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中堅高校生の心構え

部活との両立に悩む高校生は多い。

特に高校入試合格安全圏偏差値が60前後の高校生の場合、上手に時間を使わないとMARCHレベルの大学に合格するのも難しい。ちなみに渋川高校、渋川女子高の安全圏偏差値は60~62だ。高崎北高校、高崎経済大学附属高校、前橋南高校などもこのあたりのゾーンに入る。

進学高校とはいえ勉強ばかりの高校生活はつまらない。それはよく分かる。高校生活3年間では勉強以外にも様々な経験をしたい。私もそうだったからそれは良く分かる。

でも、

高校3年間で学習する内容の難しさとその量はハンパではない。とにかく、やらねばならないことがやたらと多いのだ。特に、吾妻地区の生徒のように電車通学している生徒は時間的なハンディがある。これは明らかにハンディだ。「皆がやっているから」などと甘くみてはいけない。高校まで15分の所に住んでる人と同じことはできないのだ。

当たり前ではないか。ハンディを明確にハンディと受け止めた上で日々の生活を送る必要があるのだ。

そして、これらの高校に通っている生徒は前高、前女、高高、高女の生徒と同じように時間を使ったのでは同じレベルまで高校の学習を消化するのは困難なのだ。仕方ないではないか。そのための高校入試だったのだから。

苦しみを乗り越えた先の感動

実は、勉強は刺激的だし、楽しいし、感動的なものなのだ。
ただ、エンターテイメントのようにお金を払って待っていれば、誰かが楽しくしてくれるというものではない。主体的に関わらねば何も得られないのが勉強なのだ。嫌なこと、つらいこと、退屈なことを継続しなければならないのが勉強というものの特徴なのだ。

では、何故苦しみに耐えられるのか。何故、苦しい勉強を我慢できるのか。

それは、その苦しみを乗り越えた人にしか味わえない感動があるからだ。それを乗り越えた人にしか得られない世界があるからだ。苦しみに耐えることができる人はその感動の存在を知っている。感動をイメージする想像力がある。苦しみの向こうにある素敵な世界に飛び込めたときのワクワク感を知っている。苦しみを乗り越えなければ、決して得られないものがあることを知っている。苦しみを乗り越え、ワンステップ上がった時に「自分はこんなに凄いこともできる人だったんだ」という他では得られない自信が手に入ることを知っている。

勿論、結果についての保証は誰にもできない。でも、自分を信じて苦しみに耐えた齊藤塾の塾生達が希望を叶えてきたという「重い事実」を伝えることはできる。


さて、

「川島選手の活躍」までは私の予言通りでした。
「0-1で負けて決勝トーナメント進出」については誰も予想できなかったはずです。
未来は予想不可能。
未来は自らつくるものですから。

失敗したときこそ

「僕が大事だと思うのは、失敗してどーんと落ちた後に盛り返す力なんですよ。失敗したときこそ真価が問われる」

本田圭佑選手の言葉です。

逆境を何度も乗り越えてきた人の言葉は重い。

失敗したときこそ、学びがある。

負けに不思議の負けなし。

失敗しても、負けても、決してくさらない。

学びのチャンスと捉える。

期末テストが終わって反省しきりの人もいるでしょう。

学びのチャンス到来!

川島選手も大丈夫です。

今夜のポーランド戦は川島選手のスーパーセーブ連発で勝ちます!


自己主張する前にすべきこと


個性はアピールするものではない。にじみ出るものだ。

個性重視の教育、一芸入試の導入、アピールポイントの自覚、プレゼン能力を磨け・・まあいろいろあったけれど。
今多くの生徒達の関心の流れはどちらに向いているのかは明らかだ。
低学年のうちから、英検、漢検、数検、そのあとTOEICや資格試験などへと関心が移って行くのが実情だ。

あれ?個性の時代じゃあないの?

個性で飯は食えない。勿論、芸術家のような人達はいる。でも、芸術で飯を食ってゆくのは楽ではないことは誰でも知っている。だから、私にはこんな個性がありますといくらアピールしても、大概はそれがなんだということになる。当たり前だ。
個性をアピールする前に、そもそも君は何ができるのかねと聞かれることを皆知っている。

悪口のパターンと多様性

私達は他人の悪口をいうときに、ほとんど同じパターンを使っている。
「普通の人はあんなことをしないよね。」「普通の人はあんなこと言わないよね。」という類の言い方だ。
つまり、「あの人って変だよね」というパターン。悪口を言われている人が「変」であること。ある一定の標準から外れていることは、悪口を言われる条件を満たしていることになるのだ。「変な」人は悪口を言われてもしかたないという論理。いじめも「変な」人がターゲットになる。周りと違うことをする人。周りと同じことをしていない人。

これって生物学的にどうなんだろう。いじめって多様性を否定する行為になってはいないだろうか。いじめる側が考える標準から外れている人をいじめて排除する。この行為が期待していることの画一性って何だ。皆同じ枠の中に入っていることの安心感か。予想可能な行動を取る人たちの集まりの中で楽に生きたいのか。変な人を見るストレスが嫌いなのか。

そちらの方が変だと感じる感覚は持ち続けたい。

私が私であること。君が君であること。それ自体が存在価値。今生きていることそれ自体が人間社会の豊かさに貢献していること。他人と違うことはそれだけで良いことなのだ。

いじめによってこの豊かさをつぶして欲しくないと願う。

優秀層もモザイク

優秀層もモザイク
県内順位が一桁や二桁の優秀な塾生に対しても、指導することは沢山あります。
通知表が常にオール5の塾生に対しても、教えるべきことは山ほどあります。

私がチェックしてみれば、彼らの知識はモザイク状です。
ところどころに穴ぼこが開いているのです。
意外なところに苦手分野が存在していたりします。

知識は有機的につながってこそ機能します。
穴ぼこを一つ一つ修復することによって、今まで動かなかった歯車が互いに噛み合い、学習が一気に加速してゆきます。

優秀な人が「完璧に見える」のは、「完璧」から距離の遠い視野から見ているからです。
本人の視野から見たら「まだまだ」なのです。
学校の先生にいくら褒められても、本人は決して満足してはいない。

自分自身を一番よく知ってるのは本人ですから。

優秀な生徒が塾に通う理由がここにあります。



さて、今日は実力テスト学年1位の報告を受けました。
コツコツと努力する人は必ず花開く。
そんな典型例ですね。

スタンダード

スタンダードな学習に拘ること。

私達は楽lして到達できる学習方法は無い、ということが身に染みて分かっている。

楽ではない学習方法。

それは、スタンダードな学習方法。
教科書を読み、教科書の傍用問題集を解き、参考書の問題集に移行してゆく。
次に受験用問題集へ。

間違った問題にチェックを入れておき、何度も繰り返す。
暫くして、また復習する。

体に染みつくまで反復する。

試験場では考えていたら負け。
考えなくても手が動く位の「熟練」が求められる。

これは当たり前のこと。

塾ではこの当たり前のことを当たり前のこととして、徹底させる。

スタンダードな学習。

これは、

北海道から沖縄まで。
都市部でも田舎でも同じ。

教科書も参考書も大差ないものを使っているのだから、やるべきことは決まっている。

しっかりと学習時間を取って、やるかやらないかの問題。
この当たり前のことを齊藤塾では教え、徹底している。

スタンダードなことを私は意識させ、そして実行させている。

実は、スタンダードを実行できる人はごくわずかしかいないことを良く知っているから。

一度は嫌いになるくらいに

今、期末テスト直前の人も多いことと思います。

勉強を突き詰め過ぎて嫌いになる。
自分を追い込み過ぎて逃げたくなる。
その勉強をする意味が見いだせなくなる。


そんなことは往々にしてあるものです。


普通のことです。

行き詰まったり、迷いが出たりするのは、頑張っている証拠と言っても良い。

勉強それ自体は「大仕事」です。

極めて難しい仕事に挑んているのですから、常に順調に進むはずはないのです。

だから、

困難に直面したとしてもそれは「普通」のこと。

頑張っている人には、誰にでも起こること。

でも、

そんな時にこそ忘れてはいけない大切なこと。

「動きを止めないこと」

止まると自分が見えなくなることがあります。
自信を失いかけてしまうことがあります。

だから、動き続けること。

少しでも構わないから、前進しておくこと。





勉強と孤独


勉強は孤独にやるものです。

和気あいあいと楽しくやる勉強などあり得ません。

孤独とは自分と向き合うことです。
勉強の苦しみと向き合う時に、自分の弱さ、情けなさが浮き彫りになってきます。
それまでは適当に誤魔化したり、棚上げしたりして来たことが自分の目の前にさらけ出されます。だから、苦しい。自己嫌悪に陥ります。

これほどまでに自分は弱かったのか、と。見たくないほど情けない自分。でも、それが現実。動かしがたい現実。今まで自分はいったい何をやってきたのだ。そんな自分と向き合い、そしてその立ち位置からやり直すしかないのです。自分の弱さに、目をそらすことなく向き合った人だけが強くなれます。これほどまでに自分は弱かったのかということが、腹の底から分かったときに、新たなスタートが切れます。

仕事とは


仕事とは「すでに出来上がっている社会システム」の小さな歯車の一つとなって、責任を果たすことを言う。そのためには期待されていることがこなせなければならない。期待されていることはできないが、これなら得意だなどと繰り返す人が社会システムの担い手として責任ある仕事ができるとは到底思えない。そう、仕事には責任が伴うのだ。個性と責任という二つの言葉、この二つの距離は遠いように見える。

「私はこんな人です」などといくらアピールしても、あくまでそれは参考程度だ。大切なのは君にはどんな仕事ができるかだ。そのことの大半は「君にしかできないこと」ではなく「他の人でもできること」なんだ。他の人でもできることのクオリティーを上げて、他の誰かではなく君自身がその仕事を勝ち取るしか君が生きる道はない。

誰にでもできることのクオリティーを上げること。仕事の速さと正確さを上げること。これって受験勉強と同じではないか。受験勉強で期待されることと仕事で期待されることとはかなりの部分でダブるのだ。受験勉強なんて将来役に立たないという人がいるが、それは間違いだ。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

齊藤塾合格実績・・・前高、前女、高高、高女、高専、渋高、渋女、高経附、佐久長聖中、中央中等、樹徳中、埼玉大、新潟大、群馬大、静岡大、高等工科他

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