FC2ブログ

日本語の主語

実力テストの文章で、日本語にはそもそも主語がない旨の一節に出合った。

わが意を得たり、と思った。

「私がゆく」の「私が」は主語。
「(私は)あなたが好き」の「あなたが」は対象を表す、とされている。

こういう説明に違和感を持つのは私だけではないかと思う。
(塾の指導者としては定説にしたがって教えるのは当然なのだが。)

「格助詞『が』には様々な意味があってこの『が』は主語を表す」などと言ってしまっては味わいがなくなる。上の二例でも、「が」はその直前の単語(つまり、「私」や「あなた」)を際立たせているという役割を担っている。役割は同じ。さらに強調したい時には「は」を用いることになる。

それだけのことだと私は思っている。

日本語の文章ではしばしば主語が省略される、ともよく言われる。省略と言われれば確かにそうなのかもしれないが、そもそも「主語」という概念自体が曖昧だったのだと私は思っている。あるいは、そもそも主語というものに対する関心が薄かった。

古典の問題では、主語を答えさせる設問がよく見受けられる。内容理解が曖昧だと答えられないから良い問題だともいえる。しかし、古典ではそもそも何故これほどまでに主語が示されないのか、ということが話題にされることはまれだ。後世の人が解釈に迷うほど何故主語を示してないのか。

私が思うにそもそも主語という感覚が乏しかった。だから主語を示す必要性もあまり感じていなかった。それが普通だったから、読者も何の不便も感じていなかった。

主語という感覚が日本にもたらされたのは、外国語が本格的に入ってきた明治以降なのではないだろうか。何の研究もしていない私がその直感だけで、問題提起をするのは危険すぎるのでこのくらいにしておくが。

格助詞の「が」は周りから少し際立たせる役割をもっている。ただ、それだけ。
分類しすぎると味気なくなってしまう。
古典も味わい重視でゆくなら、今とは別のアプローチもあるかと思う。

日本語は人を指し示すことを嫌う言語だと思う。明治までは本名まで伏せていたりしたのだから。これが言霊思想と関係しているかは知らない。英語圏のようにファーストネームでは呼ばす苗字で呼ぶ。できれば役職で呼ぶ。できるだけ遠回し。

日本人はダイレクトに指し示されると、突き刺されたような痛さを感じるのかもしれない。

「〇〇様におかれましては」などは典型かもしれない。〇〇さんが、などと動作主をストレートに示すことを嫌う。「場所」で表す。そういえば、名前や家の代りに場所名を使うことは昭和初期あたりまではかなり見かけられたようだ。

敢えて示さなくてもお互いに分かりあえるのが日本人。いや、分かりあえていないかも知れなくても、分かりあっていることにしてしまうのが日本人。「そうだよなあ」と相槌を強制された瞬間に相手の仲間にさせられてしまう。
言うまでもなく、こういう空気感は時として危険をはらんでいる。もちろんだ。

昔の話。
東京でタクシーに乗ったら、野球のナイトゲーム中継がラジオから流れていた。
「勝ってますか?」と私が聞くと。「勝ってる、勝ってる、5対1で。ピッチャーが〇〇だから今日は大丈夫じゃあないの」
これで会話が成立した。東京では大多数が巨人ファンという大前提があった時代の話。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

2019年合格実績
前橋高校1名、前橋女子高校1名、高崎高校2名、高崎女子高校2名、群馬高専2名、新潟大歯学部1名、中央中等1名(その他・過年度分は下のホームページからどうぞ)

* お問い合わせは下記問い合わせバナーからどうぞ。
* 齊藤塾ホームページへは下のリンクからどうぞ。

最新記事
齊藤塾へのお問い合わせ
齊藤塾ホームページ
月別アーカイブ
カテゴリ
QRコード
QR
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

最新トラックバック
最新コメント