本は10回読め



本は10回読め、という人がいる。

1回読んだのでは読んだことにはならない。
何度も読み返すことで、それまでの読み方では気づかなかった点に気づくことが多い。
だから、何度も読み返す。

それでは他の本が読めないではないか。
そうかもしれない。
しかし、繰り返して読まなければその1冊も読んだことにならない。
つまり、ゼロ。

中途半端に何冊も読むのと、1冊を咀嚼するのとどちらが良いか。
1冊の本が完成するまで、その著者がどのくらいのたうちまわったことか。
何度も何度も書き直して、ようやく世に出せるまでになったもの。
中途半端な読み方で、著者が伝えたかった本質を見誤りたくないものだ。

そういえば、塾のワークも同じ。

人類の到達した学問のエッセンス。
それが効率よく身につくように苦労に苦労を重ねて教材として完成している。
中途半端な使い方はしたくないものだ。
10回反復して欲しい。
それが自分にとっての「常識」になるまで。


今日の体重は68.0kg。検診日でした。「太り気味」は回避できたもよう。

注入ではなくて共振



指導者同士の会話では「今日の授業は入りが良かった」などの表現がよく使わることがあるようです。

期待通り、あるいは予定通りに授業内容を生徒が理解して、できるようになったという意味でしょうか。
「知識やスキルの注入」という発想なんでしょうね。

私達の知識やスキルを生徒の頭に流し込めれば、ある意味楽なのかもしれません。
しかし、実際はそんなことはできません。

コントロールしようとすればするほどうまく行かないのはいつものこと。
生徒はコントロールされるのが分かれば反発します。普通のことです。

「注入」ではなくて「共振」へと発想の転換をして欲しいのです。

指導者が何かを鳴らすと、生徒の中にある何かが共振して鳴り出す。
共鳴というか。
そんな感じです。
共振の場合、あくまで「自分で」鳴っているというイメージですね。

共振しているうちに、次第に指導者なしでも自分から鳴れるようになる。
そんなイメージ。

注入という発想とは大きく異なると思うのですが。
二者が接していない点が共振のポイントでしょうか。

大人は子供に対して、何かを注入したがったり、何かをあてがったりしたがるようです。
付け足してゆくというか。

学ぶのはあくまで子供の方です。
だから、子供自身が動かないと学びは起きません。


さて、

今日は中央中等生、私立生、高校生が早めの入室。
期末テスト真っ最中ですからね。
みな、長時間の戦いでしたね。
地元中学生は単元テスト対策に追われました。
(期末テスト直後の単元テストはいつものことです。)

体重は67.8kgでした。いくらか前に進んだかな。

固執する子、殻を破れる子



例えば数学の話。

小学校までは途中式を書かなくても、ほとんど正解を導くことはできます。
それが教科書レベルの問題なら。

問題文の端の方で筆算して答えだけ書く、というやり方。

小学校。

指導者によっては、文章題を解く速さを競わせたり、暗算で解ける子を高く評価したりする人もいるでしょう。
ところが、その「ささやかな成功体験」が足を引っ張って、中学以降伸びを欠く生徒が時々見受けられます。

中学レベルの問題を解くときにも、暗算で速く解くことに拘る生徒のことです。
中学以上の問題を解く時に1分や2分他人より速く問題を解けることに意味はありません。
しかし、そこに拘ってしまう。そして間違う。

無意味なことに拘って正解を導けない。つまり問題を解けない。
優先順位の逆転が起きている。

人間はミスする動物です。

途中式を紙の上に書いて自らの思考過程を「目で確認しながら」考えることで格段にミスを減らせるのです。
手を動かして考えることが一番の近道だと先人達は教えてくれているのです。
そして私のような指導者も納得してその近道を継承しているのです。

一番よい方法だと実感していて、自らそれを実行している。

多くの生徒は中1の最初に小学校の「殻を破って」大人の学習方法に移行して行けます。
しかし、時にはなかなか移行できない子がいます。
柔軟に自らを変えて行けない。小学校の成功体験に固執する。今までの自信が足を引っ張る。
やり方を変えるのが怖い。

勉強は自らの殻を破ることの連続です。
壊しては作り変えることの繰り返しなんです。
最初の洗礼は中1段階だと思います。

今までの殻を壊して新しい自分に作り変える。
脱皮を繰り返して大きくなる動物のようでもありますね。

そういえば、脱皮が中途半端で古い皮がお尻に引っ掛かっている蚕が時々いました。
勿論、大きくはなれません。

殻を破りましょう。恐れずに脱皮しましょう。
そうすることで新しい「大人の」世界が開けますよ。
恐くはありません。皆通ってきた道です。
指導者がついています。



さて、今日も皆さん戦いでしたね。

体重の方は68.5kgです。

後戻りしない自分



塾生達。山の向こうから通塾してきてくれています。
感謝。
塾生に、そして送迎してくれるご家族に。

人生の転機。
そんな時は不思議とそれが分かる。
「ああ、今が人生の転機なんだ」と。

私がそうだったように、きっと皆さんもそうなんだと思う。

自分が後戻りしないことを知っている。

私の場合なら、
新聞の求人広告を見て、予備校の就職面接に東京まで出かけたとき。
3年後にアパートで一人暮らしを始めたとき。
大学卒業後に、塾に就職すべく塾の駐車場に降り立ったとき。
などなど。まあ、その後もいろいろあったが。

どの場面でも逃げ出すことはできた。後戻りすることはできた。物理的には。
でも、それはないだとうと自分で分かっていた。

「ああ、自分は決して後戻りしない」

それが分かったていた。頭ではなくて、体で。

何故なんだろう。
自分の中の大きな「流れ」のようなものが動き出していた感じだ。
逃げ出さない自分を知っていた。

不思議な感覚だ。
世界の流れと自分の流れが一致した瞬間、というか。

そういえば、

入塾してくる生徒もほとんどがそんな風だ。
もう入塾を決めてきている感じ。
とりあえず見学だけ、という人は極端に少ない。
生徒と齊藤塾の「流れ」のようなものが合致した感じとでも言おうか。

腹がすわる。機が熟す。
何かがうねりとなる。流れ出す。



体重は68.6kgです。

タケノコと梅



タケノコを沢山頂いた。

母が我が家の畑から採ってきたタケノコもある。
皮をむいて、アクを抜いて妻が煮てくれる。

タケノコが毎日の食卓にのぼる。

母が言う。

昔は、タケノコが出るのを待っていて、先を争って採ったものだ、と。
今は誰も採らない、と。



そういえば。

今は梅の季節。

最近、梅ももぐ人がいない。そのまま下に落ちて、黄色くなる。

私が子供の頃。我が家では、雨が降ると梅をもいだ。
「梅雨」とはよく言った。
晴れたら農作業。だから、梅もぎは雨天時の作業となる。

毎年、手伝わされた。
父親が長い竹の棒で鈴なりの梅の塊をまさぐる。
下で待っている私や母の頭の上に夕立のように降り注ぐ。
ビニルシートの上に落とされた梅。
そして雨。

一緒に落とされた梅の葉と小枝をかき分けて梅の実を拾う。
そして籠に集める。

水の雨と梅の雨。
そして、梅の実と葉の香り。
体の記憶。

小学校低学年。
私の小さな体に容赦なく降り注ぐ梅の雨。
頭となく、背中となく。

吾妻の農村が豊かだった時代の記憶。



さて、塾生達は今日も期末テスト対策で戦って行きました。

体重は69.3kg。タケノコを腹いっぱい食べました。

「自分で、自分で」



幼児は何でも自分でやりたがる。
自分でできることが一つでも増えることが楽しくて仕方ないように見える。

だから、

彼等が自分でできることを、大人が取り上げてやってしまうと、怒る。
大人がやってしまったことを元に戻して自分一人でやり直したりする。
一見滑稽な作業だが、これほど象徴的なこともない。

幼児は「自分で、自分で」が口癖だ。
自分でやらないと気が済まない。
自分でやることで、自信がつく。
自分の体を使って。

だから、幼児の目は生き生きとしている。
光っている。

生きている喜びに満ちている。
「できる」ことの喜びを全身で享受している。

幼児が自分で何かをしている時には、それを取り上げてはいけない。
そのやり方がどんなにどんなに未熟であっても。
(危険を伴うことは除いて。)

自分の手を使って実際にやってみること。
そうすることで本当の意味で「わかる」ことに到達する。
それは、生きている実感にもつながる。

このことは、幼児だけに当てはまるのではない。

どんな些細なことでも、自分でやることで体中の細胞が活性化すると思う。

私も、教えることが大切なのは重々承知。

要領のよい最短距離の解法を教えることは大切。
勿論やっている。今日もそれを教えた。
マニュアルや教科書も大切。
勿論、教科書なしでは迷ってしまう。
だから、常に教科書は参照している。
他人の成功例も大切。
大いに参考になる。

でも、

一番大切なことは、
自分の体を使ってみること。
それがたとえ最短距離ではなくても。
マニュアルから外れていても。
他人から見たらぎこちなくても。

動き続ける人には誰もかなわない。

「自分で、自分で」と。
幼児のように。

だから、
自立型。

今日の体重は68.4kg。


ひとつ選べば他は捨てている



ある時間に英語の勉強をする。
普通、同時に数学の勉強はできない。
勿論、他教科の勉強も。

英語の勉強をすると決めた瞬間に、その時間帯に他教科の勉強をすることを「捨てて」いる。
選択とはそういうものだ。

ひとつのことを選択するということは、他の全てを捨てていることになる。


「英語の勉強のキリがついたら、次に数学の勉強に移るのだから良いではないか」

勿論、それはそうだ。

しかし、

何気ない選択行為であっても、有限な時間の使い道を「選択」していることには変わりない。

この事実を意識したうえで教師は指導し、生徒は学習し、親は子育てをすべきだと言いたいのだ。

学習行為だったとしても、それは単なる「たし算」だと考えると危険だと言いたいのだ。
確かに昨日できなかったことができるようになった点ではたし算かもしれない。

しかし、

その時間にやれたであろう他の全てを捨てて、それをやったという事実を忘れてはいけない。

子供にとっては遊びの時間が成長にとって欠かせない要素となる。
子供は放っておくと、勝手に遊ぶ。
至って自然な行為なのだ。


さて、

中学生にとっては、期末テストど真ん中の水曜日でした。
高校生は来週がメインですね。

期末テストが終わるとあっという間に夏休み。
齊藤塾でも夏期講習を実施します。
募集定員はごく僅かです。



体重は69.4kg。
完全に「止まった」感ありです。
夜は雨ばかり降っていて走れないからなあ。
という言い訳で、また明日。




吾妻川



近所の橋の上から撮った写真です。

私が子供の頃はもっと石が茶色でしたね。
これでもだいぶ良くなったのです。

中流域から下ではアユ釣りで有名になったことさえあります。
ダムが完成したら、どんな景色になるのでしょう。

いじめる人って他人が大切に大切にとデリケートに積み上げてきたものを、一瞬にして破壊する時に快感を覚えるようです。相手にとって、大切なものであればあるほどその快感は増すのでしょう。
そこには、いじめる人自身の苦しみを誰かに分かって欲しいという叫びのようなものも垣間見えます。
なかなか厄介ですね。
ある種の「上から目線」体験の快感なのか。

いじめられることは苦しい。でも、いじめっ子ばかりではないことも覚えておきたい。

今日は沖縄戦終結の日。

一度だけですが、沖縄に行ったことがあります。

行く前から米軍基地があることは知っていました。
でも、車で走れども走れども米軍基地のフェンスが続くとは。
直接体験しなければ分からないことも多いのです。


さて、

今日は期末テスト初日、或いは期末テスト直前。
いつも以上に熱気溢れる教室。
中1生は人生初の期末テスト。中2、中3生の多くは統合中学最初の期末テストとなります。
気合いが入りますよね。

今日の体重は69.0kgでした。

完璧な教材を求めて



どうも完璧な教材を求めてしまう癖がある。
少しでも気にくわない点があると修正したくなる。

オリジナル教材なら簡単に修正可能だ。
しかし、教材屋さんから購入したものは手直しができない。

丁度今は期末テスト直前。

各塾生の試験範囲内の典型的な問題はすべて完璧にトレーニングしておきたい。
もうこれで十分だ、もう任せても大丈夫、と言える位までに。

塾生の到達度に合わせて、躓きやすい問題をピックアップして解かせる。
様子を見ながら、類題の選択、到達レベルの設定などを決めてゆく。
一冊の問題集に典型問題が全て網羅されていれば、私達の仕事は少し楽になる。
まあ、そんな問題集は存在しない。だから、オリジナルプリントを作ったり、過去にストックして問題を探して来たりという作業が欠かせない。

ある試験範囲があったとして、やっておかねば心配になる問題群というものが存在する。それらを一問も欠かさずに演習しておきたい。それも十分な量。そうせねば、プロとしては自分を許せない。

指導要領が改訂されれば、当然試験問題の出題傾向も変わる。

特に新しく加わった分野の問題には要注意だ。

来年度、中学の教科書が改訂される。

体重は69.3kg。
踊り場が続く。

今日もそれをすること



69.6kgです。なんと、踊り場から一段上に上がりました。
絶句。
嘘のないブログの証にはなるが。

いや、そんなこと言っている場合ではない。

連日の雨でジョギングができなかったし。天気のせいにするという、よくある言い訳。

「父の日」。頂いた赤飯を腹いっぱい食べたのが響いたか。



さて、今日は日曜日のようなので大切なことの確認だけ。

勿論、塾生達は朝から期末テスト対策のために通塾してきましたよ。
私のチェックが終わった塾生から、自立学習に移行して行きました。
これぞ、自立型学習塾の熱気。
体調を崩していた塾生も復帰。高原学校から帰宅してすぐに駆け付けた塾生も。



確認すべき大切なこと、ですが。

継続について。

私の感覚ですが。
何も考えずに半年も継続すれば、周りからライバルは消えます。
それも、向こうから勝手に去ってゆきます。
だって、彼等は継続できないんですからね。

継続するコツは、継続可能なまでにハードルを下げること。

継続が習慣化すると、それをやらないことが苦痛になります。
「止まれない」はずみ車のような感覚。
それをやらずに寝るなどということは気持ち悪かったりする。

才能のない人が、才能のある人に勝つ唯一の方法です。
努力は奇跡を呼び込みます。

最後に、私の名言(?)の確認を。

「努力とは継続のこと。継続とは今日もそれをすること」
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

齊藤塾合格実績・・・前高、前女、高高、高女、高専、渋高、渋女、高経附、佐久長聖中、中央中等、樹徳中、埼玉大、新潟大、群馬大、静岡大、高等工科他

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