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子供を叱っているときの立ち位置

例えば、親が子供を叱る時のこと。

この時の親の立ち位置について考えてみたい。

親は、少なくとも子供を叱っているその時だけは、子供を叱る資格があるという前提に立っている。本当にその資格があるかどうかは置いておくとして、そういう前提に立たないと叱れないから。自分の不完全さと対峙しながら、同時に子供の不完全さを直そうという姿勢は取れない。親としての責任ある言葉で、場合によっては迫力ある言葉で叱れなくなってしまう。だから叱る時は、ちゃんとしている親として責任もって厳しい言葉で子供の振る舞いの修正を迫る。



今日話題にしたいのは、この叱るという行為の間だけは、親は少なくとも「完全」な自分を体験できてしまうという厄介な問題について。
親である自分は今ちゃんとしていて、あるいはちゃんとした子供時代を過ごしてきた。だから、子供を叱る資格があるのだという前提での行為が体験できてしまう。

幻想でも思い込みでもよい。子供を叱っている時だけ体験できる自らの「完全性」。これってやばくないですか。自らの不完全性に満たされない思いを常に抱いていて、もう少し何とかしたいと思っている親がいる。そこに、自分よりも明らかに不完全レベルの高い自らの子供が現れる。そして、自分自身は親であるから、不完全な部分は叱って修正させるべき「立場」にいる。叱らなければならない立場ともいえる。

叱るべき立場にいるからこそ叱る。「お母さんだって、あんたにこんなことばっかり言いたくはないのよ!」などと時には声を荒げて。本当は叱りたくなんかないのだ。親として黙っていられないから言うべきことは言うのだ、などと。

叱るべき立場にいるから叱るのだが、結果としてこれは親自身の不完全性の苦しみを和らげる効果を持ってしまわないだろうか。

自分自身の不完全性に苦しんでいる人が、目の前に自分よりも不完全な人を見つけ、しかもその人を叱ることが自身の「仕事」だという(世間的な)お墨付きが与えられたとしたら。その「仕事」をこなす時には前提として自分自身は完全であるという体験ができてしまう。それも心置きなく。

子供を叱るという行為が、親自身の不完全性の苦しみを忘れさせてくれる行為となっていないことを願う。(このテーマはもっと深めてまた書きます。)


今日も1学期期末テストの結果を持ってきた生徒がいます。学年1位、学年2位、学年4位、5教科合計点480点越え。何とも気持ちの良い数字が並んでいます。それでも、夏期講習では徹底的に復習します。夏期講習で反復学習して築いた土台は、県内トップ校のどの学校を受験する上でも大きな力となります。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

2019年合格実績
前橋高校1名、前橋女子高校1名、高崎高校2名、高崎女子高校2名、群馬高専2名、新潟大歯学部1名、中央中等1名(その他・過年度分は下のホームページからどうぞ)

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