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給食クラシック

最近、無性にクラシック音楽が聴きたい。

何故だか分からない。
心が疲れている? まさか。
やっと大人になれたか? ん?

そもそもクラシック音楽など聴いてこなかった。
高校の音楽の時間に、先生に解説して頂いたベートーベンの『運命』には感動したが。

何故、いまクラシックなのだ。分からない。

でも、遠い記憶の中に大量のクラシック音楽が蓄積されていることに気づいた。
それは、小学校、中学校時代の給食の時間の音楽。

当時、放送室にストックしてあったレコードはその大半がクラシック音楽だった。
給食を食べながら、聞くとはなしに聞いていたクラシック。
どうも、それらが浮上してきているようなのだ。

多分、潜在意識だか何だかの中に染みついているのだろう。
毎日の給食の時間に繰り返し繰り返し聞いたクラシック。
どうもクラシック音楽には何かがあるようだ。
子供にクラシック音楽を聴かせると頭がよくなる、と誰かが言っていたのを思い出した。

戻れるところがあるというのは幸せなことだ、と思う。
ポップスやロックに疲れた年齢になったから、クラシックに戻ろうとしているのだろうか。

日本人は年齢を重ねるにつれた和食に戻ってゆくようだ。
若いころは洋食の方が食べた気がするのだが、徐々に重い食事を体が受け付けなくなる。
そして、ご飯とみそ汁を中心とした和食に帰ってゆくのだという。
「戻れるところ」のある日本人は幸せなのだという。健康食として世界が認める和食に戻れる日本人。
だから、日本人にはあまり極端に肥満な人はいないし、長寿なのだと誰かが言っていた。

そうかもしれない。

若いときには分からないが、戻るところがある人は幸せなのだ。

日本語の主語

実力テストの文章で、日本語にはそもそも主語がない旨の一節に出合った。

わが意を得たり、と思った。

「私がゆく」の「私が」は主語。
「(私は)あなたが好き」の「あなたが」は対象を表す、とされている。

こういう説明に違和感を持つのは私だけではないかと思う。
(塾の指導者としては定説にしたがって教えるのは当然なのだが。)

「格助詞『が』には様々な意味があってこの『が』は主語を表す」などと言ってしまっては味わいがなくなる。上の二例でも、「が」はその直前の単語(つまり、「私」や「あなた」)を際立たせているという役割を担っている。役割は同じ。さらに強調したい時には「は」を用いることになる。

それだけのことだと私は思っている。

日本語の文章ではしばしば主語が省略される、ともよく言われる。省略と言われれば確かにそうなのかもしれないが、そもそも「主語」という概念自体が曖昧だったのだと私は思っている。あるいは、そもそも主語というものに対する関心が薄かった。

古典の問題では、主語を答えさせる設問がよく見受けられる。内容理解が曖昧だと答えられないから良い問題だともいえる。しかし、古典ではそもそも何故これほどまでに主語が示されないのか、ということが話題にされることはまれだ。後世の人が解釈に迷うほど何故主語を示してないのか。

私が思うにそもそも主語という感覚が乏しかった。だから主語を示す必要性もあまり感じていなかった。それが普通だったから、読者も何の不便も感じていなかった。

主語という感覚が日本にもたらされたのは、外国語が本格的に入ってきた明治以降なのではないだろうか。何の研究もしていない私がその直感だけで、問題提起をするのは危険すぎるのでこのくらいにしておくが。

格助詞の「が」は周りから少し際立たせる役割をもっている。ただ、それだけ。
分類しすぎると味気なくなってしまう。
古典も味わい重視でゆくなら、今とは別のアプローチもあるかと思う。

日本語は人を指し示すことを嫌う言語だと思う。明治までは本名まで伏せていたりしたのだから。これが言霊思想と関係しているかは知らない。英語圏のようにファーストネームでは呼ばす苗字で呼ぶ。できれば役職で呼ぶ。できるだけ遠回し。

日本人はダイレクトに指し示されると、突き刺されたような痛さを感じるのかもしれない。

「〇〇様におかれましては」などは典型かもしれない。〇〇さんが、などと動作主をストレートに示すことを嫌う。「場所」で表す。そういえば、名前や家の代りに場所名を使うことは昭和初期あたりまではかなり見かけられたようだ。

敢えて示さなくてもお互いに分かりあえるのが日本人。いや、分かりあえていないかも知れなくても、分かりあっていることにしてしまうのが日本人。「そうだよなあ」と相槌を強制された瞬間に相手の仲間にさせられてしまう。
言うまでもなく、こういう空気感は時として危険をはらんでいる。もちろんだ。

昔の話。
東京でタクシーに乗ったら、野球のナイトゲーム中継がラジオから流れていた。
「勝ってますか?」と私が聞くと。「勝ってる、勝ってる、5対1で。ピッチャーが〇〇だから今日は大丈夫じゃあないの」
これで会話が成立した。東京では大多数が巨人ファンという大前提があった時代の話。

大学教授

齊藤塾の近所の方で、中卒で大学教授になられた方がいます。専門は「シダの研究」。
そういえば、昔ボクシング選手で、東大教授になられた方もいましたね。
なかなかユニークで素敵です。

学問的興味だけで突っ走ってしまうような人。
個人的には大好きです。
ぺりルマンのような人。

誰?という方はお調べください。

この2、3年、理科系の研究者の抱える問題を考えさせられる機会が増えましたね。
膨大な研究費の捻出に皆さん苦労されている。
産学共同。
ノーベル賞をとったある教授の最大のお客さんは米国政府だとか。

そういうものなんでしょうね。

いったい私は何が言いたいんでしょうか。「本音」ブログのはずなのに・・・・。



明日は雪にならないことを祈りつつ。
インフルエンザがこれ以上広がらないことを祈りつつ。


今日も受験生は自らと厳しく対峙してゆきました。


塾生の通知表集計です。1人追加です。合宿等で提出できない塾生がいるので、最終集計は1月10日頃になります。それまでは、通知表関係の塾生自慢はお休みします。

[集計結果]

オール5、またはオールAの塾生・・・10名
あと1ポイントだった塾生・・・2名
あと2ポイントだった塾生・・・4名
あと3ポイントだった塾生・・・3名

今日は入塾のご予約を頂きました。習い事等の関係で2月から、或いは3月から通塾したいという方には、入塾予約を受けつけています。まだ迷っている方は今しばらくお迷いください。

『こころ』



夏目漱石はちょうど100年前の人だ。

代表作『こころ』は朝日新聞の連載小説だった。

その長編小説の大部分が、「先生からの手紙」という体裁をとっている。
長編の大部分が長い長い手紙で構成されているという不思議な小説。

「先生」の衝撃的な告白へと続くにせよ、なんだかその「手紙」の長さがやたらと気になる。研究者によると、『こころ』の連載への反響があまりに大きく、どうも少し「ひっぱった」ようなのだ。新聞社の意向だったのだろうか。読者の反響が大きい連載小説が続く限り新聞が買ってもらえる。そんなことでストーリーの長さが変わるのか、そもそもストーリー構成を考えてから書き始めていたのではないのか。様々な疑問が浮かび上がる。

日本を代表する作家の、さらにその作品群の中でもトップ人気になろうかという小説の長さがそんなことで決められていたとは。勿論、真実は分からない。あくまでも研究者の説なのだから。

少しでも早く小説の続きを読みたいと、ワクワクしながら朝刊を手にしていた人が沢山いたであろうことは紛れもない事実だ。100年前の日本。まだ、ラジオ放送も始まっていない。勿論テレビも。

当時、新聞小説を読むということはリアルタイムで進行する生まれたてのストーリーに接する刺激的な行為だったに違いない。100年前の日本人は情報の大半を新聞や雑誌で得ていたのだろう。そして娯楽のかなりの部分も活字によって得ていたのかと思う。だから、小説家は憧れの職業。

活字を読むという「自主的な」行為でしか情報を得られないわけだから、自然に読む力は鍛えられたろう。当然だ。人間は好奇心の塊だ。やることがない時でもその好奇心を満たそうとする。

今の私達は読む習慣が衰え、それと並行する形で考える力までもが衰退しているとしたら、これは深刻などという言葉では表現できないほどの問題だ。

そういえば100年前の日本人は、漢文の一節を前提とした会話が普通に成り立ったという。本当なのだろうか。日本人共通の素養として、ベースに論語など知識があり、それを前提にして(解説不要で)話が展開したという。今では信じられないことだが。英語教育が重視されるに従って、漢文教育は急速に衰退していったようだ。

果たして、英語は漢文に変わりうる素養となれているか。

かさねちゃん

突然ですが、古文です。

・・・

農夫の家に一夜を借りて、明くれば又野中を行く。

そこに野飼の馬あり。草刈る男に嘆きよれば、

野夫といへどもさすがに情けしらぬにはあらず、

「いかがすべきや、されども、この野は縦横にわかれて、

うひうひしき旅人の道ふみたがへん、あやしう侍れば、

この馬のとどまる所にて馬を返し給へ」と貸し侍りぬ。

小さき者ふたり、馬の跡したひて走る。

一人は小姫にて名を「かさね」と言ふ。

聞きなれぬ名のやさしかりければ、

かさねとは八重撫子(やえなでしこ)の名なるべし
曽良

やがて人里に至れば、値を鞍壺に結び付けて馬を返しぬ。

・・・

この文章を初めてお読みの方も、途中の「曽良」の句を見た瞬間に「奥の細道」の一節だと気づかれたと思います。奥の細道「那須野」の大部分を載せてみました。

奥州まであと一歩のところまで来た芭蕉たちですが、今一つ道に自信が持てない。「野夫」に懇願すると、「この道は縦横に走っていて慣れない旅人が道に迷ってはいけないので、この馬に乗っていって、馬が止まったところで馬を返してください」と言い、馬を貸してくれたというのです。地元の馬だから道を知っている、ということなんでしょうね。

ところが、子供が二人彼等の後をついて走ってくるではありませか。
いきいきとした表情で、目を輝かせて。
旅人などめったに来ない土地なのでしょうか。子供って見知らぬ人が好きですよね。珍しい人が好き。小さな男の子と女の子が息をきらせて、トントンと走りながら芭蕉たちを追いかけてくる。力いっぱい走って、珍しい旅人の乗る馬を追いかける二人の幼児。

そして、芭蕉たちは女の子の方の名前を聞きだしているのです。

かさねちゃん。

きっと、他にもいろいろなことを聞いたのでしょうね。
勿論、「いくつ?」なんてことも。

かさねちゃんたちも芭蕉たちに向かって、「おじちゃんたち、どこから来たの」とか「どこへ行くのとか、よくある子供達の素朴な質問を連発したのかもしれません。

江戸を発ってしばらくして、いよいよ奥州目前。気持ちも引き締まるが疲れも出てきている。道に迷いそうな芭蕉たちを親切な「野夫」が助けてくれる。そして、屈託のない子供達との会話でしばし心が和む。「奥の細道」で子供が出てくる場面が他にあるでしょうか。きりっとした文章がつづくのですが、何かほっとする場面ですね。

とまあ、素人解説をお読み頂いたのですが、ちょっと本文に戻って頂きたいのです。
つまり、子供が現れた場面。

「小さき者ふたり、馬の跡したひて走る。
一人は小姫にて名を「かさね」と言ふ。 」

のところです。

たった二行。かさねちゃん達との会話云々は私が勝手に想像したものです。

感動する文章とは、感動の部分は読み手がイメージを自ら膨らませて、その自ら膨らませたその部分を味わっているのです。芭蕉の文章は引き締まっている。無駄がない。きりっと締まっている。余計なものをそぎ落としている。だからこそ読み手のイメージがグングンと膨らんで、そのイメージの世界に浸れる。「奥の細道」が読み継がれているわけが少し分かってきたような気がします。

かさねちゃんの登場するこの場面。
子ともがちょっと登場するだけのこの場面ですが、イメージが膨らんで大好きです。



プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

【遠方の方も吾妻線を利用して、土日、祝日中心に通っている塾です。長時間の個別演習形式で鍛えて結果を出しています。お気軽にお問い合わせください。】

合格実績(2012年~2020年までの合計)前橋高校4名、前橋女子高校8名、高崎高校5名、高崎女子高校7名、群馬高専5名、渋川高校20名、渋川女子高校17名、高経附高校3名、前橋育英S4名(中学受験については初年度からの合計で中央中等8名、佐久長聖中8名それぞれ合格、大学受験については、群馬大、埼玉大、茨城大、信州大、新潟大、静岡大、早稲田大、慶応大、津田塾大、東京女子大、明治大、法政大、成城大、東洋大、獨協大等多数合格・詳細は下のホームページからどうぞ)

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