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男の子というもの

本日、実力テスト学年1位の報告を受けました。

これで、この学年では、

1位、2位、4位

が齊藤塾の塾生です。



さて、

今日は、

「男の子は何を考えているか分からない」

お母様方からよく聞きます。

キーワードは「プライド」です。

男はプライドで生きています。それは少年でも同じ。
だから、プライドが傷つけられると目の色を変えて怒ります。
だって、プライドが傷ついたままでは、男の子は「生きて行けない」からです。
お母様には、それほど怒ることかなあ、としか見えないレベルですが。

プライドを維持するために突拍子もない行動もとります。
突拍子ないように見えるのは、それは男の子のプライド保持の側面から見ていないから。
その部分を見ないで、表面的な行動(=結果)だけを見るから理解不能になるのです。

例えば、お母さんに宿題をやりなさいと言われたときだけは、男の子は「絶対にやらない」のです。
試験前にテレビを見ているので「明日試験だよねえ」とお母さんが確認しただけで、「布団をかぶって寝てしまった」とか。
試験前にバットの素振りばかりしている、とか。

お母さんは女性なので、理解できない部分も多いかと思います。
男の子はそれほど「子供」だし「デリケート(ナイーブ?)」なんです。
ところが、結果として表に出てくる行動は「粗暴」だったりします。

まずは普通


自己実現もよいでしょう。

自分探しもよいでしょう。

でもね、

その前にすべきことがあるのです。

オンリーワンを目指す前にすべきこと。

それは、

まずは、この社会に受け入れてもらえるだけのクオリティーに達すること。

それって、簡単なことではありませんよ。

私がいつも言っていることですが。

普通って大変。

普通って凄い。

普通って力強い。

ネジの話

錆びついて動かなくなったネジ。

昔の人は知恵がありました。

錆びついた部分にわずかに油を染み込ませ、しばらく置いておく。
そして、少し動かしては様子を見る。

これを繰り返す。
決して無理はしない。ネジの声を聞きながら、少しやってみては様子を見る。

すると、

動かないはずのネジが動くことがあるのです。

知恵とはそういうものなんでしょう。

決して焦らない。
焦らないが諦めることもしない。
淡々としている人は、だから強いのですね。

動かないはずのネジが動いた時の感動は、その人自身のものです。
他人の評価などどうでもよい。(再掲)

私はこのネジの話が大好きです。

「根性」は死語ではない。ここにある。


土日は遠方からの通塾生が増えます。
中高一貫校の生徒も。

齊藤塾の教室なら集中して学習できる、とよく言ってもらえます。とは言うものの、10時間近くもひたすら勉強し続けるというのはやはり凄い。今の中学生にも根性ある人が沢山いますよ。

そういえば、以前16時間学習していった生徒もいたっけ。
3食塾で食べて行った塾生もいた。
1番列車に乗って来て、早朝から入室した生徒も。

演習時間を長くとり、ピンポイントで指導するというのが自立型指導の方法です。
齊藤塾では、ひとりひとりの塾生がその日に最も取り組むべき課題を優先的に指導しています。

いくつかの幸運が重なって私は実家で塾を始めました。
一生を左右する時期の学習の場に齊藤塾を選んでくれた人に感謝します。
学校の勉強の延長線上にトップ校合格がある、との私の考えに共感してくれる人には全力で指導します。

苦しい読書


読書は自分との対話です。

一方的に書物から情報を得ている、と考えると見誤ります。

読むことで、自分の内面が刺激され、思考が起動するのです。

読書している時には、書物の言葉を一度自分自身の言葉として咀嚼するという作業がなされるのです。
自分の頭の中にある既存の情報に、新たに一つ情報が足されるのではない。
咀嚼の過程で、今まで自分の中にあった全てのものの立ち位置が、再構成を迫られるのです。
だから、読書はときに苦しい。
今までの自分でいることが、許されなくなることもある。
「自分全体」がすこし新しくなる。
自分自身の芯の部分は安泰で、周縁部に何かが「足される」のではない。

何度覚えても忘れてしまう

「何度覚えても忘れちゃうんです」


奇しくも同じ言葉を発した高齢の方が2名。

1名は80代で最難関資格の一つ「宅建」を取得した女性が発した言葉。
何度も何度も覚えるけれども忘れてしまう。だから、マーカーの色を変えて覚えなおすのだとか。

もう一人は、高名な英文学者が発した言葉。
現在、某大学の名誉教授。
英単語ってどうしてこんなに覚えられないのだろう。何度覚えても忘れてしまう。
だから、何度でも覚えなおす。

高齢になられてからも努力を続けているお二人から、奇しくも同じ言葉が聞かれた。
それも、自慢話でもなければ、要領の良い学習法でもない。
後に続く者へのアドバイスでもない。

自分はどうしてこれほどまで覚えられない人なのか。

だから、

私達凡人が覚えられないのはあまりにも当たり前。

この大先輩の二人以上に努力してから自己嫌悪に陥るなら陥るべき。

私達凡人は、

まずは、努力が足りない。
反復が足りない。
しかも、全然足りない。

人の視野は狭いから

学力低下の本当の恐さ。

それは、自身の学力が低下していることに気づけないことにある。

何故、気づけないか。

周りの人の学力も同じように低下しているから。

これほど、恐ろしいことない。

私達は、自分のことは自分だけでは分からないのだ。

周りの「人」の反応や振る舞いを見て、感じて初めて分かる。

自分が誰で、自分はどんな人で、自分の力はどの程度のものなのか。

それは、周りにいる人だけが教えてくれる。

人の視野は意外と狭いのだ。

教えてくれるのは、

遠くにいる人ではない。

自分自身でもない。

だから、

周りにどんな「人」を置くか。

どんな人の中で日々勉強するか。

どんな人達と刺激し合うか。

これほど大切なことはない。

自分一人では妥協してしまうことでも、お互いに切磋琢磨し合っている場面では許されない。

許されないから鍛えられる。

周りの友達が自分を鍛えてくれる。

それは「お互いに」だが。

塾は入塾者を選べるところだ。

私は誰でも入塾させるつもりはない。

そのつもりは毛頭ないのだ。

今の塾生達の切磋琢磨し合あうにふさわしい人だけ加わってもらう。

そして妥協なくお互に鍛え合って欲しい。

排除の思想ではない。

それくらい本気だということだ。

本気でやったことでしか人は学べない。

好奇心

好きで勉強している人には誰もかなわない。

好奇心の趣くまま、気の済むまで調べる。研究する。問題を解く。

それが「許される」環境が理想だと思う。

じゃあ、今の中高生はそれが「許されて」いないと言いたいのか。

それには答えない。勉強の目的は様々で良い。個人差があっても良い。

スケジュール満杯の学生生活も良いだろう。充実しているともいえる。

ただ、気の済むまで自分と向き合う時間もあって良い。

何事にも代えがたい時間。そう思う。

「本当の自分」に帰る時間。

「正しい方法」を探す前に

正しい方法。

あることはある。
近道はある。
確実に。

ある意味、それを教えるのが塾の仕事。
そして、それを自分のものにするのが塾生の仕事。

でも、その前に君にして欲しいことがある。

それは、自分で考えること。
めちゃくちゃぎこちなくて良い。
下手で良い。

恥ずかしくて、他人に見せられないような方法でよい。
君ひとりだけの脳みそを使ってどこまで考えたか。
それを見せて欲しい。

「全然わかりませんでしたぁー。正しい方法を教えてくださいよ。塾なんだから」

ダメです!

「自分なりにここまで考えてみました。ここまでしか分かりません」

OKです!

自分で考えることで、思考が深まっていますから、指導が染み込みます。
ゼロから教わる人に比べて、理解の深みが全く異なります。
だから、まずは「自分で」。


さて、今日もお問い合わせを頂きました。
有難うございます。

少しだけ前へ

図形の証明問題では、一本の補助線を引くことで、図形の見え方が全く変わることがある。補助線にはお決まりのものもあるが、多くはひらめきによるものだろう。ひらめきは、試行錯誤を繰り返せる人だけに身についてくるものだ。沢山の経験を積んだ人ほど、良いひらめきがやってくる。沢山の失敗をした人ほど、良い補助線が引ける。

「経験ってどうやったら積めるのですか」
とか、
「失敗を沢山するにはどうしたらよいのですが」
などと聞いてくる人は、全てのことに正しい道がある、という固定観念にとらわれている人だろう。

とにかくやってみる。それだけだ。

一つ動いてみる。それだけで「見え方」が全く変わってくる問題は沢山ある。
数学の問題に限らない。様々な「問題と呼べるもの」全てに当てはまることだ。

動かない人に限って、正しい動き方があるという固定観念に縛られている。
とにかく動いてみること。
これは書物では得られない経験だ。

読書は大切だ。当たり前だ。

しかし、書物に書いてあることの多くは「過去に結果が出たこと」や「多くの人が認めている共通認識」のようなものがほとんどだ。だから、書き手も「安心して」書いている。だって、結論については「保証付き」なのだから。だから、書物に現れているストーリーは結果からさかのぼって、逆方向からストーリーを組み立てているものが多い。結論が分かってから途中の筋道を整備している。丁度、迷路の正解のように。失敗した線は全て消し去って、正解のルートだけが示される。

騙されてはいけない。

この正解のストーリーだって、最初からこんなにきれいに組み立てられて来たものではないのだ。ボロボロの試行錯誤を繰り返し、みじめな失敗者達の屍の上を渡って来て、何とかたどりついた結論だったりするのだ。だから、教科書や参考書に書いてあることは「綺麗すぎる」。他の書物に書いてあることも「格好良すぎる」。そこにたどり着くまでの、ボロボロやドロドロを跡形もなく消し去って、あたかも最初から結論が分かっていたかのように書かれている。恥ずかしい失敗話はカットされている。

私達が知りたいのは、その失敗の方だ。見たいのは試行錯誤の記録。屍たち。

でも、それらはほとんど見せてはもらえない。

作家が自らの小説の推敲跡などを見せてくれることはまれだ。

しかたない。

だから、

自分の足で動くこと。
自分の手を使って補助線を引いてみること。
まずは一歩踏み出してみること。

「だって」と言う前に黙って歩を進めてみること。

ワクワクする世界がちらりと見えるかもしれない。全く違った視野が訪れるかもしれない。
動け!
小さな小さな一歩で良いから。

動くのは今この瞬間からだ。

明日からではない。

だって「小さな」一歩でよいのですよ。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

2019年合格実績
前橋高校1名、前橋女子高校1名、高崎高校2名、高崎女子高校2名、群馬高専2名、新潟大歯学部1名、中央中等1名(その他・過年度分は下のホームページからどうぞ)

* お問い合わせは下記問い合わせバナーからどうぞ。
* 齊藤塾ホームページへは下のリンクからどうぞ。

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