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29年前、私は藤岡市にいた。

29年前の8月12日。私は藤岡市にいた。

8月11日は日航機が消息を絶ち、行方不明だというニュースを聞きながら床に就いた。

そして、12日。

早朝から迷彩色の自衛隊の車両が、藤岡市内をあわただしく行き交う。

「もしや」

それは的中した。

日航機が墜落した上野村の最寄の都市は藤岡市。
(最寄と言っても車で1時間以上かかる。)

藤岡市内各中学校の体育館は臨時の遺体安置所となった。
大型の装置で体育館全体を冷房していた。

次々に収容されてくる遺体は一旦体育館に安置された。

体育館での部活は一時中止。

藤岡市内にはそれまではめったに見なかったハイヤーという車が行き交った。
「日航」のプレートを立てたハイヤー。

わずかな生存者は一旦藤岡市内の病院に入院。

病院前にたむろする若者達。
ワードショーの取材カメラに映りたくて、しつこく位置を変え、ピースサインでアピール。

事故直前に相次いで発刊した写真週刊誌に掲載される悲惨な現場写真。

そして、1日中鳴り響くヘリコプターの音。
自衛隊、警察、報道各社のヘリコプター。

とりわけ暑く、そして長い夏だった。


数年後。私は一人で墜落現場の「御巣鷹の尾根」に登った。

4月29日。上野村の手前に車を置き、そこから自転車で「尾根」の駐車場まで登った。
それから上は、それまでには整備されていた登山道を徒歩で登る。
登る途中、GWを利用して慰霊登山に来ていた遺族とすれ違い、挨拶を交わす。
遺族ではない私がそこにいることが、何故か申し訳なく思えてしまう。
遺族だけの神聖な場所のように思えて。

30分ほど山道を登り、やっと墜落現場へ着いた。
遺体が発見されたところに、一つ一つ立っている白い墓標。
数本が固まって立っていたり、ポツリと一つだけ立っていたり。

一本一本にはそこで亡くなった人の名前が書いてある。
「尾根」と名付けられたが、実際は「急斜面」だ。ものすごい急斜面。ちゃんと立っていられないほどの急斜面。一か所だけ、慰霊碑を立てたところだけにわずかに平らな所があるだけ。

日航機は山に堕ちたのだ。

暗くなってきたので慌てて下山を始めた。薄暗い登山道をたったひとりで下ってきた。

あれ以来、上野村へは行ってない。

上野村。
私が子供の頃の吾妻の風景そっくりの景色が残っている村だった。
今はすっかり変わってしまったことだろう。

520人の魂よ。安らかにお眠りください。

あの歴史的大事故以来、日本では大きな航空機事故は起きていない。
大きすぎる犠牲だったが、教訓として空の安全に生かされている。

お盆になる。






プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

合格実績(2012年~2020年までの合計)前橋高校4名、前橋女子高校8名、高崎高校5名、高崎女子高校7名、群馬高専5名、渋川高校20名、渋川女子高校17名、高経附高校3名、前橋育英S4名(中学受験については初年度からの合計で中央中等8名、佐久長聖中8名それぞれ合格、大学受験については、群馬大、埼玉大、茨城大、信州大、新潟大、静岡大、早稲田大、慶応大、津田塾大、東京女子大、明治大、法政大、成城大、東洋大、獨協大等多数合格・詳細は下のホームページからどうぞ)

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