「分かる」を分かりたい

『「学び」の構造』(佐伯胖著)を次のように読んだ。
「覚える」と「分かる」の違いについて。
「覚えたこと」は「忘れる」ことがある。忘れることができる、と言い換えても良い。何かを覚えても、自分で意図的に反復するか誰かに注意されたりしない限り忘れる。つまり、「もとの状態に戻る」。
それに対して、
一度「分かった」ことは「もとの状態に戻る」ことはない。あとで、さらに新しいことが分かるなどして「分からなくなる」ことはあるが、もとの問題に逆戻りすることはない。もとの状態に戻りたくても戻れないともいえる。
このブログでも再三書いてきた。反復することの重要性。
勿論、反復することで「覚える」ことは定着してゆく。
その当たり前過ぎることを踏まえて、もう一度「分かる」ということを深く考えてみようと思う。私達の仕事も、ややもすると大量の情報を覚えることに焦点を当ててしまいがちだ。基本的なことは覚えねば始まらない。
それはそうだ。だが、「分かる」ということをもう少し意識してみたい。
この著者の他の書物も読んでみるつもりだ。
今の私の問題意識とも合致するので。
「わかる」ことのワクワク感は、「覚えていた」ことのホット感よりも上級かもしれない。