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学ぶことは盗むこと

今日は群馬高専推薦入試でした。
受験した人は、今日受けたことは早く忘れて、次の一般入試の準備を進めましょう。

中央中等、佐久長聖中受験生の健闘を祈ります。

さて、今日は職人の話。

というか、私がこれから何を書こうとしているのか、私自身が知らないということを確認しておきたいのです。
書き始めてみて、どのような話の展開になるかは私を含めて誰も知らない。考えてみればそうなのですが、内田樹さんの文章に出合うまでは、そのような発想の存在自体を知りませんでした。

書く内容が先にあって、それを文字に写しているのではないということ。

私達が普段当たり前だと思っていることを疑ってみることも大事ですね。あくせくばたばたしていたのでは立ち止まって当たり前を疑う時間はないかと思うのですが。昨日の話の続きのような感じになってしまいました。

さて、職人さんの話。

職人さんの世界に憧れる人って多いですよね。私もその一人です。といっても、中学卒業と同時に修業に入り、親方の家で寝食を共にするような度胸も根性も持ち合わせていないのは、自他ともに認めるところです。まだ、何も知らない中卒段階で「後戻りできない」世界に飛び込むというその「覚悟」がいいですね。まだまだあどけなさが抜けない顔。不安を押し殺して、自らを鼓舞し覚悟したその目には感動させられます。

今は「やり直しがきく社会」が期待されています。私達が若いころは「モラトリアム」という言葉が流行しました。何度もやり直しがきいて、いつまでも最終決断せずに「自分探し」ができる社会。そんな社会で、人って育つのでしょうか。おおいに疑問です。いつでも再挑戦できるのでは、いつになっても腹がすわりませんよね。

そういう意味では限られた時間で準備し、自らの進路を決定せねばならない「受験」という体験は必要なものなのかもしれません。

職人さんの世界では、親方は弟子に教えるということをしません。親方のやることを「盗め」と言います。何故か。教わったたことは身につかないからです。教わるということは、やはりどこまでいっても受け身なんでしょうね。「盗む」もうという気持ちになって初めて「自ら」学ぼうという姿勢になれる。目の色が変わってくる。

教わったことは自分のものにならない。「盗んだ」ことだけが身につく。

学びは、主体的に学んでこそ本当の学びになるのです。
いや、それ以外の学びってそもそも存在しません。

積ん読

中央中等入試が近いですね。

試験当日は駐車場が大変込み合います。そのつもりで早めに到着するよう、余裕をもって家を出て欲しいと思います。腕時計は持参した方が良いですね。

どの学校の入試にも言えることですが、入試を終えた塾生に「来年以降受験する後輩へのアドバイス」をお願いすると、「試験会場は大変寒いので防寒対策をしっかりと」などと書いてくれる人がいます。これは大人の責任ですよね。受験生が入試そのものに集中できるよう、学校側も配慮して欲しいものです。

佐久長聖中の本校入試も近いですね。一昔前の高校入試問題に酷似した問題がよく出ます。ご注意を。


さて、

今日は懐かしい文章に出合った。
森本哲郎さんの『読書の旅』の一節。

本は買ってきてすぐに読んではいけない。すぐに読むような本は実用書や参考書であって、自分の完成という最終目標のために読む本はガツガツ読んだら失礼だ。

近いところにある目的は切実だが、価値は大きくはない。遠くにある目的ほど価値が高い。近くにある目的は次の目的のための手段に過ぎない。

だが、この価値のある遠い目的のための読書は一見、無目的のように思える。それこそ価値ある読書なのだが。

というような内容。これ以上は直接お読み頂きたい。
(この文章、実はある地区の実力テストの問題だ。建前上、テスト問題は各学校作成ということになってはいるが、実質的にはほとんど同じ業者の同じ問題が出題されている。これから受験する学校があるといけないので、この程度にする。)

この文章はその昔、朝日新聞の天声人語でも取り上げられていた。読書法では多読、精読どちらが良いかという話題の中で、「積ん読」というものを称賛する内容だった。長年本棚にある背表紙だけを眺め続けていると、いずれ機が熟し読むべき時が来るというもの。やはり、本は慌てて読むべきではないという文脈だった。

社会状況を見ると、今は当時以上に「ガツガツ」しているような気がする。限られた時間でどれだけの情報の処理ができるか。入試はその最たるもの。いわゆる「仕事」も早さと正確さが求められる。そんな生活が当たり前になってくると、森本さんのおっしゃる「自分の完成」のことなど考える暇さえなくなりかねない。

入試情報の後半にこの話題ではなんともまとまりがないのだが。

実は、この天声人語。大学時代にスクラップブックに大切に保存しておいた。そして、当時家庭教師していた中学生に「自由教材」気取りで読ませたことがある。期待とは裏腹に、きょとんとされたのを覚えている。今思えば当然かもしれない。

この文章のおかげで、私は堂々と「積ん読」中心の読書法を貫き続けている。多くの本達が、機が熟すのを待っているようなのだが。

森本さんの文章は様々な教材に取り上げられてきた。
森本さんは残念ながら、比較的最近にお亡くなりになった。(弟さんは毎朝ラジオに出演なさっていますね。)

迷走前期試験

公立高校入試、前期試験の話。

ある県の高校入試。

この県では、全国的にみても早くに前期試験を導入した。上位校では総合問題と称する、各教科を横断するような気合いの入った前期試験入試問題を作成して話題となった。まさに「総合」問題。表やグラフから読み取れることを設問に従って、要約したり、自分の意見としてまとめたり、場合によっては計算力を駆使して見えてくる内容を読み解く。文章の一部には必ずと言ってよいくらいに英文が含まれており、短時間で英文の伝えんとすることを把握せねば解答が途中で止まってしまう。5教科全ての力をその必要に応じてフル活用する力が試される。特に上位校では「名作」を競い合った。

その結果、どうなったか。

前期試験は難しい、「ほんとうの実力」が試されるとばかりに塾は対策に追われた。勿論、予想問題などは簡単に作れるはずもない。が、作れないはずの予想問題で鍛えた。

確かに「実力のある」生徒を各校が獲得できた。上位校では「奪い合った」と言うのが正しい。高校入試は「高校側の」思惑で動く。各校とも優秀な生徒を早めに確保すべく、前期試験の枠を拡大し始めた。前期試験枠は最初上限が定員の5割だったものが、後に8割まで拡大されると各校とも上限いっぱいにその枠を拡大して優秀な生徒の確保に追われた。

その結果、どうなったか。

まず、中学校側から悲鳴が上がった。前期試験に失敗した「わずかの」生徒が人生を賭けて最後の追い込みを、目を吊り上げてやっているその横で、前期合格が決まった大多数の生徒は浮かれ、はしゃいでいた。残り2割の小さな枠に前期失敗組が集中するから倍率は高まり、泣く泣く志望校を下げる受験生も少なくなかった。

思い出多き中学校生活の最後は、何とも受け入れがたい天国と地獄の入り混じったものとなった。
部活ではともに助け合った友情は羨望と嫉妬と、そして優越感を押し殺した同情へと変わった。
中学生にこのような思いをさせてはならない、と大人達もやっと気づいた。

次には高校側からも、その問題作成に関わる教員からその負担の大きさを嘆く声があがってきていた。

その結果、どうなったか。

前期試験の廃止。前期後期試験の一本化。
なんてことはない。昔に戻したのだ。

迷走した前期試験。
振り回された子供達。関わった大人達の責任。許した私達の責任。

群馬県では前期試験に学力試験を導入することになった。
問題作成は教育委員会があたるとのこと。だから「迷走」県と同じには論じられないのかもしれない。

それはそうだが。

果たして、私達大人は「歴史から学ぶ」ことが出来るのだろうか。
「迷走」県の後を、数年遅れで追いかけただけに終わることにはならないだろうか。

私の予想では、群馬でも近い将来、前期後期試験は一本化される。前期学力試験はそれまでの過渡期的措置だと思っている。過渡期を挟みたい人達。

大学入試も大きく「改革」するようだ。迷走にならないことを祈る。世論は静かだ。

前期試験対策はいつから

センター試験を受験した皆さん。お疲れ様でした。
今日はゆっくり休んで欲しいと思います。

さて、

群馬県公立高校入試の前期試験対策はいつから始めたらよいか、という話。
私は2月に入ってからで良いと考えています。

総合問題を出題する高校でも同じ。

理由は簡単。

あくまでも後期試験に焦点を当てたいということ。
前期試験は不透明な部分も多く、採点基準も明確とは言えません。高高のように具体的に配点を示してくれている高校もありますが、それでも対策を立てるのは簡単ではありません。そもそも前期試験の問題は、総合問題も含めて対策が立てにくいように作ってあるのです。準備しにくい作問をして、受験生の潜在的な力を見たい、という性格が強いと考えます。

前期試験に期待しすぎは危険です。

勿論、前期試験直前には、過去問中心にトレーニングしておいて「試験の形式に慣れておく」必要はあります。過去問は各学校のHPに掲載されています。齊藤塾では過去問の練習と傾向の資料等を配布し、添削などもしています。

前期試験を受けた後は、その合格発表までは気持ちが落ち着きません。前期試験に受かればその瞬間から「受験勉強から解放されて自由になれる」という感覚。それが怖い。受けたことを忘れて後期試験の対策にあたって欲しいと思います
このブログは去年の2月9日に書き始めました。去年の前期試験の直前。今日のブログと似たような内容の記述がみられますね。もうすぐ1年。勿論、毎日書きます。

ブログは小論文ではありませんので、徒然なるままに書いています。

NHKの大河ドラマ『花燃ゆ』の視聴率がイマイチのようです。

私はというと、久々に期待できる大河ドラマということで毎週楽しみにしています。幕末ものはワクワクしますよね。私達は2015年の地点から歴史を振り返って幕末を見ています。でも、当時リアルタイムで幕末を経験した人にとっては、その後日本がどうなるか全く予想できなかったのです。いや、自分達でどう作ってゆくかという問題だったかな。柔軟に対応できたのは、やはり若者です。若者のパワーは偉大です。本当はこの話をもっと書きたい。時代を変革するのは例外なく若者なのですよ。

さて、最後はいつもの話。

小さなことなら継続できます。それさえも出来ない人は出来ない理由探しにエネルギーを費やす可愛そうな人。
まずは継続できるところまでハードルを下げます。10分でできることでも良い。それが決まったら「どんなことがあっても毎日」続けます。このブログもそうです。酒に酔っているときも、風邪をひいているときも書きました。(あまり、自慢になりませんでしたね。)

小さなことなら毎日続けられます。その時に「そんな小さなことを続けても、小さすぎて無意味だ」とか「そんな小さなことを積み重ねても大した結果は得られない」といった悪魔の声が聞こえることがあります。そこをしっかりと乗り越えます。面倒くさいことをどのくらい継続できるか。

ポイントは「継続そのもの」も目的化すること。内容じゃあなくて。

そのうちに、自分の中である変化が起きます。

「それをやらないと何だか気持ち悪い」という感覚。

それをやるのが面倒くさかった状態から、やらないと気持ち悪い状態への変化。
これって、ほぼ真逆の感覚ですよね。やらないと気持ち悪いからやる。習慣とはそういうものです。

そうなると、やることがむしろ快感にもなってくる。やるとすっきりできる感覚。

そんな毎日を積み重ねたある日、振り返るとその積み上げたものの大きさに自分でも驚くのです。

大事なことなので繰り返しました。

努力とは継続のこと。継続とは小さな一歩を今日も積み重ねること。
そうでうす。「努力とは今日もそれをすること」です。

抑えどころ

今年のセンター試験もちょっとしたトラブルがあったようですね。

地域によっては雪となりました。
入試日にはやはり雪が降りますね。

明日は二日目。
最後まで集中力を切らさないようにしましょう。
悪夢のような体験をした私からの忠告です。

さて、

前橋育英高校の学特Ⅰ期の合格ランクがB合格やC合格だった人は悩みどころですね。次の目標に向かって頭を切り替えたいところですが。

毎年思います。

高校入試偏差値って72を超えると他の人よりも頭1つ出るんですよね。68あたりまでは、ライバルは大勢います。でも72になると競争相手は激減します。5教科で440点から460点の当たりです。

これって、そんなに高い得点ですか。
努力で何とかなる領域だと分かるはずです。

だから、再三再四強調しているのです。基礎だ、反復だって。
偏差値72というと、世間的には天才だとか秀才だとか呼んで来る人まで出てきます。本人が一番分かっていると思いますが、まだまだ弱点だらけの状態です。それでも「頭ひとつ」出られる。かなり見晴のよいところに出られるのです。

こういう当たり前のことって、分かる人は言われなくても分かっている。
分からない人は、言われてもなかなか分からない。

問題集の反復。

分かっている人は「今これが3回目なんです」などと当たり前のように言っている。
分かっていない人は「もっと楽に力のつく問題集はないか」と新しい問題集を求めて書店の棚の前に立っている。
問題集の反復についても誰かに管理してもらわないとできない人もいる。

塾って何のためにあるのか。
プロは抑えどころを分かっていて、そこを責任もって抑えてゆく。
その時に抑えておかないと、後からでは何倍もの時間やコストがかかる部分を確実に抑えておく。
始めて学んだところを確実に自分のものにしておく。それが、最短距離。
出来る人は分かっている。

「後から」では苦労する。

どんなに優秀な生徒でも抑えどころの濃淡については分からない。だって、初めて学ぶところなのだから。
経験豊富なプロでなければ抑えられない。
私達プロは、結果が出せないと飯が食えない。だから必死です。

前橋育英学特Ⅰ期発表日

前橋育英高校の学特Ⅰ期入試の発表日ですね。

S合格した受験生は、前高、前女、高高、高女合格へ弾みがつきますね。
順調です。

A合格の受験生でも毎年相当数合格していますので十分期待できます。
自分を信じて、後期試験に照準を合わせて学習を進めて欲しいと思います。

B合格の受験生。まだまだ可能性はありますよ。毎年、私達を驚かせるような結果を出してくれる受験生がいます。挑戦資格はありますよ。

毎年受験生を見ていて思います。
最後の1か月で伸びる人の何と多いことか、と。
ということは、今順調だと思って学習のペースを緩めると、大逆転される危険もあります。まあ、合格するまでは走り続けなければなりません。

前橋育英受験生に毎年聞かれます。学特Ⅱを受けてランクアップすべきかどうか、ということ。B合格やC合格の受験生の中には再挑戦して合格ランクを上げたいという人も多いですよね。

勿論、どちらでもよいと思います。

受験しないことで、公立高校の受験に頭を切り替えることができます。焦点を絞ることができるのですね。それもおすすめです。もう高校生にはなれるのですから。

公立前期試験もありますしね。前期試験の直前にはどうしてもその対策に時間を取られますよ。さらに、3学期の期末テストもあるんですよ。前期試験の発表日直前には精神的に揺らぐ人もいます。いろいろ考えて判断してください。

後期試験に照準を合わせておくことだけは忘れず。

明日からはセンター試験ですね。

受験生がその力をしっかりと発揮できることを祈っています。

農二特待入試合格発表

雪になりましたね。
この時期、仕方のないことですが。

もう少しの辛抱です。2月になれば雪も解けるのが早くなります。去年ほどの大雪では困りますが。

受験ももう少しの辛抱です。

受験生が今一番思っていること。

それは「早く楽になりたい」です。「早く自由になりたい」もあるでしょうね。

そこをどれくらい辛抱できるかです。「我慢」という言葉が聞かれなくなった時代でも、我慢した者の勝ちですよ。
オシャレな受験勉強って存在しません。自分の弱点がボロボロにさらけ出されて自己嫌悪に陥り、それでも立ち上がって戦うしかないのが受験です。

それって「戦い」の本質です。

サッカーで言えば「泥臭いゴール」で勝ちましょう。

よく、気持ちで押し込んだゴールってありますよね。受験はあんな感じのものです。

だから、「早く楽になりたい」を押し殺します。
自分を奮い立たせます。
そして、根拠のない自信で立ち向かいます。

今の時期、多くの受験生が気づいてしまうこと。
それは、「おいおい、オレはこんなこともできなかったのかよう」です。
そして「今まで何やってきたんだ」です。

そんな気持ちになっている人は大丈夫です。ちゃんとした受験生です。
自分が見えている証拠ですから。

心配な受験生の典型。

それは「いろいろやってきたから、多分大丈夫だろう」という人。
「いろいろ」の部分が不安ですね。自分の姿が見えていない。
もう少し具体的に見て行きましょう。

今日は農二の特待生試験の発表日でした。
いつも思いますが、基礎ができている人は合格しますね。
合否の他に、模擬試験的に公立高校の志望校内の順位まで教えてくれます。親切ですよね。私立高校特待生試験の位置づけが共有されているということです。400点とれた人はかなりの上位になっています。基本的な取れる問題をしっかり取った人の勝利です。ますますそういう時代になりました。特別なことはいらない。

それは、前高、前女、高高、高女でも同じ。倍率を見てビビる必要なんてありません。取れる問題をしっかり取った人が勝ちます。

受験後に「あんな問題だったら皆解いてしまうよ。差がつかないよね」という感想を持った人は合格します。それと、具体的にこの問題は解けたけれど、次の〇〇の問題はここが分からなかった、などと話ができる人。受かります。

ちょっと心配な人。それは「何とか埋めてきました。白紙部分はありませんよ」とか「ちょっと時間が足りなくて、最後の問題まで行きませんでした」なとど言っている人。

明日は育英の発表ですね。皆さん、上位ランクで受かって欲しい。

自信のない若者

自分に自信の持てない若者が増えているという。

自分の責任で自分の手足を使い、自分の頭で悩んで何かを成し遂げた経験が乏しいからではないか。
どんなに小さなことでも良いから「自分で」やること。
その小さなことの積み重ねが自信につながる。

「オレって結構やるじゃん」という感覚にたどり着くまでには、小さな小さなことの積み重ねが必要なのだと思う。
とても「成功体験の積み重ね」などと言えるほどではないくらいの小さなことの積み重ね。

例えば何を指す? とても恥ずかしくて言えない。

それで良いのだ。

というより、それが大切なのだ。

それが分かっていない人に限って「そんな小さなことではダメなのだ」と必ず言ってくる。
本当はその小さなことを積み重ねる忍耐力がない。最初から逆転サヨナラホームランを狙っている。
大振りしている。つまり、焦っている。一人ずつランナーを溜めるようなことができない。忍耐がない。
三振する。
失敗し傷つく。自信を失う。

恥ずかしくて人には言えないような小さなこと。
その小さなことの積み重ねがどれだけ自分を支えてくれることが。

本当の自信。

それは「根拠のない」自信。

「あの時オレはやれたじゃあないか、だから今度も大丈夫」などと具体的には示せない。

強いていえば、

オレだから大丈夫。

それしか言えない。何の根拠もないのだから。
根拠のない自信。それを支えているものは何か。
小さなことの積み重ねのような気がしてならない。
記憶に残っていないくらい小さなことたち。

それらが体や心の各部分をちょっとずつ支えてくれている。
だから揺るがない。
記憶に残っていないから「根拠がない」ように思える。

入試が近い。

全てが想定内

前橋育英高校サッカー部は堂々の準優勝でしたね。

大先輩達も成し得なかった決勝進出。胸を張って群馬に帰って来て欲しいと思います。あと一歩及ばなかった。何かが足りなかった。

新たな課題も見つかったようです。

さて、

私立高校特待、特進入試もひと段落です。公立高校前期試験、後記試験に向けて徐々に照準を絞って行きましょう。センター試験、中央中等入試、佐久長聖中本校入試など受験生の人生を左右する試験が目白押しですね。

入試日には大雪にならないことを願っています。

入試日に大雪になることって不思議と多いのですよ。去年は高専の入試前日が大雪でしたね。何があっても驚かない心の準備が必要です。入試直前に風邪をひくこともよくあります。風邪まで「想定内」だと受けとめるくらいの心の準備が欲しいものです。決して「なんでこんな時に」などと考えないこと。「良くあることよ」くらいの気持ちで受け入れて欲しいものです。入試直前に家族や親族が体調を崩すこともよくありますよ。

全てが想定内です。

それらを失敗の理由にはできない。これが受験のつらいところです。

長(おさ)

事情があって、ある学校に入学するまでに何年もかかった人がいた。クラスの仲間よりも数年遅れての入学だった。

彼はクラスの仲間から「長(おさ)」と呼ばれたいた。誰が初めにそう呼んだのかは定かではない。ただ、多くの仲間達がそう呼んだところをみると、それは彼にふさわしい呼び名に思えたのだろう。年長者に対する敬意もあったろう。自分が彼よりも何年か人生を先行している(彼のように遅れてはいない)という優越感もあったろう。様々な感情が、たぶん緩く絡まって「おさ」という呼び名は自然に浸透していった。

明らかに言えること。

それは、仲間からひとりだけ「おさ」と呼ばれてしまっている彼の気持ちに寄り添えた人がいかなったということ。彼が、二度とない学生生活を仲間と送るときに、ひとりだけ特別扱いされていると感じ、夢にまで見た学生生活に水を注されたという悔しい感情を持ってしまったということ。学生生活にたどり着くまでの彼の数年に、思いをはせることのできる仲間があまりいなかったということ。

その容姿から「長老」と呼ばれた人がいた。

もう、同じ説明は不要だろう。

「爺さん」と呼ばれた人もいた。

同じ。


昔々、人づてに聞いた話。

いじめは中高生だけにあるのではない。
軽い言葉、さりげない言葉、ほとんど意識していない言葉の中にいじめがくっついていて、日々特定の人の心をチクチクと刺し続ける。毎日毎日。

「おさ」はある人を「長老」と呼び、「長老」は別の人を「おさ」と呼んでいたりもする。
ほとんど意識せずに。

本当に本当に気をつけたいものだ。

傷ついた経験のある人から直すしかないのかもしれない。

プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

齊藤塾合格実績・・・前高、前女、高高、高女、高専、渋高、渋女、高経附、佐久長聖中、中央中等、樹徳中、埼玉大、新潟大、群馬大、静岡大、高等工科他

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