
ハードルを極端に下げられた時に、それでも飛べない、とは言えなくなる。
飛べない理由がなくなってしまう。

飛ぶか飛ばないか。
その事実が大切なのだ。

薄い問題集でよい。
1冊を終わらせること。
それが自信につながる。

薄くても、はやり1回目は苦しい。

でも、

2回目は少しラクになる。3回目は楽しくなる。
そして、4回目は腹が立ってくる。
「こんな問題、誰にも解けるじゃあなか」って腹が立つ。
これが完成形。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

2019年合格実績
前橋高校1名、前橋女子高校1名、高崎高校2名、高崎女子高校2名、群馬高専2名、新潟大歯学部1名、中央中等1名(その他・過年度分は下のホームページからどうぞ)

* お問い合わせは下記問い合わせバナーからどうぞ。
* 齊藤塾ホームページへは下のリンクからどうぞ。

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