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ある少年兵のはなし

日本の敗色が濃厚となった昭和20年春、ひとりの少年が海軍に志願した。
吾妻郡岩島村(現在の東吾妻町岩島地区)の少年。

少年は今の中学2年生と同じ学年。

「志願」という形なら入隊できたのだ。

訓練では驚くことばかりだった。
朝はラッパの合図とともに起床し、着替えて遅れずに整列しなければ殴られる。
ところが帽子の数が兵士の数より少ない。

自分の帽子を前に置いて、水道で顔を洗って頭を上げるともう自分の帽子はなかった。
帽子をかぶらずに整列すれば殴られる。
思わず、隣で顔を洗っている人の帽子を奪って走り出した。

泳げない者は船から海に投げ落とされた。
泳ぐしかなかった。

軍服を掛けておくフックは太い釘。
ある日、並んでいる釘の一本が奥まで打ち込まれていることに気づいた。
たまにそういうことがあった。
もう軍服を掛ける人がいないということか。
何を意味しているか分かった。

空襲。
兵士達皆で防空壕に入った。
溝の上に板を渡しただけの防空壕。
機銃掃射が夕立のように降り注ぐ。
「なかなか終わらないなあ」
「そうだなあ、空襲警報が鳴りっぱなしだ」
「それにしても、アメリカの戦闘機はしつこいなあ」
「・・・・・・・・・・・」
返事がない。
隣の兵士の頭がガクンと下がり、そのまま倒れこんだ。
少年のわずか30㎝隣の兵士が頭を撃ち抜かれていた。
兵士達は皆黙った。

昭和20年も8月になると、出港した軍艦はその夜のうちに通信が途絶えた。
皆それを知っていた。
上官は苛立っていた。
「キサマ達の中から『我こそは』という度胸ある者から出撃させてやる。明日にでも出撃したい者は今すぐに手を上げろ」

さて、何人の者が手を上げたか。

(明日に続きます。)





プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

2019年合格実績
前橋高校1名、前橋女子高校1名、高崎高校2名、高崎女子高校2名、群馬高専2名、新潟大歯学部1名、中央中等1名(その他・過年度分は下のホームページからどうぞ)

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