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「自宅学習ノート」競争

私達が小6になった途端、「自宅学習ノート」なるものが開始された。

何でも良いからノートに学習してきて、毎日担任に提出し、確認のハンコをもらうというもの。
何の学習でもよいのなら、と最初は漢字の練習やら、計算練習やらを適当にやって提出していた。

ところが、

1週間も経たないうちに、1人の女子が最初の1冊目を終えて2冊目にとりかかった。

え?何でそんなに速いの?それに、そんなに勉強することってあったっけ?

それから、2、3日後までに数名が1冊目を終了した。

ちょっと待ってよ。これって競争だったの?

遅ればせながら状況がやっと呑み込めた私は、焦って雑になりながらも何とか1冊目を終えた。クラスの真ん中よりもいくらか上位の順位だったかと思う。私にとっては不本意な順位。

それにしても何でこれ、競争になるんだろう・・・・。

教室の後ろには、一人一人の冊数が各自の名前の上に棒グラフとなって掲示された。トップを走る例の女子のグラフはひときわ長く伸びていった。ノートの大きさにも罫線の幅にも取決めのない中、小さなノートや間隔の広い罫線のものを使用して楽に冊数を稼ぐ者が現れた。当然「ずるい」との批判をクラスメートから浴びせられた。

1位を独走する女子。早々に競争から離脱する者。納得行かぬまま仕方なくついて行く私。

確かに、自宅で机に向かう習慣だけはできた。やらないと、グラフが伸びないからだ。私も上位争いは諦めたものの、真ん中より下ではプライドが許さない。机に向かって、その日に何を学習するかを決めるまでが何とも憂鬱だった。昨日と同じ学習ではまずいし、漢字練習と計算練習を交互にやるだけでは見栄えが悪い。形だけの自宅学習。この憂鬱な「作業」の毎日。

この憂鬱から解放されたのは、何と3月の卒業間際だった。

中学生になって一番嬉しかったこと。
それは、この自宅学習ノートから開放されたことだった。

中学生になってからの、予習も復習も全く苦痛ではなかった。
何せ「意味のある」学習なのだから。


指導が沁み込む条件

私の指導が塾生の頭に沁みこむには、「まず塾生自らの頭で考えておく」という準備段階、つまり指導に対する受け入れ態勢が欠かせない。

まずは、自分の頭で考えてみる。ぎこちなくてもよい。後で考えると恥ずかしいようなアプローチでもよい。問題意識を最大限にして準備しておくこと。これが、絶対に必要なのだ。

突然与えられても、キョトンとして終わり。
指導の意味も深みも実感できないのだから。

「考えることは、困難に対する『反応』のことだ」と哲学者は言った。

教科学習においては、カリキュラムに沿って「予定通りの学習」が進められる。

予定通りの流れにしか見えないことがある。

だからこそ、意図的に「困難な場面」を作り出す必要がある。
その学習をすべき意味、重み、有難みを実感させるためにも、困難を作ってあげる。

困難がなければ学習に深みが出ない。
困難に直面して自分の頭で考えて考えて、問題意識が最高潮に高まったところで、ヒントを与える。場合によっては、途中まで連れて行ってあげる。道しるべが見える直前で一人で歩かせてみる。

一人一人の理解度や個性に応じて、様々な指導方法を選択する。

この仕事の醍醐味だ。




「これなら続けられる」

「これなら続けられる」が売り文句の教材は山ほどある。

PCやスマホ、あるいは電子辞書の進化によって夢のような学習機器が様々開発されてきている。

学習の進捗をグラフにしてくれる。

弱点部分を何度もトレーニングさせてくれる。

様々に目先を変えたり、キャラクターを用いたり。

自分の発音を取り込むと採点してくれる英語教材。

文字をなぞると発音したり、歌ってくれたり。

テキスト形式の文字なら全ての英文を読み上げてくれたり。
合成の音声ではあるが、何故かイントネーションまでかなり本物に近い。


どれも、素晴らしい。
アイデアとその技術ににあっぱれと言いたい。

ただ、一点だけこれらの教材が克服できない問題点がある。

それは、

「飽きる」ということ。

今度の教材は飽きませんから。
と、謳っている教材もやはり、飽きる。

飽きたら、次の新しい教材に移行すればよい。
そうかもしれない。

飽きてからが勝負、根性の見せ所。
そうかもしれない。




ただ、

「誰も」「絶対に」飽きない。

そんな教材があったとしたら、それも怖い気がする。

普通の重み

熊本と大分の大震災では、その被害は甚大です。日本人全体で支えて行きたいものです。海外からも支援が寄せられているようです。有難いことです。

どこで地震に遭遇しても、うろたえないだけの心の準備をしておきたいものです。
もうそろそろ学ばねば。




さて、防災グッズをチェックしていてロングセラーのラジオを見つけた。
2007年製S社のラジオ。
AMとFMだけの6000円程度の極々「普通」のラジオ。ネットのレビューを見ても、もっとも多い評価が「普通」。見た目も決してオシャレではない。昔からあった形。デジタル表記部分も無し。

ところが、このラジオ。レビューが300を超える。その大半が星5つ。

2007年から積み上げればそれくらいにはなるだろう。そういう見方もある。だが、今年になってのレビューさえあるのだ。つまり、まだ売れ続けているということ。どんなに新製品が出ても、変わらぬ人気を維持してきた、ということなのだろう。

どうしてか。

その最大の理由が「普通のことができているから」。

しっかり聞ける。
感度が良い。
壊れない。
雑音が少ない。

普通のことを普通にする。

このことの重みをこのラジオが教えてくれる。

逆に言うと、他のラジオは普通のことができていないのだろう。
他のラジオにはレビューに購入者の不満が散見される。
どんなにオシャレなラジオでも、その本来の機能の部分で不満があればその価値は下がる。

ラジオ。

もうその歴史は古い。
しかし、感度がよくて、壊れなくて、使いやすいラジオはそう多くはないということか。

当たり前のことを当たり前に。
誰でもやればできることを、確実にやる。
真面目に、手を抜かずに、ぶれずに。
よいラジオを愚直に作り続けてきたS社の開発部の技術者魂に痺れた。

鍵山秀三郎さんの「凡事徹底」という言葉も思い出した。

塾の姿勢もこれ。
受験生の姿勢もこれ。

やるべきことは目の前にある。


普通のことを確実に。
もう一度、心に刻み込み直そう。

「目を覚ませ」なのか

本日1名、体験生がありました。有難うございます。
定員になり次第、締め切ります。

気がつけば、もう4月も半ばです。

さて、

本日未明の地震が本震で、一昨日のは「前震」だったそうです。

「前震」などと言う言葉は知りませんでした。

亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
被災された方には心よりお見舞い申し上げます。






山は崩れ、橋は落ち、道路は寸断された。
ため池は決壊し、建物は倒壊した。
自然を前にして、私達は無力だ。



北九州は比較的地震の少ない地域だと思われていたようだ。
これほどの大地震が起きた後で、専門家達はここは活断層の集まっている地域だと言い出した。「地溝帯」になっているという話まで。そういえば、北九州は中央構造線が走っている。

「活断層」。

今では、皆当たり前のように使っている言葉だが、阪神淡路大震災の前にこの言葉を普通に使えた人がどれくらいいたろうか。それどころか、震災前は、関西では地震は起きない、と思っていた人が大半だったかと思う。

奥尻島で地震が起きてみれば、そこはプレートの境目にあたると言い出す。古い所では、新潟では地震は起きないと言われていたが、その名も「新潟地震」が発生した。その後、中越地震まで。

福島第一原発沖で地震の起きる確率は非常に低いとされていた。
それが起きた。起きてしまってから、「プレートのここに亀裂が入って・・・」などと説明する。

確実に言えることが一つだけある。

それは、最近の大地震は専門家が予想していない所で起きている。
これだけは確実。
これは、専門家が心配している地域なら安全、ということを意味しない。
当たり前だ。

要するに、ほとんど何も分かっていない、ということだけが分かっている。
有効な予知はできない、ということだけが事実として改めて認識された。

今回の地震。専門家は「別々の地震が同時多発的に発生した」と説明している。理由は断層が別だから、だと。
そうだろうか。
確かに別々の断層かもしれないが、それらがデリケートなバランスを保って支え合っていた。一昨日までは。それが、長年積み重なった力に耐えきれなくなって、「前震」となった。その一つの地震が引き金となり、それまでのバランスが崩れて断層達が動き出してしまった。そう考える方が自然な気がするが。次のバランスを獲得するまでは「動き続ける」。そう思う。動くところがなくなるまで動く。恐いことだが自然にとっては昔からやっていた「普通」のことなのだろう。

東日本大震災の翌日に長野県北部でも大きな地震があった。これは大震災とは無関係だとされている。今日、山梨から長野にかけて弱い地震があった。これも、熊本の地震とは無関係だと言うだろう。大震災があると、長野が動く。決して煽るつもりはないが。フォッサマグナというものがあることは教科書にも書いてある。

地球にとっては、東北も関東も九州も同じ地域だ。

もう、専門家が「話題にしていない」地域はほとんどなくなった。
だから、次の大地震は専門家の「予想している」地区で起きることになる。

いや待てよ、群馬は地震が少ないと言っている人もいるぞ。
資料によれば、群馬は比較的活断層が少ないとされている。が、気をつけなくてはならないのは、活断層分布の地図は「現在分かっている活断層」の分布だと言うことだ。地震が起きるたびに分布図は新しくなる。

今回も私達は大きな犠牲を払った。
地球が「そろそろ目を覚ませ」と最後の警告を発しているような気がしてならない。




臨界点

熊本での震災に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

地震発生時刻には、多くの塾で授業中だったかと思います。教室で、或いは夜道を帰宅する車の中で震度4~7という恐ろしい揺れに見舞われる。想像を絶する恐怖だったに違いありません。自宅に戻っても、そのまま避難所へと向かった小中学生多かったでしょう。

大きな地震は、ことごとく想定外の場所で起きています。

地震の予知は可能か不可能か。

どうも、かなり難しいようです。

活断層型にしろ、プレート型にしろ、溜まったエネルギーがいつかは放出される。その時に地震が発生する。それは事実。ただ、我々が知りたいのは、その時がいつなのか。
大きな力がかかり続けると、堅いものでもいつかはポキンと折れる。必ず折れる。しかし、その時がいつなのかの予知は難しい。
「そろそろ来そうだ」までは分かる。でも、折れる瞬間の予知は不可能。

臨界点がいつ来るかは「分からない」もの。
分からないということを前提として、予知ではなくて「備え」の方を充実させる方がより合理的だという気がする。


被災地では賢明の支援、復旧活動が行われています。
食糧をはじめとして、あらゆる物資が不足しているようです。
日本全体で支えたいものです。

塾の「活気」とは

他の塾さんのHPなどをのぞくと、塾生達が塾長を囲んでピースサインなどしている写真がよく見受けられます。
皆笑顔で。
合格祝賀パーティーなのか、塾の合宿時のものなのか。
「活気ある塾」を特別にアピールしたいのか。

齊藤塾にはそういった写真は存在しません。
だって、パーティーも合宿もありませんから。
塾生が笑顔になることも滅多にありません。
特に笑顔を禁止しているわけではありませんが。

塾パーティーなし。
塾合宿なし。
塾キャンプなし。
要するに、塾イベント一切なし、なのです。

ただ勉強するだけ。

一般的な意味での「活気」もないかもしれません。
だって、塾生達は私の指導を受けながら、黙々と課題をこなしているだけですから。

静かに自分の課題に取り組んでいる姿を「活気ある姿」とは呼びませんよね。

私語は1回やっただけで退塾になりますし。

よく、鉛筆を走らせる音だけが聞こえる塾、というのも聞きますが。
それとも少し違います。
齊藤塾の場合、同じ時間帯に学習している人数がそれほど多くはないのです。

プリントを解き進め、塾長の指導を受ける。
それを受けて、またプリントを解く。そして、指導を受ける。

ただ、それだけ。

学校の成績を上げ、偏差値を上げ、志望校に合格する。

それだけ。

このような塾もあるのです。

塾内テスト結果

塾生達の塾内テスト結果です。

各学年とも、塾内上位6名までの偏差値を掲載します。

新中2塾生

1位 偏差値75 
2位 偏差値72 
3位 偏差値71 
4位 偏差値66
5位 偏差値64
6位 偏差値62


新中3塾生

1位 偏差値70 
2位 偏差値69 
3位 偏差値67 
4位 偏差値65
5位 偏差値64
6位 偏差値64


塾生達は春期講習で連日自分自身と戦いました。

今回のテスト範囲は広かったのですが、徹底的な反復学習でしっかり結果を出しました。
春期講習で今までの総復習をしたことで、これからの学習の土台作りができました。
この時期に既習事項の足固めができたので、新年度の学習効果が手ごたえあるものになるはずです。ややもすると気の緩みがちな春休み。塾生達は良く頑張りました。

塾生達を誇りに思います。私の指導方針を受けとめ、塾を自らと戦う場と理解しています。

塾長一人で指導する少数精鋭塾ならではの結果だと自負しています。


いま、君の目に満開の桜は映っていますか

いま、君の目に満開の桜は映っていますか。

逃げ場のないほどいたる所に咲いている満開の桜。
その桜が目に入らないようにしている君がいるとしたら、あの時の私と同じです。
4月は残酷な月ですよね。
新入学、新入社員、新生活。
フレッシュな4月などと世の中では新鮮さ、新しさを盛んに強調しています。

桜が目に入らない人もいるのです。

乗り遅れている焦り、先の見えない不安、誰にもぶつけようのない不満。

そして、繰り返し襲ってくる自己嫌悪。

そんな気分の人には、桜は目に入らない。
いや、目に入らないようにしている。

桜の花を見たくない君へ。

今は耐えて耐えて、1ミリだけで良いから前に進んで欲しい。
今は我慢の時です。我慢して我慢して、そしてちょっとだけ前に進むことで心は落ち着きます。
その押しつぶされそうな孤独感も、神様が与えてくれた試練かもしれません。
耐えられる君だからこそ与えられた試練。


いま、満開の桜が痛い君へ。

そのトンネルは永遠には続きません。
いまを耐えた君だけが味わえる至福の桜に迎えられる日が必ず来ます。

私が約束します。

だから今は耐えて、1ミリだけ前に進もう。






以上、昔の記事の一部を改訂のうえ再掲しました。

華やかな桜を見るとき、必ず思い出すことなので。
桜の季節に華やかな話題では普通のことです。

私にしかできない話をしたつもりです。

標高400mのこの地も桜の季節になりました。


子供を信じるための条件

子供に対して、

「結果で示せ。結果を出せば、その時は信じてやる」

という親。「少なくとも今は君のことを信じていない」というメッセージを子供に発していることになる。まだ結果を出せていない子供は親から信じてもらえない。信じてもらうために子供は頑張るものだ、と考える親は多いようだ。飢餓感がエネルギーになる、と考えるようだ。

結果を出した人を評価することなんて、誰でもできる。だって、目の前に結果があるのだから。その評価を間違う心配は全くない。評価についての誤審の可能性はゼロだ。評価に失敗がないのだから、安心して評価できる。でもそんなの、誰にでもできる。親でなくても。
親にしかできないことは、何だ。

親から信じられているから、子供は結果を出す。

これが正しい。決してその逆ではない。

「親の信頼に応えようとして」子供が頑張る、というのはイマイチ。
「お母さん、ボク頑張ったでしょ? 見てた?」では、自立とは言えない。

信頼に応えようとして、常に自分を律している子供。
果たして、自分の生を生きていると言えるだろうか。



条件つきの「信じる」は信じることではない。
結果的に子供をコントロールしているとしたら、それは子供が自立しているとは言えない。

信じるとは、無条件で信じることを言う。

プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

齊藤塾合格実績・・・前高、前女、高高、高女、高専、渋高、渋女、高経附、佐久長聖中、中央中等、樹徳中、埼玉大、新潟大、群馬大、静岡大、高等工科他

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