報道ステーション



仕事が終わって『報道ステーション』を見た。
なんと吾妻渓谷からの中継。

齊藤塾から車で15分の所。

吾妻渓谷の紅葉も今年で見納めと言うことでしょうか。

雨の吾妻渓谷。

今日は涙雨。

ライトアップ。

痛々しいほど美しい紅葉。紅く、そして暗い。

ダムに沈む渓谷。じきに樹木の伐採が始まる。
樹木達は切られる。
切り株は湖底に沈む。

まあ良いでしょう。

私達が選択したことのようですし。

見慣れた鉄橋からのサックス演奏。
「赤とんぼ」♪

涙雨の中の赤とんぼ。

辞職した経済産業大臣の金庫番の家宅捜索ニュース。
これも吾妻。中之条。

良いでしょう。

私達の責任です。

日銀のニュース。

株価が反応したと。

明日から11月。

そして「本気」な人だけが生き残る国。

受験生も大人も。

「考える」ことは「反応」なのだ



11月の塾通信にはいつもこの話題を掲載しています。

哲学者の谷川徹三さんによると、「考える」ということの原初的形態は「我々が生活の中で何らかの障害に出合って、我々の意志が阻まれる場合、それに反応する一つの仕方」なのだと。

障害に出合わなければ考える必要もない、ということですね。

人は、考えなければ前に進めないような状況に追い込まれて初めて考えるということをする。何も考えずに日々過ごせる人が哲学的思考をすることなどあり得ないということなのかもしれません。

まあ、そうかもしれませんね。それほど人は怠惰なのでしょう。必要のないことはなるべくやらない。何らかの困った状況に追い詰められて、初めて頭を使い始める。何とか頭を使って乗り切ろうとする。考えなければ前に進めなくなって、やっと考えだす。

そう考えると、先人達が膨大な思考の遺産を残してくれているということは、それだけ先人達が様々な障害に出合って、その時々に思考せざるをえなかった。そんなな状況に追い込まれて、苦しみながら思考してきたということに違いありません。

受験も一つの障害ともいえます。

どうしても乗り越えなければならない。受験では様々なことを考える必要に迫られます。
深く考えるチャンスをもらったとも言えますね。

景気も簡単には上向かないようです。

大人も子供も考えるチャンスです。

勉強と孤独



勉強は孤独にやるものです。

和気あいあいと楽しくやる勉強などあり得ません。

孤独とは自分と向き合うことです。
勉強の苦しみと向き合う時に、自分の弱さ、情けなさが浮き彫りになってきます。
それまでは適当に誤魔化したり、棚上げしたりして来たことが自分の目の前にさらけ出されます。だから、苦しい。自己嫌悪に陥ります。

これほどまでに自分は弱かったのか、と。見たくないほど情けない自分。でも、それが現実。動かしがたい現実。今まで自分はいったい何をやってきたのだ。そんな自分と向き合い、そしてその立ち位置からやり直すしかないのです。自分の弱さに、目をそらすことなく向き合った人だけが強くなれます。これほどまでに自分は弱かったのかということが、腹の底から分かったときに、新たなスタートが切れます。

母親がガミガミ言うと、子供は孤独に向き合えなくなります。多くのお母さん方はお子さんが孤独に向き合うチャンスを奪っています。だから、いつになっても強くなれない。

本当はこれほど弱くはない、これはたまたまの結果だ、などともう一度誤魔化してしまう「余裕」のある人は「次回に持ち越し」ですね。立ち直るチャンスはそれほど多くはないのに。

受験からは逃げられないのです。逃げられないからこそ、誤魔化さずに自分の弱さと向き合うチャンスなのです。それも孤独に。このチャンスに「楽な道」を選んでしまったら、強くなれる機会を自ら逃します。次に訪れるチャンスはいつになることか。

例えば、中3生。
受験に向き合うのはつらいでしょう。でも、逃げないで向き合うからたくましくなれるのです。成長できるのです。

遠方から通塾の齊藤塾の中3塾生2名。2名とも2回続けて学年3位。もう誰にもまぐれなどとは言わせませんよね。入塾以来大きく順位を上げました。少しずつ、でも確実に強くなってきています。




二極化だそうです。

学力も貧困も。

いずれも、「フタコブラクダ」の下のコブが大きいのだそうです。

そうだとすると、周りも似たかよったかだったりして。怖いですねえ。

日本人の最大のメリットは「日本語ができること」です。上のコブが小さいと言うことは、優秀な日本人は「希少価値」になるということ。価値イコール希少価値ですから。

空気に流されることに意味はありません。

厳しい時代




厳しい時代が続いている。そして、今後はもっと厳しい時代になると予想されている。

こどもの貧困、貧困女子、スネップ、ニート・・・そして少子化。深刻な言葉ばかりが聞かれている。

実は、私は厳しい時代の方が好きだ。私に言わせれば、まだまだ皆さん幻想を追い求めていると思う。もっともっと皆さんが足元を見て生活をすれば、意外と良い時代になるのではないかとはかない期待を抱いている。足元の現実を見据えて一歩一歩前に進む人が一人でも増えることを期待している。そのような人から、私は元気をもらえるから。

バブルの時のような浮かれた時代はもうまっぴらだ。流れに乗っているだけなのに、自分の力だと過信していた時代。

厳しく苦しい時代の方が人は頭を使う。自分に与えられたわずかな能力に感謝し、それを最大限に生かして生き延びようとする。人間は本来、そうやって生き延びてきた。そんな気がする。追い詰められて、絶望し、それでも自分を信じて少しずつ前に進んで来た。その子孫が私達だ。

だから、大丈夫。やれる。

絶望なんかしているうちはまだまだ余裕がある証拠。本当に追い詰められたら頭の中は意外とすっきりして、それまでのようにぐちゃぐちゃ余計なことは考えなくなる。そして、ゆっくり確実に前進を始める。先輩達は例外なく厳しい時代を乗り越えてきている。唯一の例外が私達。厳しさを知らずに生きてきたから、時代がちょっと厳しい方に傾いただけで大騒ぎする。今まで恵まれすぎてきた。普通の厳しさを普通に受けとめて前に進みたいと思う。卑屈になるのだけはやめましょうね。

寝る子は受かる



私自身、受験で失敗の許されないところまで追い込まれた時、まずやったことは「寝る時刻と起きる時刻」を決めることだった。

勉強が思うように行かない人は、生活習慣が乱れている。食生活、睡眠時間などの習慣が日々ばらばらなのだ。これでは体の方がどまどってしまう。

特に睡眠は大切だ。

寝ている間に脳は頭の中を整理する。この時間を十分に確保することで学習効果は飛躍的に伸びるという。

十分な睡眠時間を確保することで、昼間の学習時間に集中できる。

結果を焦る人は夜更かしをし、生活リズムを狂わせ、昼間に頭が働かない。
そして、自己嫌悪に陥る。
「自分はなんて根性がないんだろう」と。

根性がないんじゃあない。睡眠時間が足りないのだ。

受かりたい人は寝ましょう。「寝る子は受かる」だ。

十分な睡眠を確保することで、体の方が勉強に味方してくれる。

体が悲鳴をあげているときには勉強どころではないのだから。

生まれたときから夜更かしが習慣化している人も多いようだ。
これは勿論、親の責任。
でも、そうも言ってはいられない。

受かりたい人はまずは寝る時刻と起きる時刻を決めること。
そして、有限の昼間の時間を有効に使って学習すること。
その有限の時間に最大限の努力をしたら、その結果は素直に受け入れること。
そういった腹が据わった状態になった人が一番強い。

学べない人間



『「学び」の構造』(佐伯胖著)の冒頭部分で、著者は学べない人間を三つのタイプに分類している。

A. 無気力型
B. ガリ勉型
C. ハウ・ツウ型

の三つだ。この三つのタイプの人間は学ぶということをあまりにも表面的にとらえているために、学べないのだという。
この話題についてはこのブログでも追い追い触れて行こうと思っている。

これはだいぶ昔に書かれた本だが、指摘されている問題の深刻さは現在の方がむしろ深まっているような気さえする。
仮に「先生、理屈は良いから早く娘の成績を上げてくださいよう」などと言う大人がいたとする。「学び」をあまりにも軽くとらえている証拠だ。勿論、学校の先生も塾の講師もプロとして子供の学習成果を上げるのが仕事だ。結果が出ていないのならば、反省点は当然あるだろう。それを棚に上げてはいけない。当たりまえだ。

しかし、「学び」は「〇〇すれば、必ず〇〇する」というようなシンプルなものではない。なかなか結果が出ない子が、コツコツと努力を積み重ね、学んだことが有機的に結合した瞬間に臨界点に達して爆発的に結果となって表れる、などと言う現象を何度も見ている。学ぶということの難しさ、不思議さ、面白さを体感したことのある人だったら分かるはずだ。

あまりにもシンプルな学習論を展開する人がいたら、それは警戒すべきだ。「ついにたどり着いた究極の学習法」みたいなやつ。「学び」とはそんなに簡単なことではないから、様々な学習論者がいるのだ。日本に学習心理の専門家って何人いるのだろう。評論家という人まで含めたら、呆れるほどの数だろう。教育学者が100人いれば、100通りの説が展開されるという。

まあ、ダイエットの方がよほど簡単だ。食べなければよいのだから。(比較する対象を間違えていますね。笑))

最近、独学関係の書物が売れているようだ。独学には「学び」の本質がある。私が自立型学習塾を開いているのも、ことあるごとに日本語力を強調しているのも、子供達に自ら学ぶ力をつけて欲しいからだ。いざとなったら、独学できる力。

もやもやしたものが晴れて、視界が開けた瞬間の感動は何事にも代えがたい。「学び」にはそういった感動がある。その感動は「〇〇したら必ず〇〇する」というようなものの先にはない。当たり前だ。すぐには結果が出ないことにコツコツ取り組む。一見無味乾燥な計算練習や英単語の暗記などを積み重ねて、その土台の上に積み上げられたピラミッドの上に立ってこそ初めて見える景色があるのだ。土台を作っている時に、早く素晴らしい景色を見せろといわれても困る。「はい、すぐにお見せします」などと言う教育者がいたら、それはニセモノだ。教えるプロとして、私も結果を求められている。だからこそ、ピラミッドの頂上から見える本物の景色しか目標にしていない。

愛さないから愛されない



真っ赤な百日草とともに恋愛論や婚活論が始まったかと思われたでしょうか。

学習論です。

ある人が英語学習関係の書物に書いています。
久しぶりに出会った英単語は懐かしい友に会ったようで嬉しくなる、と。

「おいおい久しぶり。こんな所で出会うとは。懐かしいねえ」という言葉でもかけたくなるような心境なのでしょうか。その英単語を友達だと思えるようになったのは何故か。きっと、「一度好きになった」からです。あるいは、「しばらく気になる存在」だったからです。いや、もうちょっと先まで関係は進んでいたかもしれませんね。

ちょっと見かけたくらいでは「懐かしい友達」にはなりません。
一度好きになったのです。こちらから愛したのです。こちらから愛さないと相手も愛してはくれません。

中途半端な気持ちでの学習。腰が引けている学習。腹のすわっていない学習。

そう、学習内容を「愛そう」としていない学習では、相手は答えてくれないのです。まずは腹を据えて真っ直ぐな気持ちで勉強に取り組むこと。「愛する」ことです。

裏切られたと感じることが一度や二度あったからといって、愛するのをやめてしまうようでは成就しませんよ。

家族は最小単位の社会



人間という動物はあまりにも弱い存在だったので、社会を作って生き延びるという選択をしました。それ以外の選択肢はなかったのかもしれません。そして、社会を作ったからこそ、結果的に地球上で最強の生物へと登りつめることができたのでしょう。

社会を作り生き延びる。
社会の中の一員としてしか生き延びる術はないのが人間なのです

え? 社会とほとんど関わらずに「個人」として生き延びる道もあるんじゃないの?

それは、誤解です。今までそうやって生き延びた人は一人もいないのですから。

個人主義。

どうも私達はとんでもない社会観に迷い込んでしまったようです。
「人間はひとりひとりに分断されたときに、あまりにももろくて弱い」という当たり前のことに気づくのに、私達はとても多くの時間を費やしてしまったようです。

2014年の今。キーワードは「孤独」です。

社会から縛られない自由な個人を求めた結果、たどり着いたのは底なしの「孤独」だったようです。



そして、子供の話。

子供は家族という「社会」に生れ落ちます。生れ落ちる家族を選ぶことはできません。生れ落ちた「家族」という最小単位の社会に所属することから人生をスタートさせます。家族の一員として無条件で認められる安心感を土台として、人間としての様々な経験を積んでゆきます。

だから、家族という「社会の一員」として認められることがまずは支えとなるのです。

もし、それが揺らいだとすれば、子供は不安に怯えることになるのです。
不安? いや、恐怖と言っても良いでしょう。

「あなたなんて、この家の子供じゃないと思っちゃう」

安易に発せられるこの言葉がどれだけ子供を恐怖に陥れることか。
それを分かって欲しいのです。
小さな子は家族という社会から見放されたら生きてゆきません。
だから、見放されないように必死なのです。
親の言うことなど無視しているように一見感じられるかもしれませんが、絶対にそんなことはないのです。

家族という社会から放り出すかもよ、という恐怖のメッセージを利用して子供をコントロールしようとすることはやめて欲しいのです。

家族は最小単位の社会。

どんなに少人数の家族だとしてもそれは社会なのです。そして人間はその社会から認められているという安心感がなければ生きて行けないのです。裸で外に放り出されたら、生きて行けない動物なのです。家族という社会から放り出すというメッセージで子供を動かそうとしないでほしい。それが、今日言いたいことです。


さて、群馬県では28日が県民の日なので、あすから飛び石連休となります。地元の岩島中学では27日が文化祭の振り替え休日となるので4連休となります。齊藤塾の中3生は三者面談前の集中学習期間としましょうか。

脳の回転数



自分のペースで学習するというのは楽しいものです。

脳の「回転速度」には個人差が大きい。
一斉授業のスピードについて行くのが苦しい人もいれば、物足りないと感じる人もいる。あまりにも個人差が大きい。理解不能のまま流れてゆく授業を我慢して聞いていても、それは時間の無駄。それだけではなく、授業が理解できなくても不快に思わずに終了時刻まで静かに座っている、というある種の「訓練」をやっているとも言えるのです。

勉強は自分に合ったペースが進めるのは一番気持ちがよい。

そのためには自分の理解できる速さで学習を進めること。
興味あることを調べたりしながら。


自分で学習するには、それができるレベルの日本語力は必須です。

好きな勉強を思う存分進めた人は最強です。

公立高校前期試験は継続



公立高校前期試験の継続が決まりました。
現在の中1生が高校受験する2017年入試までは確実に継続されます。これで、群馬県においてはしばらくは前期後期試験の一本化はありません。気をもんだり振り回されたりすることはなくなりましたね。現在の中1生までは。

あまり私達が「一本化はいつから」と心配したので、道筋を示してくれたようです。有難いことです。

そして、2017年入試からは前期試験にも学力検査が課されます。3教科。国語、数学、英語の学力検査と面接等で「総合的に合否を判断」するのだそうです。どこかの県でも似たような形の入試をやっています。それに倣った形でしょうかね。

前期試験で指摘されている不透明感はそこそこ払拭されるでしょう。受験生の心理として2回チャンスがある、というのは見かけ上は嬉しいのですよね。現実にはそんなことはないのですが。合格率は同じ。それだけではなく、前期試験には実質上「青田買い」効果があるために各高校の倍率維持に貢献しているのですよね。まあ、良いでしょう。大学入試も似たような状況になっています。

前期試験で5割も入学する高校もあり、学力試験なしで高校生になれるという空気が蔓延していたのも事実でしょう。受験生の心理は簡単です。「早く楽になりたい」です。最近は保護者の気持ちも同じ。「できれば前期試験で受かって欲しい」です。今の制度では、楽な道があるように見えているのは事実です。今回の改革は、高校生になるには学力をつけるしかないのだ、という教育委員会のメッセージと捉えることもできますね。

いわゆる「総合問題」入試を前期試験とすることも可能だということです。高高の前期総合問題は毎年「自信作」だそうです。2017年以降の入試はどうなるのでしょうか。

さて、第1回進路希望調査結果について一言。

高崎経済大附属高  2.13倍
高崎北高校      1.67倍
前橋南高校      1.63倍

例年の人気高校は今年も高倍率です。
私は「偏差値60前後の共学校人気」という捉え方をしています。
伝統校はガツガツ勉強ばかりしているというイメージ。
上記3校は、学園生活をエンジョイしつつ大学入試にも道が開けている高校、というイメージでしょうかね。

あくまでもイメージですが。

プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

齊藤塾合格実績・・・前高、前女、高高、高女、高専、渋高、渋女、高経附、佐久長聖中、中央中等、樹徳中、埼玉大、新潟大、群馬大、静岡大、高等工科他

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