期末テスト対策の指導

中3塾生が英検準2級に合格。現塾生では、二人目の準2級中3生となった。多忙な中、よく頑張ったと思う。
さて、昨日の続き。
私は、そのテスト範囲の有名問題については全て完璧に演習させたいと思っている。到達の基準は私が「もうこの塾生は大丈夫」と思えるところ。一般的に生徒は呑気なことが多い。どこも初めて習う単元なだけにその恐さを知らない。だから、通り一遍やってできるようになると、それでひとまず安心してしまう。通り一遍ではまだ、スタートラインに立っただけなのに、もう完成したような気になっていることもある。そこを、慎重にしつこく確認して行くのが私の仕事になる。
ある問題をヒントなしで解けても、確認のために類題を二問ほど追加する。たまたまできたという可能性もあるからだ。本当の力になっているかどうかを見極めるのはたやすいいことではない。有名問題について、一つ一つそういうことを積み重ねてゆく。限られた時間内に満足ゆくまでの演習量をこなすために、私の頭の中では優先順位がめまぐるしく変わる。その塾生にとってのベストの得点を取らせるために。そして塾生も私も後悔しないために。
偏差値70を超える塾生に対しても、油断は禁物だ。まだ習っていない単元の知識についてはゼロからスタートすることになるのだから。昨日までの偏差値は「過去の」学習についての評価なのだ。
「脱ゆとり」の指導要領になって、以前の内容から復活したものや、新しく加わったものなど様々だ。慎重な対応が必要となる。
自立型学習塾。そう呼ばれている塾が増加傾向かと思う。ただ、実態は様々だ。
齊藤塾では、プリントのやり取りでの指導を基本としつつ、テスト前などには私がチェックした後で自学による演習時間を十分に確保しようとしている。まあ、かなり欲張りなやり方かと思う。
塾の教室内で演習時間を確保することが求められる時代となった。
時代の流れは標高の高いところから降りてゆく。(私の持論。)標高400mの山間部自立型学習塾で行われている指導方法が平地に降りてゆく時期も近いかと思う。齊藤塾のように標高の高い塾は最前線で戦っているといえる。
興味を持ってくれた同業者が連絡をくれることがある。皆さん悩みは共通だ。塾業界自体、悩みを共有する風土と言えないところが残念なところなのだが。
指導しなければ塾ではない。でも、指導だけしていたのでは塾ではない。指導しつつ演習時間も確保する。塾はこの難題に取り組む時代になった。どうしてそんな時代だといえるのか?皆さん、自問して頂きたい。
やらされ勉強花盛りの時代。もう一度考えたいものだ。
勉強は自分のためにやっているのではない。社会の役に立つ人間になるためにやっているのだ。この一点において、私達に選択肢はない。なぜなら、人間はそういう風にできている動物だから。そして、社会の役にたったときだけ、人間は幸せを実感できる。
(そんなことないよ、そんなの極論だよと思いたい人はどうぞご自由に。でも、できれば頭の片隅に残しておいて頂けたら嬉しい。)