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歴史教科書比較

手元に二冊の中学生用歴史教科書がある。
文科省の検定を通った二冊の歴史教科書の記述を比較してみよう。(都合により、出版社、出版年度等は伏せる。)

何気なく開いたページでの比較。

明治維新の「版籍奉還から廃藩置県」に至る部分に関する記述が目に留まったので。

教科書A
「明治維新の大きな目的は、政府が全国を直接治める中央集権国家をつくり上げることでした。政府の権限を集中させるために、太政官と呼ばれる制度がつくられましたが、大名を領主とする藩はそのまま残っていたので、新政府は1869年(明治2)年、土地と人民を政府に返させました。(版籍奉還)。しかし、藩の政治は、もとの藩主がそのまま担当したので改革の効果はあまりなく、また限られた直接の支配地からは厳しく年貢を取り立てたため、人々の不満は増し、一揆がしきりに起こりました。そこで、新政府は1871年に地方制度を改め、藩を廃して県を置き(廃藩置県)、各県には県令を、東京、大阪、京都の3府には府知事を中央から派遣して治めさせました。(一部略)」

教科書B
「国内が多数の藩に分かれたままでは、いつなんどき外国勢力につけ込まれないとも限らなかった。国内統一は急務だった。そこで、新政府の中心となっていた薩摩、長州、土佐、肥前の4藩は、1869(明治2)年、藩主が願い出てその領土(版)と人民(籍)を天皇に返還し、他の藩もあいついでこの動きに従った(版籍奉還)。この版籍奉還によって、全国の土地と人民は天皇(公)のものとなったが、軍事と徴税の権限はあいかわらず各藩に残されていた。1871(明治4)年、大久保利通ら新政府の指導者たちは、全国の藩を一挙に廃止する改革についてひそかに相談を始めた。そして、薩摩、長州、土佐の各藩から集められた天皇直属の約1万の御親兵を背景に、7月、東京に滞在していた藩主56人を江戸城に集め、天皇の名において廃藩置県の布告を一方的に言い渡した。廃藩置県は、分権的な制度である「藩」を廃止して、中央主権制度下の地方組織である「県」をおくことであり、藩にのこされていた軍事と徴税の権限も新政府のものとなった。(一部略)」

著作権の問題もあり全文は載せられないが、この部分だけみても、十分に雰囲気の違い、編集方針の違い、意気込み、ストーリー性、もしくは本質をはずしている部分もみてとれます。

歴史を変えた人々の苦悩や緊張感、息遣いまでもが感じられる教科書もあるのです。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

2019年合格実績
前橋高校1名、前橋女子高校1名、高崎高校2名、高崎女子高校2名、群馬高専2名、新潟大歯学部1名、中央中等1名(その他・過年度分は下のホームページからどうぞ)

* お問い合わせは下記問い合わせバナーからどうぞ。
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