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障害に出合って思考は起動する

哲学者の谷川徹三さんによると、「考える」ということの原初的形態は「我々が生活の中で何らかの障害に出合って、我々の意志が阻まれる場合、それに反応する一つの仕方」なのだと。

障害に出合わなければ考える必要もない、ということですね。

人は、考えなければ前に進めないような状況に追い込まれて初めて考えるということをする。何も考えずに日々過ごせる人が哲学的思考をすることなどあり得ないということなのかもしれません。

まあ、そうかもしれませんね。それほど人は怠惰なのでしょう。必要のないことはなるべくやらない。何らかの困った状況に追い詰められて、初めて頭を使い始める。何とか頭を使って乗り切ろうとする。考えなければ前に進めなくなって、やっと考えだす。

そう考えると、先人達が膨大な思考の遺産を残してくれているということは、それだけ先人達が様々な障害に出合って、その時々に思考せざるをえなかった。そんなな状況に追い込まれて、苦しみながら思考してきたということに違いありません。

受験も一つの障害ともいえます。

どうしても乗り越えなければならない。受験では様々なことを考える必要に迫られます。
深く考えるチャンスをもらったとも言えますね。

地方創生


地方創生、アイターン奨励などなどで田舎暮らしを後押しする施策、気運がちらちら見えますが。

テレビなどでもよく紹介されています。

田舎の良さをアピールする番組といっても良い。
多少の不便さを我慢すれば、何物にも代えがたい豊かな生活が手に入れれれる系の話題。

いくつかの事例紹介。

田舎暮らしに踏み切った人の紹介はそれで良いのですが、追跡調査番組ってほとんどないように思えます。
「今年の春から」とか「去年から」とかでは今後どうなるか分かりません。

古民家を改築しての陶芸。
廃校を利用してのベンチャー。
などなど。

本当に良かったら、誰も旗を振らなくても人は流れます。
補助金などつける必要もない。



成功例、失敗例(ごめんなさい)、紹介できる限り事実を示すことで皆で学べるし、考えるきっかけになるかと思うのです。

「大人」になるには

この2、3か月の間に起きた様々な事件について。

私なりにいろいろ考えてみました。

私達の社会が生み出したとも言える事件。

今の日本社会が迷い込んでしまった閉塞感。

その遠因を「ひとつだけ」挙げてみたいのです。


「おとな」になることを先延ばしできる社会が生み生み出したもの。


「おとな」になるにはどうしたらよいのか。
実は最近、そのあたりのことばかりが気になっているのです。

人を「おとな」にする唯一の方法。

それは、

「無理やり大人にする」

です。

これが私の答え。

人は、

大人にならなくても良いうちは、なかなか大人にはならない。

だから、無理やり大人にしてしまうべきなのです。
放っておいたら、いつまでも子供のままです。



さて、


いきなりですが。

養蚕の話。

桑を十分に食べて、脱皮を繰り返した蚕は口から糸を吐き出し始めます。
繭を作りたくなるんですね。
そろそろ繭をつくってサナギになりたい。

でも、

多数いる蚕の中には、まだ十分に育っていない者もいます。
「もうちょっと桑を食べたいよう」と言う顔をしている。
他人よりもちょっと遅れ気味の蚕。

養蚕農家は、この蚕をどうするのか。

無理やり桑を取り上げて繭をつくる場所(「まぶし」と言います)に放り込むのです。

さて、未成熟蚕はいったいどうなるか。

仕方なし、体を黄色にして繭をつくる体(「ずう」といいます)になってしまうのです。

もう、桑を食べられないのだから。

「時期がきたら」ずうになるしかないのです。
「もうちょっと待って」なんて言ってられないのです。
今まで桑を食べて「そこそこ大きくなった体」で繭を作るしかないのですから。



大人には、

「無理やり」なる。

それしかない。

好きになること

好きで勉強している人には誰もかなわない。

好奇心の趣くまま、気の済むまで調べる。研究する。問題を解く。

それが「許される」環境が理想だと思う。

じゃあ、今の中高生はそれが「許されて」いないと言いたいのか。

それには答えない。勉強の目的は様々で良い。個人差があっても良い。

スケジュール満杯の学生生活も良いだろう。充実しているともいえる。

ただ、気の済むまで自分と向き合う時間もあって良い。

何事にも代えがたい時間。そう思う。

最後の踏ん張り


ワガママな人は成績が上がりませんよ。
ここ一番、という時に踏ん張りが効かない。
幼い頃から、我慢すべき時には我慢できる、という経験を積み重ねた人は踏ん張れます。
才能だけに頼ったワガママな人は最後には勝てません。
サッカーでも野球でも、才能に恵まれていない人の方が大成し、天賦の才能だけでオシャレにプレーしている人が早々に消えてゆくのはそのためでしょう。

子供の頃から我慢を教えてもらった子は、親に感謝しましょう。
何物にも代えがたい宝です。


というわけで、ワガママな人は齊藤塾への入塾資格がありません。




浅間山が噴火したようですよ。

地方で生きる


「地方創生」「農業再生」・・・

言葉だけが踊る。

「では具体的には何をしようというのか」
「それには地方に活気が戻るように・・・」
「そうじゃない、具体的にだ!」
「ですから、様々な施策を組み合わせつつ・・・」
「そうじゃない、『何』をだ。まさか、金だけ使えばやったことになるような施策じゃあないだろうなあ」
「・・・・・・」

日本が初めて経験することを前にして、時間ばかりが過ぎている。

東大に行けなかった人達

学生運動が激しかった頃、東大入試が中止された年がありました。

東大を目指していた優秀な高校生はしかたなく京大、東北大はじめ他の大学に進むか、浪人して東大を目指すしかありませんでした。

それが・・・

どうも、この年に東大を受験できなかった人達に有名人が多いような気がしてならないのです。宗教学で有名なNさん、今も大人気の社会学者Uさん、反原発で有名な原子力学者のKさんなどなど。

たまたまなのか、悔しい思いを学問にぶつけたからなのか、東大以外の大学での教育が東大に負けず劣らず素晴らしかったのか。ノーベル賞受賞者が東大以外の大学出身者でほとんど占められているのも面白いですよね。

中国でも科挙の試験に失敗し続け、漢詩の道に進み名を残した人は多いですね。日本では三大随筆の作者は全て「うまく行かなかった」苦い経験をしています。

試練が人を鍛えるのか。
「たら、れば」に意味はないのですが。

何が幸いするか分からない。

そんな普通の教訓を確認しておきます。

まずは量

学習の極意:「量質転化」
中央中等の適性検査Ⅱで『継続する力』(児玉光雄著)の文章から出題されたことがありました。

『継続する力』の冒頭では、イチローはじめ多数のアスリート達を研究してきた児玉さんが私達に一番伝えたい「真実」が語られています。

児玉さんは『天賦の才能が天才をつくっている』という考えは明らかに間違っている、と言っています。生まれながらにして、天才として生まれてきた人間など一人もいない。一流と言われている人は、全てゼロからスタートして、日々の努力を継続させることにより、自らの才能を開花させた人達なのだ、と言っているのです。

『量質転化』こそ、あらゆる偉大なアスリートの共通点。この世の中で頭角を現したかったら、とにかく量を稼げばよい。つまり量を稼げば自動的に質は高まるのだ、と。

『量質転化』

何ともシンプルかつ重みのある言葉。
教育者に多いのは「ただ無意味に量ばかりやっても無駄だ。質の良い勉強をしなさいよ。」と言う人。
そのような人に限って、勉強の質を高めるための方法については触れません。
(「創造性」という言葉を乱発する人も同じ傾向にあります。いずれ考察します。)

質を高めるにはとにかく量をこなさなければならない、ということを教えてはくれません。
「最初から質など高まらない。まずは量をこなせ。トップアスリート達のように。」と教えるべきなのです。

 齊藤塾はその「量を稼ぐ」ための時間と場所、背中を押す為の指導を提供しています。

中央中等の試験倍率は毎年4~5倍ですが、出題者は試験日に出会った「受験者全員」に学習の極意は継続にあるという真実について考えて欲しかったのでしょう。



「そんなちっぽけなこと意味がない」と言ってやらない人が多い


努力とは継続のこと。
継続とはできることを毎日続けること。

毎日継続するコツは、「継続できるところまでハードルを下げる」ということ。
継続ができないと嘆く人に、継続できるところまでハードルを下げるようにアドバイスすると、必ず次のような答えが返ってきます。

「そんなちっぽけなことを継続しても意味がない」

一見「ちっぽけ」に見えること。これを「毎日」継続することで、とてつもない大きな山に登れるということが彼には分からないのです。いや、大半の人は分からない。
早く結果を出したい。早く見通しを立てたい。そうやって焦るから、ますます泥沼にはまってゆく。そして泥沼の中でまた焦る。悪循環。

丸暗記はクリエイティブに

何かを丸暗記すべき時には、ストーリーで覚えたり、何かのイメージを作り上げて結びつけて覚えたりします。

この時の脳の働きは人が想像力を働かせる時と同じではないかと思うのです。

一見対極にあるように思える丸暗記と創造性。
結構距離が近いのではないでしょうか。

教育に携わる人の多くが創造性という言葉を安易に使い過ぎます。
何の定義もせずに何となく「創造的」「創造力」という言葉も使っている。

よく、

「創造力豊かな作品に仕上がった」
「授業は創造的であるべきだ」
「彼のように創造性豊かな仕事をしよう」

など、良く聞かれます。
正論なので反論する人はいない。
でも、雰囲気だけ。

じゃあ、この場合の「創造」ってどういう意味かと問われて答えられるのでしょうか。

私には、結果を見てからそれを評価しているだけに思えます。
成功者が結果を出したのを見てから「何故成功したかというと、ここで創造性を発揮して・・」などと。
創造的なのは結果。

何かを創造するのは産みの苦しみ。
丸暗記も同様に苦しい。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

【遠方の方も吾妻線を利用して、土日、祝日中心に通っている塾です。長時間の個別演習形式で鍛えて結果を出しています。お気軽にお問い合わせください。】

合格実績(2012年~2020年までの合計)前橋高校4名、前橋女子高校8名、高崎高校5名、高崎女子高校7名、群馬高専5名、渋川高校20名、渋川女子高校17名、高経附高校3名、前橋育英S4名(中学受験については初年度からの合計で中央中等8名、佐久長聖中8名それぞれ合格、大学受験については、群馬大、埼玉大、茨城大、信州大、新潟大、静岡大、早稲田大、慶応大、津田塾大、東京女子大、明治大、法政大、成城大、東洋大、獨協大等多数合格・詳細は下のホームページからどうぞ)

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