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鬱積(うっせき)したものは、はけ口を求める

特に、社会に対して居心地の悪さを感じている人は、様々な不満などが鬱積(うっせき)してくるようだ。
自分は何が不満なのか、そのことに自覚的なうちはまだ問題は小さいと言える。自分自身の頭の中で言語化されている間は、まだなんとか整理ができているのだろう。

それが、「何だか分からないが不満でしかたない」という状態になってくると、危険水域に入ったと言える。

説明不可能な鬱積した不満が、発酵し始めてきた状態。発酵しながら自己増殖し続けている。

鬱積し、自己増殖した不満はそのはけ口を求めるようになる。そして、このはけ口は「必ず」人でなければならないようなのだ。人をはけ口として利用するときにだけ、鬱積した不満は初めて解消される。

だから、何だか分からない不満を持っている人は、そのはけ口対象となる「人」を探すようになる。

その人は「誰でもよい」。

通り魔的事件のように(一見)無差別になる場合もあるだろう。果たして、これが純粋に「無差別」と言えるかどうかは難しい問題だが。

はけ口として狙われた人に、明らかな「落ち度」がある場合には、鬱積していたエネルギーが爆発的に溢れ出してしまう。攻撃されても仕方のない程の「正当な理由」が存在するのだから。
「正当な理由」があって攻撃する場合には罪の意識がなくなる。だから、後ろめたさなどはゼロ。むしろ、人として同然の行為をしているという意識になる。正当な行為。

はけ口とされた人の「落ち度」は、多くの場合とても些細なことだったりする。それなのに、攻撃する側のエネルギーは溢れ出したら止まらない。次から次へと後を追うように溢れ出て来る。それは、鬱積していたものがなくなるまで続く。

私の、いじめの構造仮説。

あくまで仮説だが、これで説明できることは多いような気がするのだが。

「分かって欲しい」型いじめ



自分が如何に苦しいかを分かって欲しい。

誰でも良いから、この苦しみを分かって欲しい。

そして、全く無関係の人をいじめる。
いじめやすい人をいじめる。

「オマエはいつも呑気にしているから、私の苦しみは分からないだろう。
だから、分からせてやる。
オラオラ、苦しいか。
私は普段からこんなに苦しい思いをしているんだ。オマエ、少しは分かったか。」

パンパンに張りつめたストレスの爆発には違いない。
でも、それだけではない。

「分からせたい型いじめ」

そんないじめがあるように感じる。

人間はそれほど社会的動物なのだと思う。

通り魔的事件にも通ずるものがあるだろうか。

土下座

店員や店長、駅員などが接客等に不満がのある客から、土下座を強要されるという事件が増えているらしい。

その多くのケースでは、接客の不手際等は単なる引き金であって、客自身の方に多くの原因があるようだ。

孤独や職場でのストレス。

なんと、接客業の人もいたとか。

土下座の強要は、抱え込んだストレスの単なるはけ口。

これでは、同様なことが「負の連鎖」という形で広がりかねない。
いや、実際広がっているに違いない。

これって、いじめの構造と全く同じ。

大人も子供もストレスを抱え込んでは、自分より弱い人をターゲットにしてそのストレスを発散させているのが実態。
発散させる相手は人でなければならない。バケツを蹴とばしたのでは、十分には発散できないのだ。
だから厄介なのだ。連鎖しかねない。

パンパンにたまったストレス。それは出口を求めて張りつめている。だから、ちょっとしたきっかけさえあれば、一気に爆発してしまう。しかもそのきっかけは、発散させる者の目には如何にも「正当な理由」のように映る。

発散させる口実を求めている人にとって、弱い人の失敗は「救い」となる。発散させるに足る「正当な理由」が見つかったのだから。土下座を強要しながら、ほっとしているに違いない。次なる臨界点が訪れるまで、しばらくは楽になれるのだから。

さて、

もっと怖いのは、ストレス発散には弱い相手の失敗すら要らないケースもあるということ。一見幸せそうな生活をしていることそれ自体が引き金になることもあるということ。これについては、今日は触れない。

雪は降りませんでした

今日は雪を覚悟していましたが、降りませんでした。

儲けた気分です。

降らなければ、それが「当たり前」になってしまいます。
それではダメ。

愚痴ばかり言っている人は、自分の幸せな部分を「当たり前」に放り込んで、手に入らない部分にばかり固執する。自分の境遇がいかに幸せかを自覚できていない。そんなことばかりやっていると自分の心を傷つけているだけで何にもならない。
まあ、欲が深いのですよね。欲が深い自分のことをあたかも向上心があるかのごとくに思っている。残念な人です。
以上、反省を込めて。

もうひとつ。

自分が絶対的優位に立っている時に相手をあざけること。
これはとても、みっともない。
弱い人間のすること。
「いじめ」ってそれです。
でも、
いじめる側に鬱積したものがあるときには、劣位の相手は恰好の「標的」になります。いじめは理不尽です。そして、理不尽ないじめでなければ、いじめる側の鬱積は解消されない。だから厄介です。理不尽そのものにいじめの本質があるのです。

恨み。

恨みは連鎖します。尊厳を傷つけられ、プライドをズタズタにされても報復しない。「それでも神経があるのか。臆病者」と言われても報復しない。それができれば・・・。
本当に本当に難しい問題ですね。

さて、高校受験生は全国の過去問への取り組みです。

長(おさ)

事情があって、ある学校に入学するまでに何年もかかった人がいた。クラスの仲間よりも数年遅れての入学だった。

彼はクラスの仲間から「長(おさ)」と呼ばれたいた。誰が初めにそう呼んだのかは定かではない。ただ、多くの仲間達がそう呼んだところをみると、それは彼にふさわしい呼び名に思えたのだろう。年長者に対する敬意もあったろう。自分が彼よりも何年か人生を先行している(彼のように遅れてはいない)という優越感もあったろう。様々な感情が、たぶん緩く絡まって「おさ」という呼び名は自然に浸透していった。

明らかに言えること。

それは、仲間からひとりだけ「おさ」と呼ばれてしまっている彼の気持ちに寄り添えた人がいかなったということ。彼が、二度とない学生生活を仲間と送るときに、ひとりだけ特別扱いされていると感じ、夢にまで見た学生生活に水を注されたという悔しい感情を持ってしまったということ。学生生活にたどり着くまでの彼の数年に、思いをはせることのできる仲間があまりいなかったということ。

その容姿から「長老」と呼ばれた人がいた。

もう、同じ説明は不要だろう。

「爺さん」と呼ばれた人もいた。

同じ。


昔々、人づてに聞いた話。

いじめは中高生だけにあるのではない。
軽い言葉、さりげない言葉、ほとんど意識していない言葉の中にいじめがくっついていて、日々特定の人の心をチクチクと刺し続ける。毎日毎日。

「おさ」はある人を「長老」と呼び、「長老」は別の人を「おさ」と呼んでいたりもする。
ほとんど意識せずに。

本当に本当に気をつけたいものだ。

傷ついた経験のある人から直すしかないのかもしれない。

プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

【遠方の方も吾妻線を利用して、土日、祝日中心に通っている塾です。長時間の個別演習形式で鍛えて結果を出しています。お気軽にお問い合わせください。】

合格実績(2012年~2020年までの合計)前橋高校4名、前橋女子高校8名、高崎高校5名、高崎女子高校7名、群馬高専5名、渋川高校20名、渋川女子高校17名、高経附高校3名、前橋育英S4名(中学受験については初年度からの合計で中央中等8名、佐久長聖中8名それぞれ合格、大学受験については、群馬大、埼玉大、茨城大、信州大、新潟大、静岡大、早稲田大、慶応大、津田塾大、東京女子大、明治大、法政大、成城大、東洋大、獨協大等多数合格・詳細は下のホームページからどうぞ)

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