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言わなくても分かっていることを言う人達

通知表で理科だけ成績が悪いとする。「あと理科が良かったら完璧だったのに」。そんなこと、分かっている。言われなくても。

数学のテストが返ってきた。図形問題の得点が低いとする。「なんだ、図形問題で点を落としているねえ。今度は図形問題を多めに練習しとけよ」。そんなこと、分かっている。言われなくても。

人は得点できなかったところばかりが、気になるらしい。90点とっても、失点した10点の部分に注目したいらしい。確実に得点した90点分には目もくれない。失点した10点部分がやたらと浮き上がって見えるらしい。1問の得点は2点か3点だ。それらを確実に得点し、積み上げた努力には触れてくれない。

2+3+3+4+2・・・・=90 なのにね。

失った10点のために、積み上げた90点の価値がかすんで見えているようだ。

10点分失って一番悔しがっているには僕自身だ。「お前、悔しくないの?」などと聞くなよ。悔しいに決まっているじゃないか。悔しすぎて表情に出せないだけだ。

「どうして、あんなミスをしてしまったのだろう」「どうして、問題を読み間違ってしまったのだろう」「問題集とほとんど同じ問題だった。もう一度復習しておけば」・・・・

僕自身がこんなに悔しがっているのが何故わからない。大人達よ!
悔しがっている背中を追いかけて来て、「悔しくないの?」なんて聞くなよ。

「ガマン」は死後か

私が子供の頃は、大人達が子供に対して「ガマン、ガマン」と言って言い聞かせるシーンが良く見られた。

最近、見かけなくなったような気がする。

じっと我慢する。じっと耐える。厳しい状況に追い込まれた時には、ぐっと踏ん張って耐える。後ろに下がらないように耐え忍ぶ。このような時には前に進もうなどとは思わない。後ろにだけは下がらないように、それだけを考えてこらえる。スポーツの試合で相手が攻勢をかけて来た時など。

決して、一発逆転などは狙わない。マイナスにならないように我慢する。あるいは、マイナスを最小にすべく耐える。

子供をダメにするのは簡単。ワガママに育てればよい。
子供を優秀にするのも簡単。ガマンを教えれば良い。

ある教育者の言葉。そうかもしれない。

どこかに正解があるのではないか。自分が知らないだけで、他の人はもっと上手に生きているのではないか。
どうも、これが社会の空気になっているようだ。

この発想は悲しいほどの弱点を持っている。
何かを探し求めるその姿は、一見向上心がありそうに見える。それが厄介だ。
「弱点」のヒント。足元が見えていないということ。


当たり前のことを「普通に」やって、厳しい状況になったらじっと我慢する。それだけで良いのに。



塾生達の今日までの通知表結果。
オール5(またはオールA)の生徒が6名。塾長としては嬉しい結果です。
勿論、あと一歩だった塾生も小さいけれども確実な伸びを見せています。やはり、学校の勉強重視の方向性に間違いはありませんでした。新入塾の塾生達も、まだまだぎこちない部分もありますが、真剣そのものの表情で学習に立ち向かっています。良い雰囲気です。
夏期講習二日目ですが、すでに実戦問題を大量にクリアーしている中3生が数名います。今年は受験生達の「見通し」が立つのが早まりそうです。友人の塾長が、齊藤塾の学習量は日本一かもしれないと言ってくれました。一番ではないでしょうが、まあかなり上位の方かと思います。

今日のように雷雨の時には本当に注意してくださいね。
群馬でも、過去に帰宅途中に落雷で亡くなった中学生がいるのです。

安価な塾合宿

学習塾が夏休みに合宿を行うようになってきました。

勉強合宿。

私が最初に勤めた塾では「勉強禁止合宿」をやってましたが。

勉強しかできない環境に自分を置いて勉強漬けの生活を送る。
自宅にいると様々な誘惑があり、なかなか集中して学習できない生徒が多いようです。だから、5日間の勉強合宿に参加することで勉強がはかどる。よくわかります。最近ではトップ高校が勉強漬け合宿を始めていますよね。

そういう時代になったのでしょう。ただ、ここで問題になるのはその費用です。合宿となると、宿泊費、食費、交通費などが授業料の他にかかります。

特に、塾の場合には7月分の月謝、8月分の月謝の他に夏期講習代がかかるのが普通。その上に合宿となると、この二か月だけでいくらになるのか。勿論、その位価値ある合宿なら金額の問題ではないともいえるのですが。

そこで、齊藤塾の夏期講習は「毎日帰宅する合宿」を目指しています。一般的な塾合宿に比べると非常に安価です。毎日帰宅したらそれは合宿ではありません。だから、言葉としては矛盾しているのですが。

気分としては合宿と同じです。宿泊費と食費のかからない合宿。


費用が高額なために、合宿に参加できない生徒がいたとしたら、それは塾としても残念なことです。

中3生は1日6時間以上、週6日以上の自立型指導。

実質的には合宿気分です。弁当持参で朝から通塾する生徒も多くなります。
いよいよ今日からスタートです。

今日はコマーシャルのようなブログでした。

今日面接した生徒の入塾が決まりました。
自分との戦いの始まりですね。



入塾希望のお問い合わせも頂きました。そういう時期ですね。

新入塾生達の真剣に取り組む姿勢が目立ちます。
塾生達がお互い良い刺激を与え合っています。



今日提出された通知表も併せると、主要教科でオール5(またはオールA)の塾生は5名です。もうちょっとの生徒が数名います。楽しみですね。成績はじわじわと上げましょう。それが本物。

夏の水芭蕉



水芭蕉の葉っぱが枯れ始めましたね。

各地の水芭蕉もこんな状態なんでしょうか。

ニイニイゼミが鳴き始めました。セミも蝶も激減していますが、まだ「沈黙の夏」にはならないようです。
福祉施設の方が、齊藤塾の駐車場を利用してミヤマクワガタを販売しています。自然のミヤマクワガタを最後に見たのはもう10年くらい前でしょうか。私達は子供の頃「キンパク」と呼んでいました。金色の背中でカクカク動く様子が独特でしたね。
今年はセミの大合唱でも聞きたいものです。どうも年々寂しくなるような気がして。

齊藤塾の前には、廃校となった岩島第一小学校の校舎がいまだに残されています。
廃校となる日に人文字を作った児童達はとっくに成人しているというのに。
この廃校の校庭に古い桜の木が数本残されています。ここでは真夏にはセミの合唱が聞けます。
ここで一句。

セミしぐれ  今は歌わぬ  校歌の碑

(お粗末。失礼しました。)

さて、と。




今日言いたいことは一つだけ。
それは、

福祉の充実が社会にとってどうしても必要な理由。

次のように考えている人が多いのではないか。
自分や自分の家族がいつ弱者になるかもしれない。いつ弱者になっても大丈夫なように、つまり安心の為に福祉の充実は欠かせない、と。

私は、そうではないと思う。人はいつ弱者になるかもしれないから、その安心の為に弱者になる前に準備しておくものが福祉だという考えは間違いだ。
福祉は、「今現在の自分自身のために」絶対に必要なものなのだ。
将来、弱者になったときの為にあるのではなく、今現在の私達の為にある。それは弱者と呼ばれている人にとっても、今は弱者と呼ばれていない人にとっても、どうしても必要なものなのだ。
その理由は、人は社会を形成してしか生きて行けない動物だから、だ。人間は現在進行形で関わりあって社会というものを形成して、つながりあって暮らしている。だから、福祉は弱者の為ではなく社会全体の為にある。その恩恵は社会全体が享受する。

これについては後でもっと深めてから書きます。

今日は終業式。
今日、通塾した生徒の大半が通知表を持ってきました。皆、頑張りました。春に入塾した塾生の伸びが特に目立ちますね。数ポイント上げた小学生。4ポイントも上げた中学生など、努力が結果に結びついている塾生が多いですね。今日の時点では主要教科全て5の生徒は2名だけでした。なぜか、あと2ポイントの生徒がやたらと多かったですね。まあ、分かりやすい目標ができて良いでしょう。

明日から夏期時間割。
午前中から通塾可能となります。

今日も問い合わせを頂きました。早速、明日入塾面接となります。

入塾前の一番大きなハードルを越えて来てくれる生徒です。
「覚悟」という一番大きなハードルを自ら超えたのです。
もう、成功は約束されています。


やる気スイッチ

「どのように促したら、わが子はやる気を起こしてくれるのだろう」

同じようなお悩みをお持ちの父母の皆さんも多いかと思う。

私のアドバイスは「小さない一歩を踏み出しましょう。そうすれば小さなやる気が起動しますよ」だ。

「その小さな一歩を踏み出せないわが子のことで悩んでいるのに・・・」
と私のアドバイスに不満をお持ちの方も多いだろうか。

それでは逆に考えてみよう。

どのような条件が揃えばやる気は起きるのか。
指導が上手な教師、洗練された教材、快適な学習環境、モチベーションが上がるような言葉の投げかけ、軽いプレッシャー、モチベーションの上がるご褒美、迷った時に適切に対処してくれる指導者・・・・・・・。

まだ、足りませんか?

今の子供に足りないものはただ一つ。

それは「何かが足りない」状況の中で何とか困難を乗り越えたという経験。

足りない状況でも、自分なりに何とかして道を切り開いたという経験。自分一人の力で。お母さんが手を貸してくれたり、お父さんが適切なアドバイスをしてくれたり、ということのない状況で、自分一人の力で乗り越えたという経験。決して上手な乗り越え方ではないかもしれないが、自分だけで乗り越えたという自信。自分に対するいとおしさが湧いてくるような。

小さな一歩を踏み出すことで、やる気の歯車が起動する。
小さな小さな一歩でもそれは「次元」の違う行動なのだ。

それは静止ている状態から動く状態になること。
困難を乗り越えようという覚悟、勇気。

足りない条件を探しているうちは人は動かない。
お父さんやお母さんが、必要な条件を模索しているうちは子供は動かない。だって、自分で動く必要がないから。「ねえ、お母さーん。条件は揃った?」との子供の声が聞こえてきそうだ。実は、子供にとっては条件など揃わない方がよい。それが、動かない理由になるから。

条件が揃えば動くと言っている人は、心のどこかでその条件がそろわないことを願っている。動かない理由がなくなったら動かねばならない。だから、動けない理由探しばかりしている。「だって、〇〇がないから今日は勉強を始められないんだ」などと言って。

突然ですが、

齊藤塾の塾生が一番大変だったことは何でしょう。
それは、入塾の決断をすること。
だって、入塾したらその日から「動かなければ」ならないのだから。
だから入塾の決断をした人は、もうそれだけで勝利は約束されている。
一番の困難を自分の力で入塾前に乗り越えているのだから。
一番難しいことは第一歩を踏み出すこと。ゼロを1にする苦しい作業。

やる気エンジン。

やる気エンジンなどと言うものがどこかにあって、それさえ起動すれば後はそのエネルギーを勉強に振り向ければよい、などという単純な話ではない。そう、皆さんは学習というものを単純に考えすぎている。失礼ながら。

やる気スイッチがどこにあるのか、それを探し出すのがプロの教育者だ。
それにはアンケートだ、面接だ、カウンセリングだ、教師の一言だ。
皆さん、この手の話が好きだが。そして、メディアでもよく取り上げられるが。
最近ではモチベーション上げを売っている会社もあると聞く。

谷川徹三さんという哲学者がいっている。
人は困難に出合ったときのその反応としてものを考える。

人は立ちはだかる困難を乗り越えようとして初めて思考が起動するということらしい。
哲学者ってすごいなあ。


明日は終業式。
齊藤塾では明後日からは夏期時間割。
通塾回数、通塾時間が増える。暑い夏、長い戦いの始まり。
苦しみは覚悟しましょう。困難に出合うことで思考は起動する。
動くこと。その積み重ねの中からやる気が滲み出てくる。
覚悟ができた人は二学期最初のテストの結果は約束されている。

やる気。

どこかにスイッチがあるようなものではない。
まして、誰かが「注入」できるようなものでは決してない。

「まだ、最初の悩みに対する答えを聞いてないよ」ですか。
そうでしょうか?

やる気が起きないとき

勉強のやる気が起きないときにはどうしたらよいか。

勉強のことは一切忘れてリフレッシュする、というのも悪くはない。
よほど嫌になったときには、それもありだろう。

私がお勧めするのは「ちょっとだけやっておく」という方法。
特に受験生の場合、今日一日全く勉強が進まなかったというのは焦りにつながる。
そして、自己嫌悪にまでつながりかねない。
だから、
不調な日は不調なりに「勉強を少し進めておく」。

つまり、自分なりの「最低基準」を設けておいて、それだけはやるということ。
「今日は全然やる気にならない。しょうがない最低基準の3ページだけやって終わりにしよう」という感じ。

子供は勉強を通して人生を学んでいる。大人になるための修業をしている。

大人というものはどんなに調子が悪くても、最低限の仕事はキチンとする。それができる人だけが社会から認められて仕事を続けられている。小さなことの積み重ねで信用を作り上げてきている。

子供は受験勉強を通して大人になるためのトレーニングをしている。自分自身に対してワガママを通すことで降りかかるマイナスは自分自身で引き受けることになる。

不調の時こそ、その人が試されているとも言える。
投げ出して明日にしたい気持ちをこらえて、今日の分だけは最低限キチンとこなしておく。

それも、普通に。習慣的に。
「やあ、ダメだダメだ今日は不調だ」などと言いながら最低限のことだけはキチンとやっておく。

そういう人って恰好良くないですか。

寝る時刻と起きる時刻の話でも以前触れた。
寝る時刻を12時と決めたら、どんなに眠くても12時までは机に向かって勉強する。どんなことがあってもだ。
そして、12時になったらどんなに調子良く進んでいても、床につく。
そうやって、習慣は作られる。習慣ができた人は誰よりも強い。「普通に」「当たり前」に勉強するから。

うちの子はやる気を見せない。欲がないというお母さんに言いたい。是非、昨日のブログをお読み頂きたい。
そして、お子さんがやる気が起きないときでもちょっとだけ前に進める人になるためのヒントを感じて頂きたい。


今日は一人の塾生から期末テスト学年1位の報告を受けた。これで学年1位が2名、2位が1名となった。大半の塾生が一桁順位というのも気持ちが良いものだ。努力は裏切らない。

働く母の背中

先日、あるデザイナーがご自身の子育ての経験をラジオで語っていた。

母親でもあるデザイナーは、家事に仕事にと毎日多忙な生活を送っていたという。

彼女にはポリシーがあった。
娘さんを育てる上でのポリシー。

それは、生き生きと仕事をしている自分自身の「背中」を見せること。
それだけが子育てのポリシー。

母の働くその背中を見せる子育て。

お母さんは、娘さんが身の回りのことができるようになってからは、娘さんのやることについては口出ししなかったという。、一切細かいことを言わない子育て。
でも大きな存在感を感じさせるお母さん。お母さんが生き生きと働くその背中を常に憧れを持って見続けた娘さん。
お母さんは娘さんに言ったという。
「あなたはあなたの好きなことをしててね。私は私でやりたいことがあるから、やっているわ。用があったら呼んでね」
お互いに自分のやりたいことに没頭している母と娘。

実は、娘さんもその番組に出演していた。
現在20代になっている娘さん。

お母さんの子育てについてどうでしたか、の質問に答えて。

「いやー、実に楽でしたね。自由にさせてもらったので。お母さんのことは当時も好きだったし、今も大好きです。」

これ以上、何を求めよう。

お互いにラクな親子関係。

母親もその背中で語れるようだ。



お母さん達が振り返り、お子さん達と真正面から向き合うようになってから、どうも親子関係は難しくなったようだ。
対峙する親子。緊張関係親子。チェックする人とされる人という関係。

お母さんが「自分の」ことに真剣にそして生き生きと取り組むその背中。
これ以上の教育があるだろうか。他人ではない。自分の母親が、生き生きと自身の仕事に打ち込んでいるその姿以上に子供の心に染み渡る教育ってあるだろうか。ひとりしかいない母親が誰よりも生き生きとしている。自慢の母親。

言葉ではない。その姿。

言葉で子供を変えようとしてはうまく行かずに、毎日イライラしている母親もいる
かたや、背中で語る母親。
子供の将来に期待している点では同じ。
どちらも子供には幸せになって欲しいと心の底から願っている。


私のささやかな経験から言えること。
優秀なお子さんをお持ちのお母さん。
その中で、お子さんの勉強について細かいことを言うお母さんは皆無だった。
これは私が長年見てきた「事実」。
トップ校に合格したお子さんのお母さんで、お子さんをいつもハラハラして見ていて、一つ一つ口出しをするお母さんなどいなかった。
お子さんを信じて見守っていた。

「そのようなお宅は、お子さんが優秀だから何も言う必要がないのよ。うちの子だって、もうちょっと結果を出してくれれば言う必要がなくなるのに。私だって、言いたくて言ってるわけではないのだから」
そんな声が聞こえて来そうです。

今日はこれ以上繰り返しません。私の知っている事実を述べた。

私の母親も、うるさいことを一切言わなかった。ラクだった。好きなことに没頭させてくれた。おかげで今の私があると思っている。


いきなり『論語』です

子曰、学如不及。猶恐失之。

子曰く、学は及ばざるが如くせよ。猶(なお)之を失わんことを恐れよ。

学問をするときには、自分はまだ十分ではないという気持ちをいつも持て。しかも、得たものは失わないように心掛けよう。

これを、どう理解するか。

私は『論語』についてはど素人だが、これは復習の重要性を説いているのだと理解したい。
学問はなかなかうまく行かないものだ。できるようになったはずのことが、やっぱりできなかったりする。分かったつもりだったことも、よく考えてみると誤解だったりする。積み上げて来たつもりのものも、冷静に考えてみたら大したものではなかったりする。

だから、常に「及ばざる」という気持ちを持ち続けなさい。謙虚な態度が一瞬でもなくなった時に足元をすくわれてしまう。だから、いつでも「まだ足りない、まだ足りない」と求め続けるくらいでちょうどよい。
一度できるようになったことでも、分かったつもりになったことでも繰り返し繰り返し復習して、漆塗りのように反復しないと自分のものにはならないし、油断したとたんに失ってしまう。だから、復習が大切だ。できる人ほどそれが分かっているから復習を怠らないのだ。

私はそんな風に理解している。

孔子さんほどの人でも、できるようになったことを失う恐怖を常に持ち続けていたのだと思う。
孔子さんも人間的だ。
私のような凡人は、もっともっと復習の重要性、失うことの恐怖を自覚せねばならない。


今日も一人入塾か決まりました。
目標の実現のために暑い夏を戦う覚悟のある生徒です。
遠方からの通塾。

一緒に戦いましょう。


「後で」は訪れない

今日習ったことは、今日のうちに自分のものにすべきだ。

「今日の授業は良くわからなかったけど、後で塾の〇〇先生に聞こう」
「今日の授業は7割くらいしか理解できなかった。後でいつかまとめてやり直そう」

いずれの態度もダメだ!

どこが、ダメか。「後で」の部分。

勉強に「後で」は禁物。
勉強は苦しい。大半が人生で最初に出会う話題ばかりなのだから、戸惑ったり道を見失ったりするのは普通のこと。だからストレスが溜まる。分からないから苦しい。
その分からなくて苦しんでいる時に、「後でやればいいじゃないか」の悪魔のささやきが聞こえてくる。
そして、今苦しんでいる学習項目を「後でやる学習一覧」の引き出しに入れた瞬間に気持ちはラクになってしまう。今日この場で解決すべき問題が「いずれ時間があるときにじっくりと」解決すべき問題群の中に収納されてしまう。

しかし、その「いずれ」は訪れない。

「やらないんじゃあないよ、後でやるんだよ」

これほどキケンな言い訳はない。自分を騙す究極の言い訳。
「後で」の引き出しに収納しつづけた保留問題は、いつの間にか溢れんばかりとなっている。

そして引き出しの中で腐臭を放ち始める。

漏れてくる悪臭が気になりだすと、その現実に触れないようにと引き出しから距離を置きだす。臭いから逃げる。なるべく見ないようにする。

見ないようにと意識すればするほど、それらは頭の中の片隅にいつもちらちら見え隠れする状態になる。気になってしかたなくなる。むしろ増殖してくる。

こうなってしまった引き出し問題はどう解決したら良いのか。

解決法はただ一つ。マスクをして手袋をして勇気をもってその引き出しを開け、腐臭を放つそれらを「一つ一つ」片付けるのだ。「いっぺんに」はありえない。日々少しずつ少しずつ自らを甘やかして、楽をして積み上げたものをいっぺんにきれいにすることなど不可能なのだ。解決に着手したその勇気には拍手を贈りたいが。怠惰の積み重ねは想像以上に大きい。そして、それらは元々保留状態にして引き出しに放り込みたいような内容なのだから、君は見るのも嫌いなはず。自分の肌に合わない内容が山になっているのだ。

心に決めて、解決に着手する勇気を持とう。

夏休みがそのチャンスであることは言うまでもない。もしかしたら最後のチャンス。だって、もともと「後で」はなかったはずなのだから。覚悟を決めること。勉強しかできない環境に自分を置くこと。そして「一つ一の厄介な問題」と真正面から対峙すること。
引き出しに放り込んでおいたものは、頭の中で勝手に増殖してきたもの。実はもとは大したことない問題も多い。

だから、声を大にして言いたい。まず「後で」はやめよう。苦しくても眠くても、今日の問題は今日中に解決してしまおう。

そして、「後で」を溜め込んでしまった人は解決の一歩を踏み出す勇気を持とう。小さな一歩でよいから。自分の弱さと対峙する記念すべき第一歩。

齊藤塾のような自立型学習塾は「後で」の流れを許さない姿勢を支える体勢は万全だ。そして、溜め込んだ「後で」を一つ一つ解決してゆく戦いの場としても。勇気と覚悟のある君の背中を押してあげよう。

トップ校に合格した齊藤塾の先輩達。全員「後で」の誘惑に打ち勝った。その日に解決しなければ気が済まない人。逃げたい気持ちに自ら打ち勝った人。

できる人は「今日」やる。その問題に意識が向いていて、記憶が新しいうちに解決するのが一番ラクなのだ。結果的にできる人が一番ラクな道を歩んでいる。ラクをしようと逃げていた人は後で必ず苦しむ。記憶を手繰って思い出すのに時間がかかり、実質的には一から学び直す作業を余儀なくされる。

「後で」は腐臭への道。

勇気がうせてしまう話かもしれない。でも、大丈夫。実は世の中「後で」症候群の人ばかりなのだ。だから、ちょっと「普通」に今日やるべきことをやっただけで頭一つ出られる。今からでも遅くない。もう遅すぎる、ということはないのだ。気づいたその日から始めるだけで少しだけ前に進める。だから、今日から始めてみよう。

「今日も小さな一歩」は齊藤塾の指導理念そのもの。

でも、そのためにはそれをやる時間と場所の確保が必要。



今日は日曜日。朝8時半から、今日やるべきことと戦うべく塾生達が集まった。数時間に渡って格闘していった生徒もいた。中高一貫生達はやはり大量の課題と向き合い、必要の応じて質問してきた。

今日で中体連が一区切りついた生徒達。お疲れ様。生活の大きなウェイトを占めていた部活が抜けた穴の大きさに戸惑うかもしれない。早く、勉強中心の生活に切り替えたいものだ。

先取り学習再考

先取り学習を再考する。

塾によっては現学年の二年先を先取り学習しているという。

先取りすることで、学校の授業に余裕をもって臨めるということらしい。

学校の授業は伝統的にシラバスという計画の通りに進められる。前回の授業での到達を確認して今日の授業があり、今日の授業にはそれなりの「山場」がある。指導案とはそうやって組み立てられるものだ。教育学部出身で教育実習も経験している私にとっては常識の範囲に入るだろうか。日本の学校の授業は伝統的にそうやって組み立てられてきている。今後も変わらないだろう。

二年も先取りして、その単元の「種明かし」が分かって授業に臨んでも、何の刺激もないだとう。授業の「山場」で経験するはずの感動がないのだ。授業に参加する醍醐味って何だ、と言いたい。

学校で習うことは、先人達が苦労して築き上げた学問のエッセンスをさらに生徒達に分かるように、教科書編集者が苦労に苦労を重ねて練り上げられてきたものだ。
個々の単元内容についてその是非が問われている部分のあることは承知している。しかし、それらは教科書として生徒達に教える内容としての評価が確定しているものだ。それを、授業計画を立てて学校の先生が授業として組み立て、山場(=感動)を設定しているものだったりする。だから、真剣に取り組み、先生の組み立てた計画に従って参加してこそ感動が生まれ、身に付くことにもなる。決して、授業の最初から「種明かし」が分かっていて、「余裕」で参加しているから良くわかり、感動するというものではない。

塾の先取り学習でやっているから、学校の授業は復習なんだという。そういう取り組み方があるのは認める。ただ、どうなんだろう。学校の授業に臨む上でのワクワク感、ドキドキ感、期待度などが薄れる危険性はないだろうか。学校の授業は生徒達と先生がともに「作って」ゆくものだ。何が起きるか分からない真剣勝負。決して予定調和的に「流れて」ゆくものではない。
先取りしているからと言って、学校の授業をなめてかかるなど論外だ。ちなみに、齊藤塾から前高、前女、高高、高女、高専に合格した人でそのような生徒は皆無だ。皆、学校の授業に真剣に取り組んでいる。

授業は真剣勝負。塾での学校でも。

このようなことを言う塾長は少数派だろう。それを承知であえて書いている。



今日、授業見学した生徒は即入塾となりました。クラスでも勉強もスポーツもリーダー的な生徒だとのこと。楽しみです。

13日(日)にも一部地域でチラシが入ります。ほんのわずかですが、夏期講習生募集中です。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

合格実績(2012年~2020年までの合計)前橋高校4名、前橋女子高校8名、高崎高校5名、高崎女子高校7名、群馬高専5名、渋川高校20名、渋川女子高校17名、高経附高校3名、前橋育英S4名(中学受験については初年度からの合計で中央中等8名、佐久長聖中8名それぞれ合格、大学受験については、群馬大、埼玉大、茨城大、信州大、新潟大、静岡大、早稲田大、慶応大、津田塾大、東京女子大、明治大、法政大、成城大、東洋大、獨協大等多数合格・詳細は下のホームページからどうぞ)

* お問い合わせは下記問い合わせバナーからどうぞ。
* 齊藤塾ホームページへは下のリンクからどうぞ。

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