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褒めても子供は変えられない

大人の意のままに子供をコントロールしたいがために、褒めるということを「道具」として使ってはいけません。

子供を評価もしていないのに、ある意図をもって褒めることは簡単に子供に見透かされます。それだけではなく、子供を意のままに動かそうと、心にもない事を言う大人として軽蔑の対象になります。子供の失望たるや、いかばかりか。

子供は尊敬の対象を欲しています。憧れるべき人を求めています。褒めることを道具として使うあなたは確実にその候補から外されます。

「自分を褒めてくれる人を嫌いになるはずはないでしょう」

本当にそうでしょうか。

自然な感情の発露として褒めることはあるでしょう。それまで我慢しろというのではありません。それは、心の底から評価し、抑えきれない感情としてその感動を伝えているのですから、いたって自然な行為です。
子供と一緒に喜びを共有することほど素敵なことはないはず。

私が否定したいのは子供をコントロールする道具としての褒め言葉。
ある意図を持って発せられる褒め言葉。意図というか下心に近い。

子供はなかなか思うようにはならない。

こんな言葉をよく聞きます。それでは、思うようになったらどうなるのでしょうか。まるでロボット。何でも言うことをよく聞く「良い子」がどうなってしまうかは皆よく知っているはず。

褒めているときに忘れがちなこと。それは褒めている人の方が上位にいるということ。考えてみれば当たり前のことですが。褒めている人が上位で褒められている人が下位、という関係。それだけでコントロールする側とされる側とが明白になっている。下位に置かれた子供は従属的になっているので、当然自立的にはなれない。自立的になれない子供は何かに挑戦する勇気を持てない。自分の頭で考える喜びも得られない。自分で困難を乗り越えようとする子供らしい勇気が失われてしまう。当然、勉強もできるようにはならない。

褒められている子供は、褒められながらある不自由と不安感を感じている。それは褒められ続けられる「いい子」をやめられない不自由と、いつか大人を失望させてしまうのではないかという不安感。子供からは子供らしい自由奔放さが失われ、枠の中で大人の期待通りのことしかしない人になる。こんなことがいつまでも続くはずはない。

最大の問題点。それは、子供が自分の人生を生きていないという点。
子供は、自分を褒めてくれる大人の顔色を常ににうかがうようになる。こんな不自由はない。自分の心の底からやりたいことに向きあうことなく、大人の意図をくみ取ることだけにエネルギーを費やすような子供になる。大人の意図だって完璧にはくみ取れないからストレスになる。大人だって気まぐれだし。

褒めるのがダメなら懲罰が効果的なのか。
それも違います。
後で書きます。繰り返しになるかも知れませんが。

熊の寝床写真まで行ってしまったこのブログ。軌道修正しておきます。私のブログらしい文章に戻しました。以前の内容とダブル部分が多い点はあしからず。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

齊藤塾合格実績・・・前高、前女、高高、高女、高専、渋高、渋女、高経附、佐久長聖中、中央中等、樹徳中、埼玉大、新潟大、群馬大、静岡大、高等工科他

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