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塾人になったわけ

「どうして塾の先生になったの?」

塾生から何度この質問を受けたことだろう。「先生って何歳?」の次に多い質問だ。
一言で答えられるわけないじゃないか。そんな難しい質問。
その答えを見つけるために、今まで塾人を続けてきたのかもしれない。

群馬大の教育学部を卒業しても公立学校の教師にならない。しかも塾の講師になる。当時はあまり例がない選択をした私を理解してくれる人はほとんどいなかった。いや、今塾人として付き合ってくれている友人の中にも「馬鹿な選択だった」と言ってくれる人さえいる。

教師にならないと伝えた時、母親は泣き、父親はキョトンとした。東京で4年も生活した後で群馬大の教育学部に入学した私。だいぶ遠回りしたとはいえ、その4年後には教師になるであろう息子の将来に、母親は何の疑いも持たなかったに違いない。当時話題にすることさえ無意味な「当然の」道だったのだから。父親は大学が4年で卒業するものということすら知らない人だった。(まあ、その事実を知ったとき、さすがの私も愕然としたが。)

地方大学の教育学部は教員養成のためにある。そんな当たり前のことに私は疑問を感じていたのかもしれない。そういえば、大学3年生のゼミ授業の時に、何故この学科を選んだかという話題になった。ある友人が「教員になれれば良いと思ったので」と答えた。その答えを聞いた瞬間、どうしようもない憤りを感じたことを今でも鮮明に覚えている。(「教師にさえなれれば良いのか。オマエは。」)勿論、口には出さなかった。それが平均的な答えであることくらい、私だって知っていたから。でも、友人の答えは私にとっては許せないものだった。彼の言う「教師にさえ」という言葉は、将来が保証されている安定した仕事という意味に聞こえ、決して体当たりで子供達と向き合う熱い仕事という意味には聞こえなかったからだろうか。勿論、今なら分かる。一見不純な動機で教師になっても、そんなことでは続けられない仕事であることくらい。逆に理想に燃えていたからといって、それだけではやってゆけないことくらい。私だった大人になってからだいぶ時間が経っている。安定した仕事を持ち、家族を養う。それのどこが悪いのか。少しも悪くはないし、おかしな事でもない。それが大学3年生の私にはどうにも納得できないこととなっていたようだ。「まあいいじゃないか」というレベルを遙かに超えていたのだ。

そんなこと言うのなら、地方の教育学部は何のために存在して欲しいと思っているのだ、とは聞かないで欲しい。これも私には難し過ぎる質問なのだから。

親の金で大学生活を送っていたら、親の言いなりになっていたことは間違いない。でも、私はそうではなかった。他人よりも4年(あるいはそれ以上)親孝行のスタートが遅れるかもしれないという「負い目」はあったものの、経済的には全く親に頼っていないという「強み」があった。「負い目」と「強み」の混沌たる混在。その強みの方を生かして、大学卒業後は自由にさせてもらうことにしてしまったのだ。何の見通しもたっていなかったが。

人を褒めるときには本人に直接ではなく、間接的に伝わるようにするのが良い、と言われている。当時の塾長が塾生に語った「齊藤君は名を捨てて実を取ったのだ。」という言葉が私まで伝わって来たとき、ジーンときた。当時、理解してくれている人が皆無だった私は、その言葉でイチコロになってしまったようだ。

いとこに東大医学部(理Ⅲというところ)を出た人がいる。その事実は時々話題に出して利用させてもらっている。彼の父親(つまり、私の伯父)だけが「塾の先生もいいんじゃないかなあ。」と私の父に言ってくれていたようだ。その言葉を聞いた父は長い「キョトン」の時期を脱して父なりの理解の仮設していったらしい。

どうして学校の教師にならなかったのか。どうして塾の先生になったのか。
どうも4年間の東京での生活が影響しているようだ。3年半は予備校の事務。残りの半年は予備校生。予備校と世田谷梅ヶ丘の図書館通いでの追い詰められた生活。

大学3年時、教員採用試験のくだらなさを力説していた私に、何かを言って来る友人はほとんどいなかった。一人だけ私のことを可哀想に思ったのだろうか。「確かに採用試験はくだらない。でも、そもそも試験なんてそんなものだ。腹を立てるようなものではない。いっときは既成の制度の言いなりになっているようなフリをしてやって、中に入ってから改革でもなんでもすればよい。」と言ってくれた友人がいた。一人だけ。

日本に一人くらい私のような考えの人間がいたってよいと思う。有り難いことに好きな仕事をしてなんとかここまで生き延びて来ている。人生が3度くらいあれば、そのうち1回は教師になっていたかもしれない。だから、変人度も大したことはないと自分では思っている。

最後まで読んで頂き感謝します。ここまで語ったことは初めてです。「分かるなあ、あなたの気持ち。」と言われても傷つき、「よく分からないなあ。変わった人だねえ。」と言われても傷つき、「へえー、苦労したんだねえ。」と言われても傷つきます。厄介です。ただ、読んで忘れて頂きたいと思います。勝手でごめんなさい。

続きはまた書きます。今日はここまで。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

2019年合格実績
前橋高校1名、前橋女子高校1名、高崎高校2名、高崎女子高校2名、群馬高専2名、新潟大歯学部1名、中央中等1名(その他・過年度分は下のホームページからどうぞ)

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