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上位独占!

ある中学校の実力テストで齊藤塾の塾生が上位を独占しました。

1位、2位、3位、7位

いずれの生徒も過去最高成績(または過去最高タイ)です。
この時期にこれだけの結果を出せるのは素晴らしい!

努力とは継続のこと。
継続とは今日もそれをすること。

「苦しい」と「面倒くさい」の中間くらいのつらさ。

このつらさも、夢があるから耐えられる。

実力テスト結果が着実に上向いている。

モチベーションもあがりますね。

三者面談でも良い方向で話が進むはずです。


さて、

今日も入塾面接のご予約を頂きました。

ありがとうございます。
定員になり次第締め切ります。

視点

地獄を経験した人は強い。

地獄を乗り越えた人は優しい。

地獄を見た人は常に腹がすわっている。

そして、

地獄を知っている人は、欲をかかない。

欲をかかないから、常に感謝の気持ちでいられる。

ゆったりといつでも平常心。



さて、

今日は関西地方からある塾長さんが訪ねてこられました。
大変有意義な時間が持てましたね。
研究熱心な人は、山村にある小さな塾からも学びを得ようとされるのですね。
私も沢山の刺激を頂きました。

感謝。

自主的学習の爽やか感

今の時代、自主的に勉強できる生徒が少ないからと言って、自主的に勉強している人を褒めてはいけない。
当たり前のことをやっているだけだから。

当たり前のことをやっているのに、褒められてしまったら、その子はキョトンとするだけ。
また、褒められないとやらないようになってしまったとしたら、勿論それは最悪。

勉強だけしていれば褒められる生徒の「甘っちょろさ」が不愉快なのだ。
本人の責任ではないかもしれないが。
甘っちょろいから成果も出ないのだ。
甘っちょろい人は実感が乏しい。

自由に勉強できる幸せ感に包まれた「スッキリした」気持ちよさを、是非とも味わせてやりたいものだ。

生徒が勉強するのは当たり前。

当たり前の勉強を褒めることで、その価値を下げていることに気づいて欲しいものだ。

伝わる言葉・・

いくら正しいことを言っても、相手に伝わらなかったら無意味です。

無意味どころか、逆効果。

指導者でも親でも、それは同じです。

正しいことなのだから、何としても伝えねばならない。
ここで妥協したら、大切なことを教え込むチャンスを失ってしまう。
だから、一歩も引きさがってはいけない。
大人の責任として。

でもね、

その言葉が伝わらなかったらどうでしょうか。

厳しいことを言われた子供が、ただすねたり、逆切れしたり、と。
ガミガミ言い過ぎて、馬耳東風状態になっていたり、と。
不快な声が早くやんでくれるのを、じっと待っているだけだったり、とか。

「いやあ、今回は分かったようだよ。さすがの彼も下を向いて神妙な顔をしていたから」・・・・・

そうでしょうか。

良く考えて行動したいものです。自戒も込めて。

作家

作家。

締切間際ギリギリにになって、カレンダーやスケジュール帳と睨めっこしながら、あるいは編集者の顔を思い浮かべながら、間に合わなかった時の言い訳なども用意しつつ、「出てこない、出てこない」とイライラしながら「創作」に取り組む姿。
もしかしたら、これこそが創作行為の本質なのかもしれない。出てこないアイデアを無理やり絞り出す。いつになってもやる気が起きない状況でも、逃げるわけにゆかないのでとにかく机に向かう。

そんな作家先生たちののたうちまわる姿を想像したときに、憧れがさめるどころかますます彼等を好きになりはしないだろうか。彼等も普通の人間であり、仕事として創作というものを選んでいる。仕事である以上、やる気が起きないなどとは言ってられない。確かに凡人よりも優れた創作能力を持ち合わせてはいるだろう。しかし、何もないところからものを作り上げ、日々評価にさらされる苦しみと日々戦わねばならないのだ。仕事と戦っているのだ。そう、仕事と戦うという点においては私達と何ら変わらない人間なのだ。

私達は、創作というとアイデアが天から舞い降りてくるものだと勝手にイメージしてはいないだろうか。ないものを作り出す行為。それは地べたに二本足で立つ「普通の」人間が、その限りある能力から絞り出しているものなのだ。

今までになかったものを意図的に作ろうとする行為。

だからこそ、彼等は私達の想像を超えた作品をつくれるし、それが私達に心の底からの感動を与えてくれるのではないだろうか。創作の場に自分を追い込み、新しいものを創りだす行為を「仕事として」生きているという一点において、やはり作家は作家なのだ。凡人は創作をしようとして自分を追い込んで机には向かわない。

そう考えると、期末テストに逃げずに立ち向かう生徒達は将来仕事に取り組むための格好のトレーニングを積んでいるともいえる。

長時間塾


齊藤塾の教室なら集中して学習できる、とよく言ってもらえます。とは言うものの、10時間近くもひたすら勉強し続けるというのはやはり凄い。今の中学生にも根性ある人が沢山いますよ。

そういえば、以前16時間学習していった生徒もいたっけ。
3食塾で食べて行った塾生もいた。
1番列車に乗って来て、早朝から入室した生徒も。

演習時間を長くとり、ピンポイントで指導するというのが自立型指導の方法です。
齊藤塾では、ひとりひとりの塾生がその日に最も取り組むべき課題を優先的に指導しています。

いくつかの幸運が重なって私は実家で塾を始めました。
一生を左右する時期の学習の場に齊藤塾を選んでくれた人に感謝します。
学校の勉強の延長線上にトップ校合格がある、との私の考えに共感してくれる人には全力で指導します。

気づきのチャンスを与える仕事


「教えるのはたやすい。気づかせるのには苦労する」

教えてしまえば、とりあえずは到達したように見える。
一見、できるようになったかに見える。
生徒にも指導者にも。

でも、定着はしていない。
自分の頭で考えていないから。
自ら獲得した理解ではないから。

だから、次回同じような問題に直面した時に、同じように立ち止まってしまう。
そして、前回と同じように指導者の助けを求める。

自分で到達したものしか本物にはならない。
たとえ教えてもらったものでも、もう一度自分の力で到達してみることが大切。

指導者の仕事は気づかせること。
生徒が自分で動き、気づくことの道筋を作ってやること。
あくまでも手を使い、頭を使い、動くのは生徒。

自分自身で気づき、自分の足で到達したものだけが本物だ。
自らの経験は印象が強く、情報量が豊富なのだ。
「生きている実感」に裏打ちされた学習と言っても大げさではない。

指導者は教え過ぎてはいけない。
教え過ぎることで、生徒が自分の力で到達できるチャンスを奪ってしまうからだ。
生徒から貴重な学習のチャンスを奪ったのでは、指導者失格だ。


「分かる」は感動


スピード重視の今の時代、ややもるすと教育においても「分かる」ということをないがしろにしがちです。
速くできることが大切、と。
だだ、分からないまま速いということはあり得ませんよね。

「分かる」ということは感動につながります。
人は感動するために生きている、と言った人がいる。
私達は「分かりたい」のですね。
まずはしっかりと分かること。スピードはそれからです。
反復学習によって、問題を解くスピードなんて格段に伸びるものなのです。
でも、分からなかったらスタートラインに立てない。

齊藤塾では反復学習を徹底し、それで結果を出しています。
しかし、その前段階の「分かる」についても重要視しています。
当たり前ですね。
「分かる」の段階がなければ、次の反復には移行できないからです。

夜は寝ること


睡眠が確保できていないと、学習効果は半減します。
どうも、脳はそんな風にできているようなのです。

人の脳は眠っている間に情報の整理をしている。
その「整理」が甘いとせっかく取り込んだ情報が脳内に乱雑に放り込まれたままの状態になるようです。
まあ、それでは「使えない」。

情報は絶えず「更新」すべき。
学習に関して言えば「再編」の繰り返しなんですね。

そのための睡眠。

まあ、考えようで、寝るだけで整理されるのですから、ラクと言えばラク。

まずは、就寝時刻と起床時刻を決め「何があっても」守る。
それがスタートです。

教科書

中学生にとって、学業が最優先されるというのが建前だろう。
学業において、教科書がその軸になるということも異論のないところだろう。

それなのに、その教科書を端から端までくまなく何度も何度も読み返す生徒は少ない。

私の中学時代、数学の先生が毎回の授業時間の最初にミニテストをしてくださった。毎回、5問~10問程度。簡単な計算が主で5分もかからずに解けるテストだった。ほんの確認程度のもの。数学の得意な友人は勿論毎回満点だった。が、あるとき1問だけ間違えて憤慨しているではないか。教わった記憶のない問題がその日のミニテストに出て、満点が取れなかったというのだ。彼の連続満点記録を阻止したその問題とは「与えられた式の定数項を求めよ」というもの。数学の項のうちで文字の含まれていないものを定数項と言う。与えられた式の中から数字だけの項を答えれば良いだけの問題だった。5とか答えれば正解。彼はそれが解けなかった。知らなかったというのだ。「ちゃんと教科書に書いてあるよ」と私は教えてやった。

昔、群馬県の入試問題に「与えられた三角形と相似な関係にある三角形はいくつあるか」という問題が出題されたことがある。これは多くの受験生が間違った問題となった。何故正答率が低かったのか。それは、与えられた三角形と合同な三角形が図形の中に含まれていたからなのだ。
合同は相似に含まれるのか否か。
実は、合同な三角形も相似な三角形に含まれる。相似比1:1だ。これもちゃんと教科書に書いてある。普段そんな問題を解いていないだけだ。でも、教科書には書いてある。教科書には難問は載っていないし解法のテクニックもない。本当のエッセンスだけだ。その教科書にちゃんと載っていることなのだ。

だから教科書が基本なのだよ、などと言ってしまっては話がつまらなくなる。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

齊藤塾合格実績・・・前高、前女、高高、高女、高専、渋高、渋女、高経附、佐久長聖中、中央中等、樹徳中、埼玉大、新潟大、群馬大、静岡大、高等工科他

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