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自分にとっての常識の作り方

本は、1回読んだのでは読んだことにはならない。
何度も読み返すことで、それまでの読み方では気づかなかった点に気づくことが多い。
だから、何度も読み返す。

それでは他の本が読めないではないか。
そうかもしれない。
しかし、繰り返して読まなければその1冊も読んだことにならない。
つまり、ゼロ。

中途半端に何冊も読むのと、1冊を咀嚼するのとどちらが良いか。
1冊の本が完成するまで、その著者がどのくらいのたうちまわったことか。
何度も何度も書き直して、ようやく世に出せるまでになったもの。
中途半端な読み方で、著者が伝えたかった本質を見誤りたくないものだ。

そういえば、塾のワークも同じ。

人類の到達した学問のエッセンス。
それが効率よく身につくように苦労に苦労を重ねて教材として完成している。
中途半端な使い方はしたくないものだ。
10回反復して欲しい。
それが自分にとっての「常識」になるまで。

考える、とは


書くことは考えること。
考えることは書くこと。

手を動かして、形にして行くことで少し思考が深まる。
最初から書くことが決まっているわけではない。
書いているうちに、思わぬところに自分が導かれている。
そんな感じでしょうか。

これは、行動全般に話を拡げても同じでしょうね。
行動することで、視界が変わり、思考に大きな変化が表れる。
行動してみる前には思いもよらなかった所に到達している。
それが、次の行動への動機づけへと繋がってゆく。

勉強でもビジネスでも、強い人は手を動かし、体を動かしていますね。

孤独に

勉強は孤独にやるものです。

和気あいあいと楽しくやる勉強などあり得ません。

孤独とは自分と向き合うことです。
勉強の苦しみと向き合う時に、自分の弱さ、情けなさが浮き彫りになってきます。
それまでは適当に誤魔化したり、棚上げしたりして来たことが自分の目の前にさらけ出されます。だから、苦しい。自己嫌悪に陥ります。

これほどまでに自分は弱かったのか、と。見たくないほど情けない自分。でも、それが現実。動かしがたい現実。今まで自分はいったい何をやってきたのだ。そんな自分と向き合い、そしてその立ち位置からやり直すしかないのです。自分の弱さに、目をそらすことなく向き合った人だけが強くなれます。これほどまでに自分は弱かったのかということが、腹の底から分かったときに、新たなスタートが切れます。

流行とチャンス

人は、はやりに流される。皆と同じだと安心だからだ。人間とはそういう動物。

だったら、思いっきり自分の好きなことを集中的に勉強して偏差値の高い大学に行こうよ。
差別化とはそういうこと。
競争相手達が戦わずして去っているのだから、君の好きなことの競争相手も少ない。

群馬でもオシャレな高校は人気が高い。

人気が高いから当然倍率も高くなる。
倍率の高い高校に合格するには、死にもの狂いで勉強しなければならない。
オシャレに受験勉強した人は失敗して、死にもの狂いに勉強した人はオシャレな高校に受かり、オシャレな高校生活を送れる。まあ、そんなものだ。

不思議なことに、他人のやっていることと反対のことをやるオシャレというものは存在しないようだ。
「同じような」オシャレに人は殺到する。

だから、チャンス到来!

自分の道を見定めて、まっすぐに突き進む君にはほとんど競争相手はいない。

こちらから出向いて好きになること。

苦手科目については、ぞんざいに扱っている人が多い。

ぞんざいに扱うから、その科目からあなたもぞんざいに扱われてしまう。

好かれたければ、好きになること。

好きになる理由がないと好きになれない。
これでは普通のことです。

そうではなくて、

「まずは」好きになろうとすること。
好きになる努力をしてみること。

やってみると、このことって、意外とできるものですよ。

そうすると、向こうからも好かれる。

相手を変えることは基本的に不可能ですが、自分が変わることはできます。
自分の行動は自分の意志で決められるから。

自分が変わることで、相手の自分に対する見方が変わる。
自分が変わるから、相手も変わる。

「自分が変わる」と決めたら、まずは一歩だけ前に進めてみること。

金ピカ先生

金ピカ先生(佐藤忠志先生)が亡くなりましたね。

個性際立つ予備校講師の中でもまさに「ピカイチ」の存在感。

これぞ、予備校講師と呼ぶにふさわしい先生。

最近、テレビ等でもお見受けしませんでした。

晩年はご病気され生活保護を受給されていたとか。

浮き沈みの激しい人生。

ある意味佐藤先生らしい、とも言えるかな。

実は、

私は予備校講師としてスタートした頃の佐藤先生を知っているんです。

個性的な先生って、最初から個性的なんです。

一回目の授業の時から、もう目立っている。

思えば、

私は、予備校職員時代に余りにも多くの個性的な講師達の生きざまを見て来た。

教えることに命をかけている人達の息づかいを肌で感じて来た、とも言えるのです。

教えることだけで生きている人々の生きざま、その真剣さ、本物感。

それを私は20歳前後で見てしまったのですね。

あれで、

私の人生の方向性は決まったのかもしれません。


ああ、また自問が始まった。

あの個性溢れる本物講師達に少しでも近づけているか。

本物達と身近に接することができた、というのは私だけの特権のはず。

その特権を生かしきれているか。

自問。

佐藤先生の訃報は、私に原点を思い出させてくれました。

一人一人がそれぞれに自分なりのやりかたで「とんがっていた」講師達。

「教えることだけでメシを食う」という妥協のない姿勢・・・。



佐藤先生のご冥福をお祈りいたします。



決定版です。

各学校実施実力テスト結果を集計し直しました。

学年3位の報告がありましたので。

これが決定版ですね。

学年1位・・・4名
学年2位・・・1名
学年3位・・・4名
学年4位・・・1名
学年6位・・・1名
学年8位・・・2名
学年10位・・・1名

地方創生、再掲

「地方創生」「農業再生」・・・

言葉だけが踊る。

「では具体的には何をしようというのか」
「それには地方に活気が戻るように・・・」
「そうじゃない、具体的にだ!」
「ですから、様々な施策を組み合わせつつ・・・」
「そうじゃない、『何』をだ。まさか、金だけ使えばやったことになるような施策じゃあないだろうなあ」
「・・・・・・」

日本が初めて経験することを前にして、時間ばかりが過ぎている。

先人が苦労して切り拓き、守り続けてきた田や畑が今この瞬間も確実に死へと向かっている。厄介なことに山村にはもう人がいない。10年後はさらに。

私?

申し訳ないが私は田舎の「塾人」だ。

感動の源


「分かる」ということは感動につながります。
人は感動するために生きている、と言った人がいる。
私達は「分かりたい」のですね。
まずはしっかりと分かること。スピードはそれからです。
反復学習によって、問題を解くスピードなんて格段に伸びるものなのです。
でも、分からなかったらスタートラインに立てない。

齊藤塾では反復学習を徹底し、それで結果を出しています。
しかし、その前段階の「分かる」についても重要視しています。
当たり前ですね。
「分かる」の段階がなければ、次の反復には移行できないからです。

自分で決断するからシビレルのだ。

中学校での進路相談でも、漠然とした見通ししか立っていない生徒は、担任の先生に問い詰められた、という時代がかつてあった。「君はその高校で何に取り組むつもりなのか」と盛んに問い詰められた時代があったのだ。今ではそれほどでもなくなったようだが。生徒達は夏休みに盛んに高校見学、体験入学を繰り返し「慎重に」選んでいるいるから、問い詰める必要がなくなったのか。高校入学後の退学理由に、ミスマッチ以外にも様々なものがあることが分かってきたからなのか。

「モラトリアムの時代」とは言われなくなってきたようだ。決定先送り人生を揶揄する空気感も今はあまりないようだ。私は個人的には、日本社会の緩い将来決定システムは嫌いではない。ドイツのように人生の早い段階で方向性を決められてしまう社会は、若者にとっては可愛そうだと思っている。ある程度は「迷わせて」あげたいと思っている。

その迷うきっかけを作ってくれるのが受験だ。

限られた地域の限られた高校の中から選択することが求められる。どこかで腹を決めなければならない。しかも、実力をつけて合格が視界に入らなければ受験すらさせてもらえない。

大いに迷って欲しい。大いに苦しんで欲しい。
むしろ、安易に決めるようなことがあって欲しくない。

迷う中で「とりあえず普通科」はありだ。

中3段階で、自分の適性も将来の夢も漠然としている人は、可能性を残せる普通科に進学することにためらう必要はない。逆に、自分の将来にある程度の方向性が見えて来ている人は、職業高校に進学することで仕事が身近に感じられて幸せな高校生活が送れる可能性が高まる。

様々な情報を集めたり、人に相談したりしながら絞ってゆくわけだが、それでも絞れない人も出てくるだろう。沢山の本を読んだりして大いに迷って欲しいと思う。

私からは一つだけアドバイスしておこう。

他人より「一歩前に踏み出すこと」をお勧めする。

直接人に会いにゆく。電話をかけて相談させてもらう。手紙やメールを送ってみる。一歩前に踏み出すとはそういうことだ。

生徒にこのようにアドバイスするとほとんどの生徒の反応は同じだ。
「いや、いいですよ。そこまでしなくても、だいたい分かりますから」など。

勇気がない。面倒くさい。そう言わないだけで、生徒の顔がそれを語っている。そこまで真剣にならなくてもだいたいでいいんだ、と。

だから、良いのだ!

大半の生徒はそんなことをしない。(少なくとも日本人の大半はそういう発想だ。)
だから、一歩踏み出せる人は光って見えるのだ。
「この子は普通の中学生とはちょっと違うぞ」と思ってもらえる。

自分の志望校だ。家族や先生に決めてもらうなどということのないように。どんな下手な選択だったとしても、自分で決めたことなら後で必ず「学び」が生まれる。苦しむ中で情報を集め、本を読み、そして他の人のできない一歩を踏み出して欲しい。

この一歩を踏み出すときのシビれる感じ。これを是非味わって欲しい。
何年経っても、思い出してしまうようなシビれる瞬間。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

2019年合格実績
前橋高校1名、前橋女子高校1名、高崎高校2名、高崎女子高校2名、群馬高専2名、新潟大歯学部1名、中央中等1名(その他・過年度分は下のホームページからどうぞ)

* お問い合わせは下記問い合わせバナーからどうぞ。
* 齊藤塾ホームページへは下のリンクからどうぞ。

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