期末テスト結果
5教科合計点
① 476点
② 462点
今日までに報告があったのは2名だけですが、順調な滑り出しですね。
明日が期末テスト最終日の塾生も多いので、全員の結果が出そろうのは冬期講習直前頃になりそうです。
明日から12月。
いよいよ中学受験生達が追い込み時期となります。
高校受験生も大学受験生も苦しい時期ではありますが。
勉強したい時に勉強ができる環境にある。
これが、どんなに幸せなことなのか。
心の片隅に留めておいて欲しいと思います。
今そんなことを言われても困るでしょうが。
塾屋の私の言うべきことではないのかもしれませんが。
まあ、今日はこんなところで。
塾生達には冬期講習案内の配布を始めています。
もうそんな時期なんです。
さて、今日はいつものこの話の再掲です。
「もう後がない」という追い詰められた受験生だったときに私が常に自分に言い聞かせていた言葉があります。それは、「どんなに苦しくても、3月になれば終わる。」です。どんなにつらい苦しみでも、それが期限付きならば人は何とか乗り切ることができるのです。だからこそ、受験生は今のつらさから逃げることなく、自分自身と戦って欲しいのです。自分と戦う上で絶対に守って欲しいことがあります。それは、十分に睡眠をとること。(ちょっと意外かもしれませんが。)もっと具体的に言うと寝る時刻と起きる時刻をまず決めて、体に睡眠時間を保証し生活リズムを作ることです。いつになったら休めるのか分からない状態では体の方も「いつまで頑張れば休めるの?」と悲鳴をあげてきます。体にも期限付きで頑張ってもらうのです。我々の時間は有限です。その時間をいかに効率良く使うかで勝負は決まります。夜更かしの人ほどだらだらと夜の時間を無駄に使っています。夜の時間は無限にあるというような錯覚に陥ってしまうからです。
人間という動物は昼間に活動して、夜には休むようにできています。深夜1時以降まで学習することは非効率であるばかりかその分昼間の学習効果を半減させてしまいます。生活リズムが狂ってきてしまうからです。生活リズムが狂っている人は自滅してゆきます。家族が寝静まった深夜には集中して学習できるように思えるかもしれません。それでもあえて寝るのです。これが冷静な大人としての判断です。受験は大人になるために人生を学ぶ道場なのですから。だらだらといつまでも起きていて、時間が無限にあると錯覚しているのは子供です。冷静な頭で時間管理のできる「大人」に成長するチャンスを与えてくれるのが受験です。受験では君が大人の行動が取れるか否かを試されているのです。十分な睡眠がとれて体内時計のリズムが出来ている人は朝起きた瞬間からエンジン全開で生活できます。勉強や生活に前向きな気持ちにもなれるのです。昼間に睡魔が襲ってくることなどなく集中して学習に取り組めるのです。
私自身、追い詰められてどうしても受かりたいと思った時にまずやったこと、それは起きる時刻と寝る時刻を決めることでした。そのときから生活が一変しました。昼間の限られた時間をできるだけ有効に使い、その有限の時間内にその日の分の学習をする。そして、そのような生活を淡々と積み重ねてゆく。受験までの有限の時間(1日の学習時間×残された日数)に予定通りの学習を積み重ねたら、結果については素直に受け止めよう、という「腹がすわった」心持ちになりました。受かっている人は寝ています。だから、声を大にして言いたい。「夜は寝なさい! 勝ちたい人は寝なさい!」
本日は入塾のお問い合わせを頂きました。
有難うございます。
体験と面接の日程調整に入ります。
高い壁の真下まで行って上を見上げ、こんな高い壁は超えられるはずがない、と諦める人は本気ではない人。
「無理だ、無理だ・・・」と100回繰り返しても何も変わらないから。
見上げることも、無理だと言い続けることに有効性はない。
唯一有効性が認められるのはできない言い訳に使うときだけ。
では、本気の人は何をしているか。
足元にレンガを積み始める。
階段を1つ作るために。
次に2つ目の階段作りに移る。
壁を乗り越えるのに100段必要ならば、まずは最初の1段を作ることから始める。
それが分かっているから、まずは1段目を積む。
それしか無いことを知っている。
そして、実行する覚悟を決めている。
真に本気な人は「やるぞー!」なんて宣言しなくても足元のレンガ積みは始めている。
本気は人の行動は地味なのだ。
そして、多くの人は寡黙。
忘れる暇(いとま)を作らない。
これは良く言われることですね。
人間は忘れる動物です。
が、学習する身としては学習内容についてはどうしても忘れるわけには行きません。
反復lによって記憶は定着するわけですが、あまり間を置かずに反復することで、忘れる暇がなくなる。
何度か繰り返すことで、自分自身の「常識」として定着する。
そんな感じなんですね。
毎日やっていることは忘れない。
まあ当然です。
はずみ車のように反復を繰り返していると、周りに敵はいなくなる。
この感覚を一度味わうと「勝つコツ」が分かってきますね。
朝の英単語。
勿論、そんな言葉はありません。
私の思いつき。
例えば、英単語の復習からその日の学習に入る、と決めておく。
これを毎日の習慣にしておく。
朝一番の学習は英単語の確認。
それも、今まで覚えた単語の総復習。
そんな日常を重ねられたら最強です。
最強なのが分かっていながら、実行する人はいない。
いないからこそ本当の最強になるんですね。
これは、毎日やらないと意味がありません。
昨日やったら今日は省略して良いなどと言うことはない。
例外を作ったらアウトです。
だって、習慣ではなくなるから。
お坊さんが、
「お経は毎日読んでいるから、今日くらいは省略しちゃおうかな」
などと言ったら笑われますよね。
毎日読むから意味がある。
毎日のことなのに、日々新しい発見がある。
毎日の反復で強くなる。
「知識の漆塗り」とでも言いましょうか。
期末テストの結果提出が始まっています。
今日は国語100点の報告を受けました。
幸先良いスタートですね。
さて、今日は農作業の話。
農業では単純な作業が多いものです。
例えば草むしり。
夏の畑は雑草との戦いです。
草むしりを開始して、ちょっと疲れたなあと思って時計を見る。
なんと、まだ10分しか経っていない。
始めて2時間経ったら最初の休憩時間になるのだが・・・・。
延々と続く単純作業。
無心に草をむしる。
雑念と共にむしる。
むしる手を止めたら叱られる。
だから、周りの景色など見ていられない。
リズミカルにむしってみる。
でもすぐに飽きる。
わざと速くむしったり、わざと遅くむしったり。
疲れないむしり方を自分なりに工夫してみたり。
そして、ふと、
いつの間にか何も考えずにむしっている自分に気づく。
夏の「百姓」は毎日こんな日々を繰り返しているのです。
毎日毎日。
毎日?
いや、毎年。
1枚の畑をむしり終わるのに3日ほどかかる。
そこそこの達成感なのだが。
でも、・・・・。
1週間もすれば元のような「草畑」に戻っている。
また同じようにむしらねば秋の収穫は無い。
1から出直し。
延々とこの繰り返しが続く。
子供の頃に、このような体験を通して「仕事」とは何かということを体が覚えている人とそうでない人。
人生観が異なるのは当然です。
忍耐とか我慢とか。
それをどう呼ぼうと構わない。
生きてゆく上の「支え」。
仕事観。
自分なりの基準というか、仕事というものを俯瞰する立ち位置のようなものが得られる。
少し位のことで動じない心が養われる。
本当の「体験」とは、一度だけの体験を意味しない。
体が知っていることをさす。
「ゆっくり学ぶ」ことと「しっかり学ぶ」こととは同義だ。
どんなに速く学んだとしても、消化不良だとしたら、それは実際は学んだことにはなっていない。
中途半端に学んだのでは「学んだつもり」になっている分、かえって厄介かもしれない。
学校の授業についても、内容理解が中途半端だったとしても、教科書は先に進んでしまう。
それで、何となく学習が進んだ気になってしまう。これが、一番いけない。
「学び」とはどこまで行っても能動的な作業なのだ。
自分からエネルギーを振り絞って学ばない限り、自分のものにはならない。
流れているような授業に学びは存在しない。
こんな当たり前の事実に気づけない人は多い。
そして、無駄に時間を使い、気の遠くなるような遠回りをししまう。
学びのポイントは能動的であること。
能動的ならばよいので、そのスピードは問われない。
自分なりのスピードで良いということだ。
身についたかどうか、吸収できたかどうかだけが問われる。
そういう観点から言えば、やはり学びは厳しいものだとも言える。
身につかなければ学んだことにはならない。
ゆっくりで良いから一歩一歩身につけること。
流れるような学びは存在しない。
セントラルリーグのあるチームのピッチャー。
そのチームでは大エースだった。
力に陰りが見え始めた頃、トレードされてパシフィックリーグのあるチームに移籍する。
そこで理論派のある捕手と出会う。
前チームでは、持前の体力とセンスでピッチングしてきて、それなりに結果も出してきたピッチャー。その捕手から、ピッチングには1球1球に意味があり、無駄な球など1つも無いことを知る。
前チームで大エースとして結果を残し、それなりに名声を博してきたそのピッチャーの取った次の行動とは。
それは「その捕手の隣の部屋に引っ越すこと」だった。
球場への生き帰りの車の中。
帰宅後の夜の時間。
その捕手との野球談議に明け暮れた。
食事の時間も惜しんで、その捕手に質問しまくった。
その捕手の理論全てを吸収しようと思った。
本気とはこういうことです。
本気な人はその行動が突き抜けているのです。
彼は本当に強くなりたかった。
そして、彼を伝説のピッチャーにまで押し上げる出来事はその後に起きたのです。
「徹底できる人」が一番強い。
これも野村克也さんの言葉。
恐らく9割以上の人は徹底する前に止めてしまう。
大半の人は徹底できない。
自分を追い込めない。
飽きる。
様々な理由をくっつけて継続を止めてしまう。
まあ、単純に継続しているだけで周りに敵はいなくなる。
そういうものですよ。
「え? まだ〇〇やってたの?」
などと人は聞いてきます。
それくらい継続する人はいない。
最初に大風呂敷を広げるのはダメです。
最初は少し物足りない位の計画を立てるべきです。
そして、絶対に実行する。
これを習慣づける。
それでも、
どうしても継続できない理由が生じる。
マンネリになってきたり、迷ったり。
この時が最初の壁かと思います。
こんな時は、8割のクオリティで良いから続けること。
中身よりも「続ける」ことそれ自体を目的化すること。
それで何とか乗り切る。
こんなことを繰り返すうちに本当の習慣が完成する。
そうすると、今度はこの習慣をやらないことが苦痛になる。
継続することの方が「普通」になってくる。
あたかもはずみ車のように。
今度は、これを止めることの方に多大なエネルギーが必要となる。
だから止めない。
いや、止められない。
止めることにはエネルギーと苦痛が伴うから。
無意識での継続。
これが習慣の強み。
さて、明日は勤労感謝の日。
感謝して勤労しましょう。
小さいときから、、不合理に耐える力を養うことができれば、それは一生の宝です。
不合理なこと、理不尽なこと、整合性のないこと。
一見、そんな風に思えること。
世の中はそのようなことばかりです。
社会とはそういうものなのです。
無批判に受け入れていたら、頭の中は大混乱します。
かといって、いちいち腹を立てていたら体がもちません。
では、どうしたらよいのか。
小さい頃からそれらに晒されていると、柔軟に振舞うことを体で覚えて行くと思うのです。
「世渡りのうまさ」とか「要領の良さ」とも違う。
「しなやかだからこそ強い」という感じでしょうか。
柔軟なのに強い。
いや、柔軟であるが故に自分を見失わない。
そんな感じでしょうか。