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存在確認としての「いじめ」

恐らく人は、自らの存在確認が出来ないと、生きてはゆけない動物なのだろう。

自分は今ここに生きている。
確かにここに存在している。
その実感。
それをハッキリと確認できる何かを、人は求めるものなのだ。

そして、その「何か」は、必ず「人が」発するものでなければならない。
つまり、人は「自分以外の誰か」によって、自分の「存在の認証」を受けるしか生きる方法がないのだ。

多くの人は、家族や友人、あるいは教師達と接する中で、その確認は十分に取れている。
人との交流を中心とした日々の生活は、その確認作業の連続だからだ。

ところが、

何等かの理由で、その確認が希薄な人がいるのだ。
周囲の人と接する中で、自分の存在の確認ができない人。
自らの存在がぐらついている感じ。
生きてゆく上での土台となる存在の確認それ自体に不安を抱えている状態。

自信がない。
ぐらついている。
モヤモヤしている。
生きているという実感が持てない。

そんな感じ。

この不安定かつ希薄な心もちを「簡単に」解消してくれる方法がある。

それが「いじめ」だ。

ある意味、いじめる側も追い詰められているということだ。
存在認証に不安を抱えているのだから。

だから、このいじめは100%成功せねばならない。
従って、絶対に成功する相手を選ぶ。
このいじめに失敗でもしようものなら、いじめる側の存在そのものがさらに希薄化するのだから。
不安の解消どころか、窮地に追い詰められかねない。

絶対に成功する相手でなければならない。

相手をいじめている自分。
その自分は確かにここに存在している。
自分の行為によってひとりの「人」が涙を流して苦しんでいる。
それを見ることで、自分の存在そのものが確かなものへとシフトし始める。

いじめのネタは、いじめられる人自身の努力ではどうしようもない物が必ず選ばれる。

例えば、容姿。

或いは、出自。
親の職業。病気。などなど。

差別と通底するものがある。
だから、このいじめは「成功」する。そして、当初のささやかな存在確認の目的は歪んだ形で達成される。

(もう少し考察を深めて後で整理します。)


さて、今日も塾生達は期末テスト対策のため、長時間の学習に耐えて行きました。
テスト直前の土日。
勝負どころですから。
皆、ずっしりと重いプリントの束を持ち帰りました。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

2019年合格実績
前橋高校1名、前橋女子高校1名、高崎高校2名、高崎女子高校2名、群馬高専2名、新潟大歯学部1名、中央中等1名(その他・過年度分は下のホームページからどうぞ)

* お問い合わせは下記問い合わせバナーからどうぞ。
* 齊藤塾ホームページへは下のリンクからどうぞ。

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