「私」で始まる作文
生徒が書いた作文。
私は、書き出しの最初の文字を言い当てることができる。
これは、入試対策の作文でも、中央中等適性検査対策の作文でも同じ。
最初の文字は、
「私」だ。
生徒に自由に書かせた作文の9割以上は「私」で始まっている。
次に多い文字。
これも言い当てることができる。
「ぼく」か「僕」だ。
つまり、同じ。
小論文のような体裁をとる文章を書く場合、自分自身の個人的考えであることは当然なのだが、それでも敢えて「私」一人の考えではないことを前提とした書き方をすべきだ。人を説得しようとする文章を書こうとする時には、「私」個人の意見であると受け取られる書き方はよくない。
「このように理屈を積み重ねれば。誰でも次のような結論に至るのだ」という体裁を取らないと説得力が半減する。読者に「それはあなた個人の考えですよね。私はあなたの考えとは違います」という態度を取られると、文章を書く者としてはつらい。
だから、小論文には「私」はあまり入れない方がよい。そもそも、この「私」が書いているのだから、「私」を入れる必要など最初からないのだが。
これは、問題に「あなた自身の考えを述べよ」という指示があったとしても同じだ。
「私」の入っている文章と、入っていない文章が手元にあったら読み比べて欲しい。どちらが締まった文章か。どちらが大人らしい文章か。印象が全く違うはずだ。
私は、書き出しの最初の文字を言い当てることができる。
これは、入試対策の作文でも、中央中等適性検査対策の作文でも同じ。
最初の文字は、
「私」だ。
生徒に自由に書かせた作文の9割以上は「私」で始まっている。
次に多い文字。
これも言い当てることができる。
「ぼく」か「僕」だ。
つまり、同じ。
小論文のような体裁をとる文章を書く場合、自分自身の個人的考えであることは当然なのだが、それでも敢えて「私」一人の考えではないことを前提とした書き方をすべきだ。人を説得しようとする文章を書こうとする時には、「私」個人の意見であると受け取られる書き方はよくない。
「このように理屈を積み重ねれば。誰でも次のような結論に至るのだ」という体裁を取らないと説得力が半減する。読者に「それはあなた個人の考えですよね。私はあなたの考えとは違います」という態度を取られると、文章を書く者としてはつらい。
だから、小論文には「私」はあまり入れない方がよい。そもそも、この「私」が書いているのだから、「私」を入れる必要など最初からないのだが。
これは、問題に「あなた自身の考えを述べよ」という指示があったとしても同じだ。
「私」の入っている文章と、入っていない文章が手元にあったら読み比べて欲しい。どちらが締まった文章か。どちらが大人らしい文章か。印象が全く違うはずだ。