FC2ブログ

大人が期待する作文

大人が期待している作文を書いているうちは、作文トレーニングのスタートラインにすら立っていない。

だって、そんな作文を書いているのは「本当の自分」ではないから。自らの心に聞いて書いているのはなくて、大人の期待像を想像してそれに合わせているだけだから。本来、子供の発想は自由で豊かだったはずなのだ。それが、高学年になるにつれて「期待」に縛られるようになってくる。「正解」を意識した作文へと変貌してくる。

作文は、その子の道徳心をチェックするツールではない。
それなのに、子供達の作文から自由奔放さが影をひそめて、皆横並びの個性のないものへと変わってしまう。

それでも良いではないか、と考える人も多いだろう。

つまり、子供の作文は、低学年のうちは身近な題材をテーマとしたものが主流だが、その後、道徳的な「正しさ」に意識が向かい、それから徐々に批判的視野が芽生えてくるものなのだ。物事を批判的に見られるまでには、ある程度の段階を踏む必要がある。だから、視野が広がらないと批判的な文章は書けない。途中の段階では道徳を意識して書くのは自然なことだ。そんな考え。

私はそうは思わない。

道徳的正しさには「正解」がある。

人を騙してはいけないし、自分だけ良いという態度で生きてはいけない。困っている人は勇気をもって助けなければいけないし、失敗してもいつまでも落ち込んでいてはいけない。お年寄りは大切にしなければいけないし、一生懸命勉強して将来役にたつ人にならなければいけない。

その逆はありえない。

だから、正解は原稿用紙に向かう前から決まっている。

「答え」が分かっている問題に解答することほど簡単なことはない。
その答えにたどり着けるように、適当に途中を埋めてゆけば、それらしい作文が書けてしまう。

しかも、見栄えはかなり良い。だから書いた後の満足度も大きい。高評価されるであろうとの自信満々。だって、正論なんだから。

しかし、この態度は「逃げ」でしかない。

期待されている「正解」に逃げ、形だけ整えて、見栄えだけ良くした作文。
誰が書いても似たかよったか。「正解」があまりにもシンプルなために、途中を深めることなしに、結論へと直行する。適当にお茶を濁した後で、突然「正解」がやってくる。「僕も作者のように、世の中みんなのことを考えられる人になりたいと思います」などと。

そんな作文に読む価値はない。

だって、何一つ悩んていないし、何一つ考えていない。
苦しんで書いてない作文に、読者の琴線に触れるような深みはない。

そんな作文を書いている人にリーダーの資質はない。
中央中等はリーダー養成学校であることをお忘れなく。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

齊藤塾合格実績・・・前高、前女、高高、高女、高専、渋高、渋女、高経附、佐久長聖中、中央中等、樹徳中、埼玉大、新潟大、群馬大、静岡大、高等工科他

* お問い合わせは下記問い合わせバナーからどうぞ。
* 齊藤塾ホームページへは下のリンクからどうぞ。

最新記事
齊藤塾へのお問い合わせ
齊藤塾ホームページ
月別アーカイブ
カテゴリ
QRコード
QR
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

最新トラックバック
最新コメント