FC2ブログ

生きる目的

人は何の為に生きているのか。

昔、テレビのCMである写真家が語っていた「答え」が好きだ。

「人は感動する為に生きているとしか言えない」

分かりやすい。
確かにそうだ。
感動した時、「ああ生きてて良かった」と心の底から思える。

東京書籍の中3国語教科書旧版の冒頭に、
中島みゆきさんの『永久欠番』という詩が載っていた。

百年前も百年後も私がいないことでは同じ。人が一人亡くなった日も世の中は普通に回ってゆくと歌い、それでも人は永久欠番、と続く。
そのまんまを歌っている。

かけがえないと言いながら、一つの命が失われた日も昨日と同じ日常が繰り返されている。それで良い。それでなくてはいけない、と思う。
涙の斎場を一歩出れば、変わらない日常が流れている。それでよい。それが良い。

教育出版小6国語教科書旧版は、長崎夏海さんの『美月の夢』という素敵な文章から始まった。

将来の夢についての作文が書けない美月。
夢って職業のこと?・・・書けない。
帰宅した美月は養老院の園長さんから手紙が来たことを知る。
美月と葉書のやりとりをしていた入所者の沼田さんが亡くなったという。
小1の敬老の日以来、季節ごとにはがきのやり取りをしてきていたのに、一度も会うことのなかった沼田さん。
沼田さんからは「楽あり苦あり、それが人生。美月さんは、富士山のように大きく、たおやかな人になるでしょう。」と毎回同じ文面。美月も行事の報告の後は必ず「沼田さんは、大きな木のような人になるでしょう。」と毎回ほぼ同じ。
そんなやり取りが5年以上も続いたのでしょうか。
沼田さんに一度も会いにいかなかったのはなぜだったのか。
美月はマンションの屋上に行って、「富士山のような人」と口に出して言ってみる。
素敵な夢だ、と。

私はこれほど読後感の爽やかな文章を他に知らない。人の死を話題にしているのに、すっきりした心もちになる。沼田さんは、美月とのはがきのやり取りを楽しみの一つにして人生の最後を穏やかに過ごしたのだろう。くったくない少女、美月は、自分のことを少し大人扱いしてくれる沼田さんに魅かれ、葉書を送りつづける。淡々としていて、穏やかで、静かに時間が流れている。
何の事件も起きていない。
葉書のやりとりを始めて数年後、沼田さんは静かに亡くなり、小1だった美月はもう小6の春を迎えている。
美月はマンションの屋上で少し夢の形が見えてくる。
「そうか。いろんな所へ行くことだって、すてきな夢だ。」

一つの人生が穏やかに終わり。新しい人生が羽ばたこうとしている。

国語教科書を作っている人の思いが伝わってくるような作品選びだと思う。
日本の大人たち。捨てたものじゃない!

(次は業務報告(笑)です。学校で数学単元テストが今日終わった中3生は次の実力テスト対策のプリントで実戦問題のトレーニング。明日、数学の単元テストがある中3生は予想問題をプリントとワークで練習。理科の単元テストがある一部の中1生は予想問題をもう一度解いて確認し、ワークで補強。そろそろ数学第1章の単元テストが近い生徒は英語の文法を確認した後で数学予想問題で確認。小学生は各単元をさらに進めて、まとめに入る生徒も。高校生はもちろん中間テスト対策。午後1時に入室した生徒もいましたね。とまあ、こんな感じでした。今日も「今、各自が一番やるべきこと」ができました!)




地名雑学

雑学関係、実は大好きです。

しばらく教室に群馬県の地図を貼っておいたことがありました。
時々眺めていて大発見をしました。

山の中腹あたりに「田代」という地名がやたらと多いのです。
嬬恋村にあるのは知っていましたが、群馬県内、栃木県内などいたるところに。
もしや、これは大発見かも。UFOの着陸地点ということはなさそうだが・・・。

友人に自説を披露する前に念のため調べてみることにしました。
と言っても手元にあった辞書で調べただけですが。

「田代」とは田んぼの肥料にするための草を刈る場所のことだそうです。
なるほど、山の中腹にあるはずですね。恥をかく前に調べて良かった。
草を堆肥にして米を作った。軽トラなどない時代にどのようにしてその草を運んだのか。
馬かな。
私達の想像をはるかに超えた汗を流して伝えてくれた米作り。
文字通り先人の汗を知っている田んぼ。限られた地域内の資源を最大限に利用して、そして工夫して米作りを伝えてくれて来たのですね。
ああ、今年田んぼで汗を流してくれている人たち。この土地であと何年米作りをしてくれるか。

私の恩師の説です。「かんな」という地名は大半が「金穴(かなあな)」ではないか、と。つまり、良質の砂鉄が採れた地域。群馬にも神流川(かんながわ)がありますが、文字ではなく音に注目したほうが良いようです。それにしても厄介ですよね。金(かね)と神(かみ)との音が似ているのですから。

高崎や前橋に「江木」という地名があります。地下水脈が流れていて、大水が出やすい地域だということです。地下水脈の流れの地図があるんですよね。これをよく知ったうえで建物を建てたりすべきだと思います。

大水と言えば、地名に「蛇」や「龍」のある場所は川の氾濫が起きやすい地区ですね。吾妻にもあります。

地名にはそれなりの意味が込められています。それを無視して行政が新しい地名をつけると、ほとんどが宮元町、住吉町などになってしまうようですが。造成地はそのほとんどが「〇〇が丘」。昔の地名には意味があります。昔の地名を消したい意図がある人もいるのかな。

最後に新説を。

「日野」とか「小野」という地名は山と平地の境にあることが多いと思います。齊藤塾の近くにも「日野地区」があります。吾妻にも「小野上」という地区、藤岡市には「小野」も「日野」もありますよね。東京には日野市。関西にも何か所かあったはずです。いずれも、山と平地の境のような地区です。
もしかして、昔、山の民と平地の民の沈黙交易をやった場所だったりして。勝手な想像です。もうとっくに決着がついていることかもしれません。新説でも何でもなかったりして。(調べていませんので。)これは今まで披露したことはありません。このようなことを考えるのが好きなだけです。

質問と意見

今日は佐久長聖中学の入試説明会に参加してきました。

内容については追々お伝えします。写真も撮ってきました。

仕事柄、入試説明会に参加することが多いのですが、その時に私が一番楽しみにしているのは質疑応答の時間です。ほとんど毎回私は質問をするのですが、なぜか一つも質問をしないて帰る人が大半です。何の疑問もないのでしょうか。不思議でしかたありません。私が質問したいようなことは既に知っているのか興味ないのか。そんなわけで、まずは質疑応答の時間には質問を一つもしない人に注目してしまう私です。

他の人が質問してくれることで、自分が気づかなかった点についての知識が増えるのですからこんなにうれしいことはありません。発見があるのですから。勉強だって同じですよね。新しい情報を共有できたらこんなによいことはないと思うのですが、なかなか日本社会ではそのようなことは実現しずらいようです。

それと、我々の業界人で目立つのは、質問と意見、提言の区別がつかない人の多さです。質疑応答の時間には質問だけをすれば良いのに、勝手に持論を展開し出す人が時々います。皆がそんなことをしたら時間がいくらあっても足りません。そして、その「持論」の端々に自慢が見え隠れしたりすると、見識を疑いたくなります。「こうにすれば良いのですよ、やってみてください。知らないようなので教えてあげましょう」的な言い方の人までいます。
また、長々と質問だか感想だか近況報告だかわからないようなことを言っているので質問の中身が埋もれてしまい、司会者から「ところでご質問は」などと聞き返される人までいます。まあ、疲れることが多いですね。このやりとりの間、ほかの人はじっと耐えているのですよね。

一方、誰も気づかなかったことに鋭く注目して、切れの良い質問をする人にはその見識に羨望さえ覚えます。「やられた!という感じ。気持ち良い負け方というか。勝ち負けではありませんが、爽やかな敗北感のようなものを覚えます。

短いフレーズで的確な質問をする人。こういう人にはシビれますね。ああ、この人は頭が良いんだなあと感心させられます。つくづく思うのですが、韻文で鍛えられた人はやはり言葉のキレが違うようです。それと外国語で自らを鍛えた人。それと数学的な論理力のある人。

我々の業界人はこれらを教えている人達のはずなのですが、時々不可解な人が現れます。

さて、

中間テストが始まりますね。
昨日の日曜日も10時間くらい学習していった人がいましたね。次は8時間、次は6時間かな。
今日も大半の高校生が通塾しました。
体を齊藤塾に運んでくればそれだけで勉強は前に進みますね。

スモールステップは病みつきになる

スモールステップの学習は病みつきになる。

ポイントは最初に張り切りすぎないこと。
最初から欲張りすぎないこと、と言い換えても良い。

勉強のペースが今一つ掴めない人。部活や習い事でスケジュールが一杯な人。気分が乗らない人。苦手科目に手がつかない人。

そんな人にお勧めなのがスモールステップ学習。
まあ、簡単に言ってしまえば今日の分をちょっとだけやって残りは明日以降に任せるというだけの学習方法。

でもこ、の学習方法は最強です。

今日もほんの少し前に進むだけ。そのかわり、どんなにペースが掴めなくても、スケジュールが一杯でも、気分が乗らなくても、苦手科目でも「決して」休まないこと。ステップがスモール過ぎるから休む言い訳が出来ない。言い訳が許されないくらいのスモールステップにしておけばよい。
今日は疲れたから、今日は気分が乗らないから、今日は習い事で忙しいからなどということがやらない理由として成立できないほどのスモール度にしておくこと。そのことで逆に自分に対する甘やかしが利かなくなる。

だから、スモールステップは甘えが許されない学習法ともいえる。つまり、やらなかったら完全に「さぼり」と認定されてしまう。自分の心の中で。つまり、完敗だ。こんな小さなこともできないのは誰が見ても完敗だ。

しかし、敗北の不安、言い訳をしてしまう心配などと言うものは最初だけだ。スモールステップこそ「習慣化」のモデルだから。スモールステップをしばらく続けるとそれが習慣化して全く苦にならなくなる。そればかりかやらないと「気持ちが悪い」という感覚になる。だって、習慣だから。朝起きて顔を洗うのと同じ。やらないと気持ちが悪くなってしまう。自分にとって普通のこととなる。

すると、不思議なことが起こってくる。

ライバルがいなくなるのだ。小さな簡単なことを毎日毎日続けただけなのに、ライバルはいつの間にか「消えている」のだ。スモールステップの習慣化はそれくらい最強だ。最強なのにやらない人が多い。できる人は本当に少ない。

また、そのやらない理由が面白い。

その理由とは「スモールステップ過ぎてやっても意味がない」だ。

やったことのない人に限ってスモールステップではやる価値がないなどと言いだす。やっても意味がないからやらないというのだ。少なすぎて意味がない、と。実はこういう人が大半なのだ。

小さなことを積み重ねるの習慣化できる人は多くいない。
だから、やった人の一人勝ちになる。いつの間にかライバル達はいなくなる。

スモールステップの習慣化に必要なのは、今日もそれをする時間をちょっとだけ作ること。どんなに眠くても、どんなに気分が乗らなくても、どんなに疲れていても、だ。小さなことだからやれない理由はないはずだ。やることで毎日小さな勝利を積み重ねることができる。気分が乗らない日でも、小さな一歩を進めることで精神的に落ち込まなくて済む。少しだけ前に進んでいる自覚をもって床に就くことでゆっくり休める。今日はやることが多すぎて、という時でもこれだけはやってから寝る。

習慣化してライバルが消える体験を一度味わってしまうと、もうこれは病みつきになる。

その成果を周りは称賛する。あなたはキョトンとする。「これって普通じゃん」と。

様々な刺激の多い現代。小さなことを積み重ねることの習慣化ができた人は最強だ。齊藤塾ではそういう発想で指導している。

追い詰めれれると攻撃的になる

攻撃的な人は追い詰められている。

逃げ場がないほど追い詰められた人はそのストレスのはけ口を探す。大きすぎるストレスは生身の人間を攻撃しないと発散できない。なんと厄介なことか。自分よりも弱い者が自分の攻撃により苦しむ姿を見ることでしか、大きすぎるストレスは発散されない。

そもそも逃げ場がないほど追い詰められたということは、その人を追い詰めた強い人がいることになる。だから、追い詰められている人は追い詰めた人よりも弱いことになる。その弱さを自覚し、受け入れざるを得ない苦しみから逃れるために自分よりも弱い攻撃相手を探す。弱い人は反撃してこないから「安心して」攻撃できる。そして弱い人を攻撃できる自分の「強さ」を自覚することもできる。歪んだ手法を通してではあるが、強さを取り戻したかのような気になれる。

これが「いじめ」だ。

いじめられる人に責任はない。責任は全くないのだが、攻撃する人は、いじめられる人が持っているとされる「いじめられても仕方のない理由」のようなものを挙げてくる。攻撃する方としての理屈があるのだ。

やることが遅い。空気が読めない。人と同じことができない。人と違う服装をしている。話についてこられない。

攻撃する人にとっては、いじめられる人が「不快な信号を自分に送って来た」と感じるものなら何でもよい。
自分よりも弱い者が不快な信号を送ってきている。しかも、送った本人はそれに気づいていない。

このような状況は、彼らにとっては弱い人を攻撃する「正当な」理由に十分になりうるようだ。
だから、いじめる側としては「当然の権利として」攻撃してくる。だって、正当な理由があると彼等は思っているのだから。これほど、不快な信号を送ってくる人は攻撃されても仕方ない、と考えて。

溜まりに溜まり、発酵して爆発寸前ではけ口を探しているストレスの前に攻撃してもよい相手が現れる。攻撃する方としては「正当防衛」の感覚だ。だから、攻撃に勢いがつく。彼らなりの大義名分があるのだ。
いじめられる人が何も自覚していないのに、攻撃相手は不快な信号を送られたからその「反撃」としていじめてくる。いじめている方は正当防衛くらいのつもりなのだ。

自分よりも強いものに追い詰められて溜まりに溜まったストレス。そのストレスは自分よりも弱い人間を攻撃し、自分の強さを自覚することでしか解消されない。そこに、「流行に乗れていない」などの「不快信号」を送ってくる人が目に入る。不快信号を受けた方は反撃すべき「正当な理由」があると感じて「安心して」攻撃してくる。反撃してこない弱い相手を攻撃するというのに、攻撃してもよい理由が整っている。攻撃する方の勝手な理由づけではあるが。

溜まっていたストレスがある程度は解消される。

これが、いじめだ。

(中高一貫校、私立、高校生は中間テストが近づいてきました。質問も多くなってきましたね。予想問題とワークで着々と準備が進んでいます。)

褒めても子供は変えられない

大人の意のままに子供をコントロールしたいがために、褒めるということを「道具」として使ってはいけません。

子供を評価もしていないのに、ある意図をもって褒めることは簡単に子供に見透かされます。それだけではなく、子供を意のままに動かそうと、心にもない事を言う大人として軽蔑の対象になります。子供の失望たるや、いかばかりか。

子供は尊敬の対象を欲しています。憧れるべき人を求めています。褒めることを道具として使うあなたは確実にその候補から外されます。

「自分を褒めてくれる人を嫌いになるはずはないでしょう」

本当にそうでしょうか。

自然な感情の発露として褒めることはあるでしょう。それまで我慢しろというのではありません。それは、心の底から評価し、抑えきれない感情としてその感動を伝えているのですから、いたって自然な行為です。
子供と一緒に喜びを共有することほど素敵なことはないはず。

私が否定したいのは子供をコントロールする道具としての褒め言葉。
ある意図を持って発せられる褒め言葉。意図というか下心に近い。

子供はなかなか思うようにはならない。

こんな言葉をよく聞きます。それでは、思うようになったらどうなるのでしょうか。まるでロボット。何でも言うことをよく聞く「良い子」がどうなってしまうかは皆よく知っているはず。

褒めているときに忘れがちなこと。それは褒めている人の方が上位にいるということ。考えてみれば当たり前のことですが。褒めている人が上位で褒められている人が下位、という関係。それだけでコントロールする側とされる側とが明白になっている。下位に置かれた子供は従属的になっているので、当然自立的にはなれない。自立的になれない子供は何かに挑戦する勇気を持てない。自分の頭で考える喜びも得られない。自分で困難を乗り越えようとする子供らしい勇気が失われてしまう。当然、勉強もできるようにはならない。

褒められている子供は、褒められながらある不自由と不安感を感じている。それは褒められ続けられる「いい子」をやめられない不自由と、いつか大人を失望させてしまうのではないかという不安感。子供からは子供らしい自由奔放さが失われ、枠の中で大人の期待通りのことしかしない人になる。こんなことがいつまでも続くはずはない。

最大の問題点。それは、子供が自分の人生を生きていないという点。
子供は、自分を褒めてくれる大人の顔色を常ににうかがうようになる。こんな不自由はない。自分の心の底からやりたいことに向きあうことなく、大人の意図をくみ取ることだけにエネルギーを費やすような子供になる。大人の意図だって完璧にはくみ取れないからストレスになる。大人だって気まぐれだし。

褒めるのがダメなら懲罰が効果的なのか。
それも違います。
後で書きます。繰り返しになるかも知れませんが。

熊の寝床写真まで行ってしまったこのブログ。軌道修正しておきます。私のブログらしい文章に戻しました。以前の内容とダブル部分が多い点はあしからず。

熊の寝床です



写真中央部よりちょっと右上あたり、やたらと枝が密集していたり、不自然な角度で枝が垂れ下がっていたりしているのがお分かりでしょうか。

これが熊の寝床です。

熊が枝を組んでベッド状にして寝やすくしたと考えられます。
ちなみにこれは柿の木です。
柿の木は途中から枝が横に張るので寝床にしやすいのでしょうね。子供の頃、私が一番登りやすかったのが柿の木です。柿の木は枝が折れやすいので登らない方が良いですね。落下して大けがを負った人は数知れず。

この木は齊藤塾から直線距離で200メートルくらいの所にあります。JR吾妻線矢倉駅すぐ北の農道沿いです。早朝から高校生が利用する駅から約15メートルの所に熊のベッドがあるのですねえ。ただ、このベッドは数年前のものと考えられます。木肌に何か所か爪の痕らしきものがありますが、だいぶ古そうでした。爪痕写真も撮ってきましたが、きりがないのでアップしません。塾ブログですからね。熊ブログではありません。

これほどまでに熊と人との生活圏が近接してくると、正直怖いですね。

早朝、散歩する人や畑仕事をする人がいますが危険だと思います。

イノシシは増えすぎて畑を荒らすのですが、対策が追いつかずに耕作を諦める農家が出始めています。猿が小学生の通学路に現れたり、電線にぶら下がって移動している姿は多くの人が目撃しています。防護網に引っ掛かった子ザルをしばらく飼っていた人もいました。さすがにまずいということで山に帰したようですが。最近は鹿が増えているということです。カモシカは前から普通にいましたが、今度は鹿の方です。小鹿のバンビの方の鹿です。小鹿なら可愛いでしょうが、親鹿に出会った人の話によると、そうとうな恐怖を感じるようですよ。牡鹿の角は迫力あるそうです。修学旅行でわざわざ奈良まで行かなくても鹿には会えます。

熊が出没しても、もう猟友会が高齢化していて十分な対応はできないようです。

まあこのような環境で、前高、高高、前女、高女、高専、渋高、渋女などの合格を目指して日々指導している塾長もいるっていうことですね。学校の勉強をしっかり消化することがトップ校合格への近道だという信念で今日も単元テスト対策、実力テスト対策の指導をしました。土日には中高一貫校の生徒の比率が高まります。高校生、私立生、中高一貫校生は中間テストが直前に迫りました。生徒達の気合いが入って来ているのが表情からうかがえます。

そんな訳で徐々に塾ブログに戻しましょう。

今日、提出された単元テスト、実力テストいずれも9割以上の正答率でしたね。今のところ皆さん順調です。この調子でゆきましょう!


齊藤塾はここにあります



この写真のほぼ中央部あたりに齊藤塾は立地しています。

榛名山方面の県道から撮影しました。

新緑の季節ですね。

まあ、この景色を見れば熊が出没するのもうなづけます。

写真では見えませんが国道とJR吾妻線が通っています。吾妻川もあります。
上流に15分くらいで八ツ場ダムの建設現場となります。
自動車道の計画もあるようです。
故郷も大きく変貌することとなりますね。

最近話題の日本一短いトンネルまでも15分くらいでしょうか。

写真撮影地から車で5分の地には中学生の歴史教科書にも取り上げられた「ハート形土偶」の出土地があります。JR郷原駅のすぐ近くですね。古墳も沢山あります。機会があったら写真をアップします。子供の頃は「土器拾い」という遊びをよくやりました。雨上がりの畑では土器が洗い流されていて見つけやすいのです。他人の畑に無断で入り込んでよく拾ったものです。黒曜石を見つけた時には興奮しました。小学生時代の私の宝物でしたね。

子供の頃は山に登ること自体が遊びのひとつでした。やることないから山でも登ろうかって。この写真の右に岩櫃山があります。再来年の大河ドラマは「真田丸」だそうですから、登山者が増えるかな。岩櫃城跡も近くです。

写真左端あたりでしょうか。高野長英が隠れていた小屋の跡があるとか。吾妻に逃げてきたんですよね。

写真右奥の方には温泉が出ている場所があります。
冬でもそこだけ雪が積もりません。

明日は熊の寝床の写真をアップする予定です。

ナイアガラの藤


富岡市のナイアガラの藤を見てきました。

傾斜地にまさに滝のように垂れ下がる藤の花。
別世界ですね。

長年管理されている黒沢さんによると、今年は例年になく花の数が少ないそうです。
大雪の影響もあったとか。雪で藤棚の一部が壊れたようです。

藤棚を鑑賞して帰り際に、管理小屋にいらっしゃる黒沢さんと少しお話させてもらいました。

黒沢さんは87歳だったかと。
「この歳では管理が大変なので、来年はどうなるか分からないよ」
と繰り返しおっしゃっていました。
寂しいことです。
「そう言わずに・・」と申し上げようとした瞬間、後から来た女性が「良かったよ。来年も来るからねえ!」と大きな声で言って先に帰って行きました。
私もつられて、思わず「来年も来ます」と言ってしまいましたが、プレッシャーをかけてしまったかなと後から反省しました。

夢のような世界を堪能しました。


富岡からの帰り道、今年も高崎の少林山にお参り。
大活躍してくれた教室のダルマ達に目を入れて収めてきました。
少林山のダルマパワーで毎年、受験生の背中を押してもらっています。
ご利益は確実にあります。

毎年お参りしていますが、年々私の手を合わせている時間が長くなるのが分かります。
私は、隣で拝んでいた母親よりも遥かに長い時間手を合わせていました。
受験生のこと、家族のこと。お願いすることが毎年増えてゆきます。
欲張りなお参りでした。

今年もダルマを買ってきました。
教室用のものを二つと自宅用のものを一つ。
ダルマが新しくなっていることに生徒達は気づいてくれるでしょうか。見た目では去年のものとほとんど同じなので。

今年のダルマさんにも助けてもらうことが多くなりそうです。

全力を尽くして頑張った人には必ず神様がご褒美をくれます。
私には確信があります。

だから毎年神頼みします。
頑張った後の神頼み。

「猛省」! 前高

前高1年生のお母さんからコメントを頂きました。感謝いたします。

前高は「猛省」だそうです。

東大文系志望の学生が地方国立大学医学部に志望校変更したのではなく、「東大に受からなかった」のだそうです。前高自身が認めている。確かに、前高の国立大学医学部(医学科)合格者数が増えているわけではないのですね。他校と比較すれば多いのですが。

私も再反省です。調査不足でした。今度は前高が「東大ショック」になったということで決着です。

それにしても、前高生にもスマホ利用についての指導をせねばならない時代になったようですね。朝学習まで半強制せねばならないほど追い詰められていきた前高です。もうなりふり構っていられない。生徒の自主性などという「理想」を追っていては結果に結びつかない。

私が日々唱えている「自立」とは真逆な指導傾向が王者前高にまで及んできたかと思うと、コメントのしようがありません。悪い夢でも見ているのでしょうか。世の現実を見据える勇気を持てるまでしばらく時間を頂きたい気持ちです。

高高のように、生徒と先生が一つになって目標を見据えて戦い続けなければ結果は出ないようですね。

コメント有難うございました。このブログの読者と情報を共有したいと思います。

大学生の朝食を「大学PTA」の母親たちが世話焼く時代ですからね。何とも言えません。


話題は変わって。

今朝、近所の小学校の近くで熊の目撃情報がありました。
住宅も比較的多い地域ですので心配です。
小学校はもちろん集団下校となりました。

実は猿も多く目撃されているのです。
山に餌がないのでしょうか。

熊といえば吾妻渓谷で「クマの茶屋」を経営していた人は齊藤塾から歩いて5分のところの人でした。

吾妻渓谷にある「日本一短いトンネル」も最近話題になっていますよね。そのトンネルをくぐって何人かの生徒が通塾してくれています。

プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

2019年合格実績
前橋高校1名、前橋女子高校1名、高崎高校2名、高崎女子高校2名、群馬高専2名、新潟大歯学部1名、中央中等1名(その他・過年度分は下のホームページからどうぞ)

* お問い合わせは下記問い合わせバナーからどうぞ。
* 齊藤塾ホームページへは下のリンクからどうぞ。

最新記事
齊藤塾へのお問い合わせ
齊藤塾ホームページ
月別アーカイブ
カテゴリ
QRコード
QR
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

最新トラックバック
最新コメント