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浅間山から流れてきた溶岩です。



私がよく散歩する道沿いの畑脇にはこのような溶岩が沢山転がっています。子供の頃から見慣れてしまっていた溶岩の石ころ。「浅間の焼石」だと親たちは説明していました。そもそも浅間山から直線距離でも30km以上。噴火口から流れ下った溶岩は50kmほどの道のりを、どんな速度で流れてきたのかなど想像もしたことはありませんでした。

浅間山は江戸時代の天明3年に大噴火し、その火砕流は時速100kmで吾妻川を流れ下り、あっという間に渋川にまで達したということです。中之条町や渋川市にはその時に流れ着いたと思われる高さ数メートルの溶岩の塊が残されています。

時速100kmの火砕流。一瞬にして吾妻地区は地獄絵図に変わったのです。齊藤塾のある矢倉地区は周りよりも土地が低いのですが、それでも火砕流によって数メートルは高くなったらしいのです。矢倉駅のすぐ下に家が数軒あるのですが、この地域を今でも「上の平」と呼んでいます。ところがそこは国道のあるメイン通りからあまり高くはないのです。とても「上」の方にある「平ら」な土地というほどではない。火砕流が積もって下の土地が高くなり、「上」と「下」の差があまりなくなってしまったようなのです。

神社の杉の大木に火がうつり枝が燃え出したところを、勇敢な坊さんがよじ登って切り落としたという言い伝えも残っています。

浅間山の火山灰は成層圏にまで達し、地球全体を覆いました。日射量を激減させ各地の飢饉の原因になり、フランス革命の遠因になった、とも言われています。

東日本大震災で私達は地震の恐ろしさを嫌と言うほど体感しました。しかし、どうもまだまだ続きがあったようです。

御嶽山の山頂で噴火に巻き込まれた亡くなった方の中には、噴火の様子をデジカメで撮影していて避難が遅れてしまった方がいらしたようです。
大震災の後にも「津波がまさかここまで来るとは思わなかった」といった言葉が沢山聞かれました。
夏には川の中州でキャンプしていて流されるといった事故が毎年のように起きています。

都会で忙しい生活を送っていると、週末の自然の中でのリフレッシュが危険と隣り合わせだと言うところまでは思いが至らないのかもしれません。でも、それは人間の方の都合です。

自然の怖さを忘れないようにしたいものです。
私は100人に笑われてもよいから、自然災害の危険からは逃げたいと思っています。

さて、

週末には巨大台風がやってきます。
まずは、火曜日まで確実に生き延びることを考えたいと思います。

自立型、自由通塾の齊藤塾では危険が予想される日には通塾日を変更するようお願いしています。

勉強も大切ですが、命はもっと大切です。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

齊藤塾合格実績・・・前高、前女、高高、高女、高専、渋高、渋女、高経附、佐久長聖中、中央中等、樹徳中、埼玉大、新潟大、群馬大、静岡大、高等工科他

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