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応用問題が何故解けないか

「基礎問題は解けるが、応用問題が解けない」

そう悩んでいる人へ。

君が応用問題を解けない理由。
それは、いたってシンプルです。

その理由は、

「基礎ができていない」です。

応用力の無い人は基礎ができていない。
土台がぐらついているのです。
学力の足腰が弱いのです。

「基礎はできているが」の部分が全くの誤解なのです。
応用問題が解けないという事実がそれを証明しているのです。

基礎が固まっている人は応用問題が解けます。
応用問題の解けない人は基礎ができていないのです。

これは、学習というものの常識です。

しかし、これがなかなか理解できない人もいます。

齊藤塾では、この常識が分からない人は受け入れていません。

塾生がある問題を解けないとする。
私は、その問題が解けない原因となっている基礎基本の問題プリントを用意してそれを解かせる。一段低い問題を解かせるのです。学力の階段を自分の力で登れるように、一段低いレベルの問題を即座に用意して解かせることが大切なのです。必要に応じて、ヒントを出したり、途中で止めて質問したりする。その様子を見ながら、示すプリントの種類を決める。自分の力だけで基礎基本の問題が解けるようになるまで類題を反復させる。基礎基本がその塾生の常識になるまで繰り返す。

その後、最初の問題に戻って「自力で」解かせる。さらに、次回、類題で確認をする。この繰り返し。

考えなくても手が動くレベル。

これが到達目標です。そこまでのレベルに達していない問題は、テストの時にすらすらと手が動くことはありません。だから、時間内に解けない。

考えなくても手が動く。つまり、自分自身に染みついた学力だけが使い物になるのです。





存在確認としての「いじめ」

恐らく人は、自らの存在確認が出来ないと、生きてはゆけない動物なのだろう。

自分は今ここに生きている。
確かにここに存在している。
その実感。
それをハッキリと確認できる何かを、人は求めるものなのだ。

そして、その「何か」は、必ず「人が」発するものでなければならない。
つまり、人は「自分以外の誰か」によって、自分の「存在の認証」を受けるしか生きる方法がないのだ。

多くの人は、家族や友人、あるいは教師達と接する中で、その確認は十分に取れている。
人との交流を中心とした日々の生活は、その確認作業の連続だからだ。

ところが、

何等かの理由で、その確認が希薄な人がいるのだ。
周囲の人と接する中で、自分の存在の確認ができない人。
自らの存在がぐらついている感じ。
生きてゆく上での土台となる存在の確認それ自体に不安を抱えている状態。

自信がない。
ぐらついている。
モヤモヤしている。
生きているという実感が持てない。

そんな感じ。

この不安定かつ希薄な心もちを「簡単に」解消してくれる方法がある。

それが「いじめ」だ。

ある意味、いじめる側も追い詰められているということだ。
存在認証に不安を抱えているのだから。

だから、このいじめは100%成功せねばならない。
従って、絶対に成功する相手を選ぶ。
このいじめに失敗でもしようものなら、いじめる側の存在そのものがさらに希薄化するのだから。
不安の解消どころか、窮地に追い詰められかねない。

絶対に成功する相手でなければならない。

相手をいじめている自分。
その自分は確かにここに存在している。
自分の行為によってひとりの「人」が涙を流して苦しんでいる。
それを見ることで、自分の存在そのものが確かなものへとシフトし始める。

いじめのネタは、いじめられる人自身の努力ではどうしようもない物が必ず選ばれる。

例えば、容姿。

或いは、出自。
親の職業。病気。などなど。

差別と通底するものがある。
だから、このいじめは「成功」する。そして、当初のささやかな存在確認の目的は歪んだ形で達成される。

(もう少し考察を深めて後で整理します。)


さて、今日も塾生達は期末テスト対策のため、長時間の学習に耐えて行きました。
テスト直前の土日。
勝負どころですから。
皆、ずっしりと重いプリントの束を持ち帰りました。

偏差値と学年順位

偏差値と学年順位。

どちらも大切です。
齊藤塾の塾長として、私はどちらも上げる努力をしています。
どちらか一方を軽視している塾長もいるようですが、私は違います。

他人よりも頭一つ出ること。
受験とはそれを目指すものだと考えるからです。

そこで、

(ちょっと逆説的ではありますが。)

その偏差値と順位を上げるために最も大切なこと。

それは、

他人を気にしないこと。

つまり、自分自身と向き合うこと。
昨日の自分よりも一歩だけ前に進むこと、です。

自分しか見ない。
自分しか視野に入れない。

それが、他人よりも頭一つ出るコツです。

未来予測

未来予測ほど当たらないものはない。

特に専門家の予測は外れまくりだ。

離脱しないと言われたイギリスはEUを離れる。
あり得ないと言われた「トランプ大統領」は現実のものとなる。

景気予測など話を聞くだけ時間の無駄だ。

地震に至っては、起きる起きるといわれて来たところではなかなか起きなくて、千年に一度と言われたところでは起きている。

「未来のことなど誰にも分からない」

そう言えばよいだけのこと。

だから、

将来は安泰だと言われている職業も、たぶん安泰にはならない。
ダメだろうと言われている職業も案外良いのかもしれない。

要するに予測不可能なのだ。

だから、若者は「今の」大人の言葉になんかに惑わされずに、自分の心に素直に将来を選択して欲しい。
それなら、いつか「失敗した」と思っても、それも学びになる。



ピコ太郎とFunny Stories

大人の日本人の多くが、ピコ太郎はどこが面白いのか分からない、という。
まあ、面白いといえば面白いが、それほどでもない。
まして、世界中で大人気になっているその理由など全く見当がつかない。

ピコ太郎を喜んで見ている日本人の大半は子供だ。

ところが、外国人は違う。
先日の外国人特別研究員協会での「公演及び記者会見?」では、「大人の」記者たちが大笑いしていた。そもそも記者の数がいつもよりも多かったという。

ピコ太郎は外国人の大人が発掘したといって良い。

「笑い」のツボは、国や民族によってこれほどまでに異なるものなのか。

(余談だが、お笑いを職業にすることの「怖さ」はここにあるのかもしれない。吉本興業の元社長は、彼にもどこが面白くて売れているのか分からない芸人が沢山いる、と言っている。世代間で笑いのツボが大きくことなるとのことだ。お笑いでTV界に入っても早々にバラエティ要員や司会者、俳優などに「転身」する人が多いが、これは正解かもしれない。)

藤岡にいた頃、『Funny Stories(オックスフォード大学出版)』を教材に使ったことがある。
英語の長文読解の入口として使いやすいと思ったのと、一部の試験問題に頻出したからだ。原本を入手して手ごろな話をピックアップし、授業に使おうとした。

そこで、困ったことが生じてしまった。全く予想外のことが。

Stories の大半が Funny ではないのだ。日本人の私にとっては、どこが面白いのかが分からないのだ。日本人の同僚に見せたが、やはり同じ反応だった。ストーリは分かるのだが、肝心のオチの部分で全く笑えない。

「え?これで終わり?」

そんな感想しか持てない。
結局、授業で使えた文章はその本のほんの一握りしかなかったのを記憶している。

イギリス人の笑いのツボと日本人のそれとは、かくもかけ離れているものかと驚いた。

笑い。

深く難しい。

落ち込み損

期末テスト直前。

塾生達は完全に「期末テストモード」に入っています。

ワークを反復し、塾プリントで仕上げというコースはいつもの通りです。
今年1学期の期末テストでは学年1位が4名、2位が2名、3位が1名、4位が1名でした。また、去年2学期の通知表ではオール5(またはオールA)の塾生は11名でした。今回はこれを抜くことができるでしょうか。また、12名が齊藤塾の記録ですから、これをも抜くことができるかな。まだ、気が早いですね。笑)

さて、今日はオモシロイ言葉に出合いました。

「落ち込み損」

ある書物を読んでいたところ、突然飛び込んできた言葉です。

この言葉、良いですよね。

私達は日々の生活の中で落ち込むことも多いのですが、その大半はこの「落ち込み損」ではないでしょうか。
つまり、落ち込むほどのことはなかった。いや、もっと言えば落ち込むこと自体が無意味だった。さらに言えば、時間とエネルギーの無駄でさえあった。

本来、

落ち込んでもそこから這い上がることで前よりも強くなっている。あるいは、落ち込むことで、反省モードがグルグルと起動し、いろいろと思いめぐらすことで以前よりも思慮深くなっている。そんなことが期待されます。

でも、実際はどうか。

どうも、どうでも良いことで落ち込んでいることが多すぎやしないか。
無駄に落ち込んでいないか。
気にすることもないことを気にし過ぎて落ち込むことばかりではないのか。

どうせ落ち込むのなら、それなりにちゃんとしたところで落ち込もうよ。
反省すべきところではちゃんと落ち込んで反省し、自分の行動をしっかりと修正する。
それ以外のところ、つまり時間が解決するだけでとくに以前の自分と変わらないような落ち込みなら止めようよ。


そんなことを教えてくれる言葉です。

今日の言葉、

「落ち込み損」でした。



「我慢」のリアル感

今日は親戚の告別式のため、終日休講しました。

96年前に、今齊藤塾のある土地で生まれた人が亡くなったのです。
私の叔父にあたる人です。
大往生と言える年齢ですが、やはり身近な人が亡くなるというのは悲しいものです。

暫く会っていなかった年上の親戚とも話す時間が持てました。

そこで、

昔の人と今の人との「我慢のレベル」の違いが話題になりました。
「我慢」という言葉のリアル感と言ってもよいでしょうか。

我慢するしかない状況に追い込まれたときの我慢。
とりあえずの逃げ場が視野にあるときの我慢。
この二つは全く違うと。

まあ、後者は我慢とは呼べないのかもしれませんが。
若いときに前者のような経験をした人とそうでない人とでは、「視野」とか「幅」と呼べるようなものが決定的に違う。
それはそうですよね。

こういうことが語れる人が少なくなってきています。

叔父が残してくれたメッセージなのかもしれません。

学年1位4名!(中3塾生)

毎月中3生対象に各中学校で実施している校内実力テストの結果です。

学年1位の塾生が4名!(本日報告分までの最新結果)

トップ校合格を引き寄せつつある4名です。
上位層はますます真剣さを増しているこの時期の学年1位。
おおいに評価できます。この調子でさらに10点、20点の上積みを目指しましょう。

入試制度が少しくらい変わっても、実力をつけた人が勝つのは当たり前。

トップ校ほど足腰の強い実力者を欲しがります。

目の前の学習を一つ一つ積み上げること。
反復学習によって、曖昧な部分を確実な得点源へと変貌させること。

確実に結果を出す方法はいたってシンプルです。

シンプルな学習を日々積み重ねる場。それが齊藤塾。



「君はやればできる」は禁句?

今朝、ラジオで聞いた話。

「君はやればできる」は禁句。

それを言われた子供は、「もしやれなかったら、どうしよう」と自分を追い詰めて萎縮するから。

なるほど。

そういう考え方もありますね。

君ならできる、と徹底的に刷り込んでその気にさせる。
根拠のない自信こそが本当の自信だから。
「何故、君ならそれができるのか。理由は簡単。君だから」

などと刷り込んでゆく。

最近はこれで自信をつけさせる手法が一般的かと。

「萎縮」

それもあるかもしれませんね。

中学駅伝群馬県大会

人は、自分に無関係なことについては無関心です。

まあ、そういうものです。
それで良いでしょう。

実は、明日11月12日(土)は群馬県中学校駅伝大会なのです。
だから、どうした?
実に多くの中学3年生が選手として出場するのです。
だから、どうした?

中学生は中3生と下の学年との実力差は歴然としています。
各中学校を代表する選手の多くは中学3年生。
各地区の予選を勝ち抜いた上位3校の選手達が競い合う。
夏の部活が終わって以降、チームを作りほぼ毎日練習し、地区予選を目指す。
そこで選ばれた学校の選手達は日々練習に明け暮れ、明日の県大会に備えて来たのです。
毎日の練習量は3000m~10000m。
強豪校ほど、練習量が多くなるのは当然のこと。

十分な睡眠時間を確保せねば強くなれません。

群馬県代表は全国優勝常連なのです。

強豪校の中には来春、前高、前女、高高、高女に進学する生徒もいます。

受験生の駅伝。

県大会上位校は関東大会、全国大会へと進みます。



人は、自分に無関係なことについては無関心です。

プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

合格実績(2012年~2020年までの合計)前橋高校4名、前橋女子高校8名、高崎高校5名、高崎女子高校7名、群馬高専5名、渋川高校20名、渋川女子高校17名、高経附高校3名、前橋育英S4名(中学受験については初年度からの合計で中央中等8名、佐久長聖中8名それぞれ合格、大学受験については、群馬大、埼玉大、茨城大、信州大、新潟大、静岡大、早稲田大、慶応大、津田塾大、東京女子大、明治大、法政大、成城大、東洋大、獨協大等多数合格・詳細は下のホームページからどうぞ)

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