苦手科目については、ぞんざいに扱っている人が多い。
ぞんざいに扱うから、その科目からあなたもぞんざいに扱われてしまう。
好かれたければ、好きになること。
好きになる理由がないと好きになれない。
これでは普通のことです。
そうではなくて、
「まずは」好きになろうとすること。
好きになる努力をしてみること。
やってみると、このことって、意外とできるものですよ。
そうすると、向こうからも好かれる。
相手を変えることは基本的に不可能ですが、自分が変わることはできます。
自分の行動は自分の意志で決められるから。
自分が変わることで、相手の自分に対する見方が変わる。
自分が変わるから、相手も変わる。
「自分が変わる」と決めたら、まずは一歩だけ前に進めてみること。
昨日の続きですが、失敗についても同じですね。
一つ失敗すると、一つ強くなる。
勿論、深く反省した場合だけです。
同じ失敗を繰り返してはダメです。
「負けに不思議の負け無し」ですから。
演習問題をスラスラと解く人。
沢山の問題を解き、多くの困難を経験し、一つ一つを乗り越えた証として「スラスラ」があるのです。
塾生達を見ていて、日々再確認させられることです。
「できる」人は沢山の演習問題を解いています。
その過程で、沢山の失敗を経験している。
演習時間も演習問題の量も圧倒的に多い。
齊藤塾のような自立型学習塾は「必要時間、必要量」を教える所です。
子供はどうしても物事を軽く考えがちです。
これは、子供の特権ではありますが、それでは強くなれない。
必要量を提示し、体感させ、ショックを与える。
私の仕事。
さて、
1学期の期末テスト結果の提出が始まりました。
今日は1名提出。
5教科の合計点が458点。
この点数、最終的な塾内順位はどうなるかな。
病気になると、まずはもとの体に戻ることを目指します。
「早く『もとの』元気な体に戻りたい」
それを強く願い、早く治癒することを期待します。
そして、病気が治る。
これは「もとの」体に「戻った」のでしょうか。
そんなことはありません。
新たな免疫を手にして、「もとの体よりも強く」なったのです。
同じ病気には罹りにくい以前よりも強い体を得たのです。
体は病気に罹る前よりも明らかに強くなっているのです。
そう考えると、病気になるのも悪いことではありません。
病を乗り越えるたびに強くなる。
あらゆる障害はそういうものなのでしょう。
一つ乗り越えると一つ強くなれる。
新たな困難に直面した時、「これを乗り越えられれば、また一つ強くなった自分に出合える」と期待する。
ワンランク強くなった自分を想像してワクワクしながら、目の前の困難と対峙する。
そんな発想で困難に立ち向かえたら良いですね。
哲学者が言うように、困難に出合うことで「考える」という行為が起動するのでしょうし。
期末テスト真っ最中ですね。
塾生達も沢山の困難を乗り越えて強くなっています。
個性は作り上げるものではありません。
意図しなくても、にじみ出るものです。
自分探しの長旅の末に、たどり着いたところで「これこそ自分だ!」に出会える。
それは幻想です。
「これこそが私の探し求めていた「自分」なのだ。ああ、やっと出会えたね」
こんなことはあり得ません。
何年探し求めても、そんな出会いは訪れないのです。
理由は簡単。
「外に」探し求めているから。
個性は、
最初から備わっている。
いつも、自分と共にある。
引き剥がすことなど不可能なもの。
認めようが、否定しようが、そんなことお構いなしに最初から私自身に貼りついているもの。
いや、私自身そのもの。
そんな気がします。
だから、「自己実現」という抽象的な言葉に惑わされたくないものですね。
自己なんて、最初から「実現」していますので。
さて、
業者テストの返却を始めています。
塾生のひとりは県内6位!
6800人以上受験したテストでの6位です。
努力は裏切らない。
ヒトは同じ間違いをする動物です。
同じ失敗を何度でも繰り返す動物なのです。
各人、自分なりの間違いの癖みたいなものがありますね。
塾で指導するうえで、私が繰り返し強調していることです。
普通の人は同じ間違いをついやってしまう。
だから、
同じ失敗をしなくなるだけでも、ワンランク上の人になれます。
では、どうしたら良いか。
失敗をしない人になるための第一歩。
それは「意識する」こと。
自分の間違いの傾向について、努めて意識的になること。
「いつの間にか自然に間違いが減る」などということは決してありません。
第一歩としては、その間違いを強く意識すること。
そして、その間違いを犯さないように自分に言い聞かせ、正しい方法を実行すること。
それを何度も繰り返したずっと先に「自然体でできる」がある。
そう、思います。
「基礎問題集」をなめてかかってはいけません。
基礎と名の付く問題集こそ、練りに練った編集がなされているからです。
厳選に厳選を重ねて、どうしても外せない、単元の根幹部分のエッセンスのみが、結晶のように示されているのです。
得意科目についても、時々基礎問題集で確認することで、学習の軸となる部分が再確認され、その実力がさらに強化されます。
基礎基本こそ、何度でも確認すべきことなのです。
「私は基礎は分かっているのだが、応用問題が解けない」
とはよく言われることです。
間違いです。
応用問題が解けない人は、例外なく基礎が分かっていないのです。「私は基礎が分かっている」と本人が勝手に思い込んでいるだけです。あるいは、基礎というものをあまりにも甘くみているのです。
基礎は易しいので、軽く通り過ぎるもの。
そう考える人は、応用問題が解けるようにはなりません。
基礎こそ何度でも何度でも繰り返し確認すべきものです。
単元の土台となるものだからです。
その単元の本質に関わるものだからです。
そもそも、その基礎の理解を本物にするために練習問題があるのです。
実施日の遅かった1校の結果も出揃いましたので、報告しておきます。
各中学校実施第1回校内中3実力テスト結果。
学年1位・・・3名
学年6位・・・1名
小さな塾ですが、塾生達は健闘しています。
夏休みには大量の演習問題で鍛え上げます。
上位層の厚みが更に増すことが期待できます。
今日は一言だけ。
英単語を覚えるのが苦手な人は、名詞から覚えることをお勧めします。
入試で求められる英単語数は有限です。(当たり前ですね。)
自分のものにできた単語が一つでも増えることで、自信になります。覚える順序は構わないわけです。
単語は名詞から。
試してみてください。
教科書と入試のギャップを埋める。
私の仕事の大切な部分。
入試が終わると、お決まりのように「教科書の範囲を出ない良問」との評価がなされます。
間違ってはいない。
でも、何だか違和感がある。
教科書を何度読み直しても、入試問題は解けません。
教科書を超えない範囲で、徹底的に問題演習をこなすこと。
大量の演習を通して、体で覚える。
この積み重ね無くして、入試問題は解けるようにはなりません。
教科書の範囲を超えない大量演習の積み重ね。
「ちょうど良い問題」で徹底的に鍛える。
これでギャップを埋めてゆくのです。
「理屈じゃあない。場数を踏め、体で覚えろ!」
ある参考書での著者の熱いメッセージ。
究極の学習法。
無駄のない、効率的な学習法。
そして、
「正しい」学習法。
そんなものを求める前にやることがある。
著者はそう言いたいのです。
正しい学習法を探し求める前にやることがある。
体が覚えるくらいに場数を踏むこと。
それがまず先だろう、ということ。
場数を踏んで体に染みついたことは、簡単には忘れない。
頭で理屈をこねくり回しているうちは、まだまだ子供なんです。
ビジネスの世界にも通ずることですよね。
受験は社会の厳しさを体感する機会。
厳しさは、体で覚えるもの。
さて、中3塾生から第2回実力テストの結果が提出され始めています。
ある中学校の国語。
男女ともに学年1位は齊藤塾の塾生でした。
1月頃の「国語学年1位4名!」以来の快挙でしょうか。
もっとも、国語が4位で他の教科が全て1位という塾生もいます。
皆、良いスタートが切れていますね。
まだまだ、これから山あり谷ありですが。
それも、体で覚えて欲しい。
真剣に取り組むから体が覚える。
そして体に染みついたものは、一生の宝です。
トップ校に続いて、中堅校の定員も順次削減されることが予想されます。
具体的には2019年3月の入試を受験する生徒から。
トップ校だけ削減ということはあり得ないというわけです。
3~4年かけて公立高校の定員を「適正人数(?)」にするということですね。
え?私立高校の定員はそのままで?
まあ、その件については今日は触れませんが。
とにかく現小6生あたりまでは、高校入試時期が「削減期」にバッチリ当たってしまうということ。
渋高、渋女の定員が減り、吾妻中央の定員も少ない。
吾妻に生まれ育って大学を目指す子供達にとって、今まで以上のハンディを負わされることになるのは耐えがたいことですね。
子供の進学のために吾妻を離れる、などという人が増えないことを祈ります。
吾妻に留まることが教育上ハンディにならないよう、私は必死に頑張ります。
平野部に住んでいる人達には、これほどの切迫感はないでしょうね。