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他人と同じことをして・・・

齊藤塾で半日勉強する。
塾で食事して、また勉強を続ける。

期末テスト前はそんな塾生達がお互いに刺激しあう。
そんな塾です。


齊藤塾はいわゆる「自宅塾」。
だから、早朝6時には教室を開けます。

そのメリットを有効に生かして学習する塾生が多いですね。
朝6時前に寒い中、塾生が外で待っていた、などということも何度かありました。早朝6時ですよ。
やる気のある塾生には最大限答えたいと思っています。

そうそう。
朝6時から夜10時まで学習していった塾生もいましたね。それも連日。
日曜日に遠方から1番列車に乗ってやってきた塾生もいました。

まあ、他人と同じことをしていたんじゃあダメですよね。

そういうことが分かっている人の為の塾ですよ。


期末テスト学年1位(5教科合計)。
期末テスト学年3位(5教科合計)。
今日も「努力の天才達」からそんな報告を受けました。

チャンスを奪ってないだろうか

親たちは子ともの振る舞いに一つ一つチェックを入れ、口を出し、うるさがられている。
「だって、言わないではいられない」のだそうだ。
「言わなかったらもっとひどいことになるのです。私が注意しているからなんとかこの程度で済んでいるのです」と。

言われたらやるのだろうか。

やるかもしれない。でも、それは「言われたから」だ。
自分からではない。

いつの間にか、言われないと行動できない人を作っている危険性はないのだろうか。
言わないと行動しないから言う、それで行動することは、言われたから行動することになってしまう。
自主的行動ではない。
言われた瞬間に、自主的に行動をするチャンスを奪ってしまっている。

新聞

子供達は「今」に興味があります。

「過去」の話とはワクワク感レベルが違うから。

教科書や参考書の教材はどんなに優れていてもそれは「過去」の情報。

現在進行形でアクティブに動いている物事には「生命」が宿っています。

子供達はそのことに敏感です。

現在のアクティブな物事から受ける刺激は、過去のそれとは比べ物にならないのでしょう。

大人達はもうそのことを忘れてしまっている。

文字情報では新聞。

私達日本人は日本語の新聞をまずしっかりと読めること。

アクティブな話題の宝庫ですから。

分からない部分が多くてもよい。

まずは、習慣として。

振る舞いとして。

仕事とは

仕事とは「すでに出来上がっている社会システム」の小さな歯車の一つとなって、責任を果たすことを言う。そのためには期待されていることがこなせなければならない。期待されていることはできないが、これなら得意だなどと繰り返す人が社会システムの担い手として責任ある仕事ができるとは到底思えない。そう、仕事には責任が伴うのだ。個性と責任という二つの言葉、この二つの距離は遠いように見える。

「私はこんな人です」などといくらアピールしても、あくまでそれは参考程度だ。大切なのは君にはどんな仕事ができるかだ。そのことの大半は「君にしかできないこと」ではなく「他の人でもできること」なんだ。他の人でもできることのクオリティーを上げて、他の誰かではなく君自身がその仕事を勝ち取るしか君が生きる道はない。

誰にでもできることのクオリティーを上げること。仕事の速さと正確さを上げること。これって受験勉強と同じではないか。受験勉強で期待されることと仕事で期待されることとはかなりの部分でダブるのだ。受験勉強なんて将来役に立たないという人がいるが、それは間違いだ。

「仕事がないなら、君自身が仕事を作り出せば良いではないか」などと言う人もいる。IT関係を中心に、過去にはなかった仕事を作り出して活躍している人達は沢山いる。ベンチャーの時代だと言われている。NPOに飛び込む人も多いと聞く。彼等の豊かな発想力で新しい仕事を生み出すその勢いには敬服する。数少ない成功者だからこそその勇気とエネルギーを称えたい。

だが、大半の人は今現在ある仕事、今現在ある会社を選択することになる。その時に君に期待されているのは君の個性ではない。一定以上の仕事のクオリティーだ。正確さや速さだ。

オイシイ問題

テストで差がつくのはどのレベルの問題でしょうか?

標準問題と一部の応用問題です。
基本問題は誰でも解けます。
発展問題などは普通の定期テストでは出題されません。公立高校の入試問題でもあまり見かけません。

標準問題や一部の応用問題では、何故差がつくのでしょうか?

それは、解ける人と解けない人がいるからです。
当たり前ですよね。

解ける人と解けない人がいるような問題を正解することで、他人よりも頭一つ出ることができるのです。
誰でも解ける問題や、誰も解けない問題では差がつかないのです。

ということは、

標準問題や一部の応用問題を大量に解いて慣れておくことで、学年順位を確実に上げることができます。

ところが、ワークは紙面の関係で標準問題だけを大量に掲載することは難しいのです。
「誰にでも使ってもらえる」教材、そして、「売れる」教材にするためには基本や発展も外すわけには行かないのです。
その分、一番「差がつく」標準問題と一部の応用問題が削られてしまいます。

結果を出せない塾に存在価値はありません。

塾が結果を出すとは、偏差値を上げ、校内順位を上げ、志望校に合格させることを意味します。

一言でいえば、塾生を他の生徒よりも上に上げることです。

そのためには、標準問題と一部の応用問題の大量演習とその反復が有効です。
というか、それしかないでしょう。

私が長年、プリントのデーターベースを利用している理由はここにあります。

差がつく問題の大量演習。
私は「美味しい問題」の演習と呼んでいます。

「美味しい問題の大量演習」しか他人と差をつける方法はないのです。

美味しい問題を大量に。

美味しい問題も何度も反復すると飽きてきます。
そう、
飽きてきて、つまらなくなって、美味しい問題がまずくなるまで演習した人だけが勝利者になれるのです。

動くと見える

図形の証明問題では、一本の補助線を引くことで、図形の見え方が全く変わることがある。補助線にはお決まりのものもあるが、多くはひらめきによるものだろう。ひらめきは、試行錯誤を繰り返せる人だけに身についてくるものだ。沢山の経験を積んだ人ほど、良いひらめきがやってくる。沢山の失敗をした人ほど、良い補助線が引ける。

「経験ってどうやったら積めるのですか」
とか、
「失敗を沢山するにはどうしたらよいのですが」
などと聞いてくる人は、全てのことに正しい道がある、という固定観念にとらわれている人だろう。

とにかくやってみる。それだけだ。

一つ動いてみる。それだけで「見え方」が全く変わってくる問題は沢山ある。
数学の問題に限らない。様々な「問題と呼べるもの」全てに当てはまることだ。

動かない人に限って、正しい動き方があるという固定観念に縛られている。
とにかく動いてみること。

創作者の苦悩


「どのような時に創作意欲が湧くか」という問いに、ある作家と詩人とが偶然同じ答えになった。
その答えとは、「原稿の締め切り日直前」。
おいおい、何とも作家先生たちに対する憧れを打ち砕くに十分な答えではないか。
現実的過ぎる答え。作家先生たちの「日常」までが垣間見えてしまいかねない夢のない話。

でも、これこそが正直な答えであり、なおかつ創作というものの本質を見事に表現した言葉ではなかろうか。

締切間際ギリギリにになって、カレンダーやスケジュール帳と睨めっこしながら、あるいは編集者の顔を思い浮かべながら、間に合わなかった時の言い訳なども用意しつつ、「出てこない、出てこない」とイライラしながら「創作」に取り組む姿。
もしかしたら、これこそが創作行為の本質なのかもしれない。出てこないアイデアを無理やり絞り出す。いつになってもやる気が起きない状況でも、逃げるわけにゆかないのでとにかく机に向かう。

そんな作家先生たちののたうちまわる姿を想像したときに、憧れがさめるどころかますます彼等を好きになりはしないだろうか。彼等も普通の人間であり、仕事として創作というものを選んでいる。仕事である以上、やる気が起きないなどとは言ってられない。確かに凡人よりも優れた創作能力を持ち合わせてはいるだろう。しかし、何もないところからものを作り上げ、日々評価にさらされる苦しみと日々戦わねばならないのだ。仕事と戦っているのだ。そう、仕事と戦うという点においては私達と何ら変わらない人間なのだ。

私達は、創作というとアイデアが天から舞い降りてくるものだと勝手にイメージしてはいないだろうか。ないものを作り出す行為。それは地べたに二本足で立つ「普通の」人間が、その限りある能力から絞り出しているものなのだ。

今までになかったものを意図的に作ろうとする行為。

だからこそ、彼等は私達の想像を超えた作品をつくれるし、それが私達に心の底からの感動を与えてくれるのではないだろうか。創作の場に自分を追い込み、新しいものを創りだす行為を「仕事として」生きているという一点において、やはり作家は作家なのだ。凡人は創作をしようとして自分を追い込んで机には向かわない。

そう考えると、期末テストに逃げずに立ち向かう生徒達は将来仕事に取り組むための格好のトレーニングを積んでいるともいえる。


今日の教室は早朝から熱気ムンムンだった。
途中、塾生の求めに応じて窓を大きく開けた。
早朝から、退出時刻まで、つまり半日以上も自分と戦った塾生も複数。
期末テスト直前の塾生あり、実力テスト直前の塾生あり、そうそう、センター試験プレテスト直線の塾生も。
いよいよ真剣モードに突入です。

それと、

本日、1名入塾。
自分自身と戦う覚悟ができたようです。
結果を出しましょう!


勤労感謝の日の思い出

勤労感謝の日はこの話をする日です。


大学受験時、9月から浪人した私は成績が思うように上がらないまま11月後半を迎えていました。忘れもしない11月23日は模試の日。何故、忘れないのか。実はこの日の模試の結果だけが唯一希望をつなげられる結果だったのです。結果が返却されたのは12月中旬。この1回だけの「希望」を握りしめて、1月からの受験に臨んだのでした。

この時期の受験生は焦りますよね。

思い通りに成績が伸びない、一番苦しい時期です。
この焦る気持ちの中でも「今日も着実な一歩」を心掛けて欲しいのです。焦ったり絶望したりしても布団をかぶって寝たりしない。どんなに気持ちがイライラしても、心をクリアーにして問題集を1問1問解き進める。追い詰められた時にこそ、この「着実な一歩」を進められる強い人になって欲しいのです。このようなチャンスはなかなかありません。苦しい時こそ、小さな一歩を進める。小さいけれども着実に前に進んだ自分を褒めてあげる。そんな受験生であって欲しいと思います。

報酬

家のお手伝いはさせるべきです。
「任せる」形で。つまり、責任を持たせる。

それが、家族という最小単位での社会で生きてゆく自信につながります。その自信が外の社会に出てゆく勇気になります。

このお手伝いに「報酬」を支払うのは如何かと思うのですが。報酬を払った瞬間にその意味合いが全く違ってきてしまいます。

家族という小さな社会の中で生きてゆくには相応の役割がある、という当たり前のことをするだけです。

このような考えは、最近理解されなくなってきていると感じています。

感謝を形で示す意味でも「報酬」は必要なのだと考える人が急増中のようです。

覚悟が前提、ミスマッチなし

齊藤塾は、結果の欲しい人が覚悟して飛び込む塾です。
だから、入塾初日から全開指導です。

覚悟が前提なので、ミスマッチはありません。
そんなことを考える暇があったら、私の課題を日々乗り越えるだけです。

成績が思うように伸びない。

その原因は一つ。

「復習」の不足。

「復習なんて、ちゃんとやってますよ」という人へ。
何回やりましたか?
まさか、1回や2回じゃあないでしょうねえ?

結果が出るまでやるのが復習です。
結果の出ない人の復習って「ただ、ノートを眺めているだけ」ということが多い。

結果が出るまで復習するという経験。
その経験なしに「オレは頭が悪い」なんて言うなよ。

自分の手を動かせば、もっと定着する。

手を動かせよ!
脳ミソを鍛える手っ取り早い方法。
それは、自分の手を動かすこと。

やったことないから、その効果が分からないのですよね。

それが分からないまま、受験を迎える。
恐ろしいことです。
それが分からないまま、大人になる。
これは、もっと恐ろしいことです。

塾って、そういう「当たり前のこと」を体感させる場です。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

合格実績(2012年~2020年までの合計)前橋高校4名、前橋女子高校8名、高崎高校5名、高崎女子高校7名、群馬高専5名、渋川高校20名、渋川女子高校17名、高経附高校3名、前橋育英S4名(中学受験については初年度からの合計で中央中等8名、佐久長聖中8名それぞれ合格、大学受験については、群馬大、埼玉大、茨城大、信州大、新潟大、静岡大、早稲田大、慶応大、津田塾大、東京女子大、明治大、法政大、成城大、東洋大、獨協大等多数合格・詳細は下のホームページからどうぞ)

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