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前高も高高も文武両道。

前高も高高も文武両道を目指しています。

部活も定期戦も文化祭も全く手を抜きません。

両校とも、それが将来生きてゆく上での肥やしになるという確信があるからです。
大学合格実績でしのぎを削る両校ですが、合格実績を積み上げることだけを見ているわけではない。

さすが、トップ校の教育は深みがあります。


文武両道、それもよし。
一つのことに絞るシンプル生活、それもよし。

特に優劣はありません。

多方面で活躍する。
それはそれで素晴らしいこと。

一つのことだけに没頭する。
勿論、それも素晴らしい。

私達は自由なんです。

見えないプレッシャーを気にして、自分らしさを失うようなことがあったら、それは残念なことですね。

標準も平均もない。
比較対象もない。

期末テスト前、本質的な話を。「まず動いてみよう!」

図形の証明問題では、一本の補助線を引くことで、図形の見え方が全く変わることがある。補助線にはお決まりのものもあるが、多くはひらめきによるものだろう。ひらめきは、試行錯誤を繰り返せる人だけに身についてくるものだ。沢山の経験を積んだ人ほど、良いひらめきがやってくる。沢山の失敗をした人ほど、良い補助線が引ける。

「経験ってどうやったら積めるのですか」
とか、
「失敗を沢山するにはどうしたらよいのですが」
などと聞いてくる人は、全てのことに正しい道がある、という固定観念にとらわれている人だろう。

とにかくやってみる。それだけだ。

一つ動いてみる。それだけで「見え方」が全く変わってくる問題は沢山ある。
数学の問題に限らない。様々な「問題と呼べるもの」全てに当てはまることだ。

動かない人に限って、正しい動き方があるという固定観念に縛られている。
とにかく動いてみること。
これは書物では得られない経験だ。

読書は大切だ。当たり前だ。

しかし、書物に書いてあることの多くは「過去に結果が出たこと」や「多くの人が認めている共通認識」のようなものがほとんどだ。だから、書き手も「安心して」書いている。だって、結論については「保証付き」なのだから。だから、書物に現れているストーリーは結果からさかのぼって、逆方向からストーリーを組み立てているものが多い。結論が分かってから途中の筋道を整備している。丁度、迷路の正解のように。失敗した線は全て消し去って、正解のルートだけが示される。

騙されてはいけない。

この正解のストーリーだって、最初からこんなにきれいに組み立てられて来たものではないのだ。ボロボロの試行錯誤を繰り返し、みじめな失敗者達の屍の上を渡って来て、何とかたどりついた結論だったりするのだ。だから、教科書や参考書に書いてあることは「綺麗すぎる」。他の書物に書いてあることも「格好良すぎる」。そこにたどり着くまでの、ボロボロやドロドロを跡形もなく消し去って、あたかも最初から結論が分かっていたかのように書かれている。恥ずかしい失敗話はカットされている。

私達が知りたいのは、その失敗の方だ。見たいのは試行錯誤の記録。屍たち。

でも、それらはほとんど見せてはもらえない。

作家が自らの小説の推敲跡などを見せてくれることはまれだ。

しかたない。

だから、

自分の足で動くこと。
自分の手を使って補助線を引いてみること。
まずは一歩踏み出してみること。

「だって」と言う前に黙って歩を進めてみること。

ワクワクする世界がちらりと見えるかもしれない。全く違った視野が訪れるかもしれない。
動け!
小さな小さな一歩で良いから。

動くのは今この瞬間からだ。

明日からではない。

だって「小さな」一歩でよいのですよ。

懐かしい友

覚えた英単語。

これらを懐かしい友と呼ぶ人がいます。

なるほど、

毎日会っているわけではない。
会いたいと思ってもそうそう会えるものでもない。

でも、

忘れていると突然に出くわす。

「あれ?誰だっけ」

では相手に失礼。

予想外の場面で突然に出くわしてもにっこりと笑って「やあ、しばらくでした〇〇さん」とすぐに声がかけられないといけない。

だから、

いつ出くわしても慌てないように日々彼のことを思い出しておく。

そんな感じでしょうか。

そのくらい相手のことを大切にすること。

すると相手もこちらを大切にしてくれる。

突然出くわしたその瞬間に喜びの電流が走る。

焦りではなくて。

4つのポイント

立花均さんがその著書『能力を伸ばす四つのポイント』で以下を提唱されています。

再確認しておきましょう。

全てを言い尽くしていると思いますので。

1.教材のレベルを下げる。

2.部分(パーツ)をみがく。

3.同じ教材をくり返す。

4.ゆっくりていねいに。



期末テスト直前の人へ。

上記の4つを肝に銘じてください。


掃除

掃除と学習の共通点。

掃除は同じところを毎日やる。

同じ部屋の同じ窓を拭いているのに、昨日拭き足りなかった部分を今日見つける。
そしてそこを拭く。
全体、昨日よりもきれいになる。
昨日は見えなかった部分が今日は見える。
それは何故か。

昨日、そこ以外をきれいにしたから。
昨日ほかの部分をきれいにしておいたから、今日はそれ以外の部分の汚れが浮き上がって見える。
昨日の土台があるから、今日のさらに美しくなった窓がある。

学習もこれに似ている。

だから、毎日やる。
復習で何度でも上塗りをしてみる。

必ず新しい発見がある。
更なる深みが見えてくる。

それは、昨日までの学習の姿勢が甘かったからではない。
昨日までの学習の土台があって初めてそれが見えたのだ。

プリント主義

PCの発達のおかげでPC画面だけでの学習も可能になった。映像教材の発達により、有名講師の授業を田舎でも受講できるようになった。それはそれで素晴らしいこと。有難いこと。

検索して調べたりすることについてはそのスピード感が昔のような速度に戻ることは、もう私も耐えられないだろう。

ただ、メインの学習部分については紙と鉛筆を使い、手で書いた方が頭に入るような気がする。
「手を使うことで頭が働く」
使い古された言い方になるが、どうもそんな気がしてきた。
これについて塾仲間に端から聞きまわったわけではない。
統計を取ったわけでもない。
私の狭い経験から肌で感じたこと、とでも言えばよいか。

塾の教材屋さんも相変わらず(と言ったら失礼かな)ワーク教材をメインに営業している。デジタルや映像もあるが急成長しているわけでもないようだ。PC教材については、様々な教材屋さんが億単位のお金をかけたり、個人の塾長さんが手作りで作ったりして面白い挑戦をしている。それは応援したいし、良いものには今後もチャレンジするつもりだ。ただ、10年近く様々な手法を試してみた感想としては、やはり「紙と鉛筆」だ。

齊藤塾がプリント教材を採用しているのはそれが主な理由だ。PC利用は問題のデーターベースからの抽出としての利用にとどめ、生徒が問題を解くのはプリント上で、私が指導するのも紙上の生徒の文字を見ながら、という形に落ち着いた。かなり、クラシックな形態に戻った感じだ。
プリントだと生徒の解答を丁寧に見ることができる。プリントだと、同じ問題や類題を瞬時に作成できる。その点ではPCに助けられている。ただ、生徒が問題を解くときは紙の上で鉛筆を使っての格闘だ。

不安の正体

齊藤塾では実戦問題の反復という形で準備してきました。
塾生の中には、テスト前日になって、ある不安に駆られる人もいたかと思います。

その不安とは、

「この様な問題ばかりなら誰でも正解してしまう」

というもの。

準備すればするほど、どんな問題も自分にとっては「常識」になります。つまり、自分にとって「当たり前」レベルになる。「解けることが普通」という感覚にとらわれます。私が何度もこのブログでお伝えしてきた「こんなの常識だ。腹が立つなあ」という感覚に近い。「簡単すぎて腹が立つ」の一歩手前あたりの感覚でしょうか。

自分も解けるが、他の人も皆解けてしまう。
だから、校内順位も上がらないのではないか。

そんな不安も。

大丈夫!

このような感覚に襲われた人は、例外なく校内順位が上がります!

不安になるくらい準備した人は、全員校内順位が上がりますよ。
そして、そのように受験準備した人全員が志望校に合格します!

これは、断言できます。

勉強って、このようにするものなのです。
受験って、このように準備するものなのです。

そして、塾はこのことを教える場なのです。

手を動かそう

言いたいことはひとつ。
それも、いつもと同じ。

「手を動かそう」

それだけです。人間は手を使うことで脳が発達してきたようです。幼児はいつでも手を使って何かやっていますよね。白い紙と鉛筆を渡せばいつの間にか何かを描いている。

数学の計算を全て暗算でやることをポリシーとしているような生徒に教えたことがあります。暗算が良くできる生徒でしたが、時々間違う。プラス、マイナスや分数、小数まで出てくる計算で暗算することにどんな意味があるのか。

図形の証明問題。等しい角や辺について図に書き込みをしない。それで証明を完成させるのだから大したものですが、それでも時々間違う。
頭の中で考えるには限界があるから紙の上で考える練習をしているのに。
天から舞い降りてきた証明を書き写すかのように、図には手をつけずに綺麗に証明をかく。そんな生徒に教えたことがあります。

彼等のこだわりはどこから来たのか。

低学年での「成功体験」が足をひっぱっていなければ良いのですが。

手を動かすこと。そうすれば、思いめぐらすことが自然とできます。思いめぐらすことの楽しさを幼児期の早い段階で沢山味わって欲しいと願います。それには紙と鉛筆。キーボードやタッチパネルではない、と私は思っています。

個性


障碍(しょうがい)を持っている人が、芸術やスポーツなどで飛び抜けた才能を発揮することがある。

仮に、障碍がなければその才能が開花することはなかったろう。
ならばそれは強い個性と呼んでも良いのではないのか。

しかし、ことはそう単純ではない。

障碍を持っている人の多くがそれに「苦しんで」いるのだから。
その苦しみはどこから来るのか。

社会生活を営む上で不便だから。
差別を受けるから。特別な目で見られるから。

ちょっと待てよ。
それって社会の方が変れば比較的容易に解決できることなのではないのか。

強い個性の前で、社会の方が戸惑っているだけだったら、社会が変わることでその様相は大きく変わる。
「特別」や「劣っている」という扱いをして、強い個性を社会が受け入れられずに見捨てているだけだとしたら。

仮に、そうだとしたら。

社会はとても大きな損失に気づいていないことになる。

日本の社会は均質。
目立つことを嫌う。
出る杭は打たれる。
他人と違うことはいじめられる要因になる。

戦国時代でも幕末でも混乱した世の中を救ったのは「変人」だったのかもしれない。

厳しい時代が訪れようとしている。

日本を救ってくれるかもしれない「強い個性」を日本社会自らが潰すようなことがあってはならない。

自立型


私は、

齊藤塾の指導法にふさわしい、ごく限られた生徒を大切にしたいと考えています。
私の指導法を広めたいとは、全く考えていません。

大量の演習問題で個別に指導する塾です。


同様の塾を他には知りません。

地味に、確実に、学校の成績を上げ、偏差値を上げたいと心から思う人だけを対象とします。

塾生達は皆、静かに黙々と学習しています。

和気あいあいが好きな人にも合いません。

プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

合格実績(2012年~2020年までの合計)前橋高校4名、前橋女子高校8名、高崎高校5名、高崎女子高校7名、群馬高専5名、渋川高校20名、渋川女子高校17名、高経附高校3名、前橋育英S4名(中学受験については初年度からの合計で中央中等8名、佐久長聖中8名それぞれ合格、大学受験については、群馬大、埼玉大、茨城大、信州大、新潟大、静岡大、早稲田大、慶応大、津田塾大、東京女子大、明治大、法政大、成城大、東洋大、獨協大等多数合格・詳細は下のホームページからどうぞ)

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