中央中等適正検査問題をみていると、「リーダー養成学校」が何を求めているかがよく分かります。
高速情報処理と周りの人達を説得して引っ張る力。
与えられた文章を限られた時間で正確に理解する。
そして、聞かれたことに対して「ど真ん中」の答えで勝負する。
勝手に自分の得意領域に引き込んだり、あらかじめ用意しておいた分野の話題を流し込んだりした人は即アウトですね。
言うまでもありません。
柔軟な対応力はリーダーにとって必須スキルでしょう。
では、これをどうやって養うか。
最初から高速処理を目指すのではなくて、まずは「正確さ」を重視する。
そして、徐々にスピードを上げてゆく。
この手順を踏むのが良いと思います。
スピードを重視しすぎるあまり、雑に処理するクセがつく。
このことだけは避けたいものです。
正確さが先。
次に高速処理へ。
中央中等教育学校などの適正検査対策をする上で一番注意して欲しいこと。
それは、
言葉はなかなか伝わらない、ということ。
これは、面接でも作文でも同じ。
この最大の原因はトレーニング不足なのですが、まあ小6生が経験不足なのは仕方のないこと。
何の経験が不足しているのか。
勿論、「言葉は伝わらない」という経験。
一番伝えたいことなのに、それには一回だけ触れただけで終わり。
後はどうでもよい付け足しで余白を「埋める」。
小6生の書く作文はそんなのばかりです。
読者はキョトンとしているのですが、それに気づけない。
一番伝えたいこと、大切なことは繰り返す。
角度を変えて言い換える。強さや表現を変えて説得する。
600字程度の作文で伝えられることはひとつ。
そのひとつを伝えるために、話を丁寧に積み上げ、言いたいことは畳みかけて読者を高みにまで連れて行かねばならない。
これは基本中の基本です。
それなのに、トレーニング不足の子は、この根気のいる作業をほとんど端折って「ひとこと」で終わってしまう。
それで、伝わった気になっている。
「書いたから伝わっているはず」とでも思っているようだ。
そんなことはないということを体験させねばならない。
できるだけ早い時期にガツンと体験させるべき。
目を覚まさせる必要がある。
書物を読み込んでいる子には、そんな話もほとんど不要なんですが。
読書好きの子の作文は深みが違います。
中央中等教育学校の授業スピード。
例えば、中2の数学で言えば、2か月弱くらいは進んでいますかね。
地元中学の2年生では、第2章(連立方程式)の計算練習あたりをやっています。これに対し、中央中等では第3章(一次関数)の応用も後半部分の演習中心の授業を進めています。
スピードだけではありません。その内容も中央中等では応用中心となります。中央中等は「受かって終わり」ではないのです。当たり前ですよね。大学入試を目指して6年間の厳しい学習を積み重ねることになるのです。
地力のある生徒にとっては、刺激たっぷりの最高の楽園となります。地力不足の生徒にとってはつらい毎日になります。だからこそ、中央中等受験生は適性検査対策だけではなく、目の前の小6の学習で十分な演習を重ねておくことが求められるのです。
気持ちよく書けた作文。
得意満面で筆が動いた文章。
これらは、とても危険だ。
文字の形で表現された文章は、「読んで頂く」というスタンスが基本だ。
独りよがりの文章。
そんなもの、読まされる方はたまったものではない。
中央中等入試の適正検査問題で書くべき文章の話。
「試験官の先生は一度しか読んでくれない」というつもりで答案を書くべきだ。
何度も何度も読み返してはくれない、ということ。
試験官の先生は、大量の答案を短時間で採点せねばならない。
だから、意味不明の答案は最初からはじかれる。つまり、最初から土俵にすら上げてもらえない。そして、独りよがりの答案は得てして「意味不明」答案に分類されることが多い。
それはそうだろう。一方的視点でしかものを見ていないから「独りよがり」答案が書ける、というもの。一方的だから、書いていて気持ちよい。これが危険だというのだ。客観的視点が抜け落ちている文章。これが一対一の会話なら、相手の質問に答える中で徐々に自分の考えの輪郭を伝えることも可能だ。しかし、答案の形になっている文章では、これができないのだ。だから、絶対に誤解されない文章にせねばならない。一度頭を冷やして客観的視点から自分の文章を眺めてみること。場合によっては批判的視点からも。しかも、限られた時間で。言うまでもなく、オシャレな脚色は少ない方が良い。無駄に文字数を使うし、論点もボケる。
良い答案は、見た瞬間に輝いている。
試験官の先生が、見た瞬間に「おお!」と声を上げるくらいに目立つ。
第一印象で「この子の答案は他と違う」と思えるほどに輝いている。
どこがどう輝いているのか。
それは、次の一点で他の答案と違っているだけなのだが。
「自分の頭を使って悩んだ形跡がある」
この一点。
つまり、大人が期待するような答案をイメージして「それに合わせて」書いた文章ではない、ということ。
「自分の頭で考えた文章なんて、誰にだって書けるのではないか」
いや、書けない!
小6の児童が、ある課題について自分の頭を使って、ああでもないこうでもない、と思いをめぐらす。そして読み手に伝わるように、その思考過程及び何等かの結論を誤解なく伝えられるよう言葉を選んで文章化する。こんなこと、大半の小6生には無理だ!
そんなトレーニングはやったことがないのだから。
小6生は大人への入口に立ってはいるが、大半の人はまだまだ発想が子供のままだ。だから、何の指導もせずに自由に過去問を解かせると、ほぼ同一の文章を書いてくる。
大人の期待を先回りした「おりこうさん」の作文だ。
実は、この「おりこうさん」作文は子供にとっては一番ラクな「逃げ道」なのだが、本人達はそれに気づけない。完全な逃げなのに、本人は「そこそこ良い文章が書けた」と大いなる誤解に浸ったまま試験会場を後にすることになる。
苦しんで書いた文章でなければ、輝いていない。
自分の頭を使って悩んで書いた文章だけが、他の答案より頭一つ出る。
それを教えることがスタートラインなのだが。
また、書きますね。
中央中等入試の適性検査で「話し合い」を企画させる問題がよく出ます。
リーダ養成学校ですから、当然ですね。
適切な指導を受けていない受験生だと、これも書けません。
基本が分かってないから。
基本とは何か。
リーダーの提案によって、他の児童達が「動ける」こと。
何をどうすればよいのかを、周りの友達が理解し直ぐに行動できること。
一般的児童はどんな答案を書くか、
「一人一人に提案させる → 一つ一つの提案について、賛成、反対の意見を求める →最も支持された提案に決める」
以上!
みたいな感じになります。
どこが、ダメか。
一人一人に提案させる、って挙手させるのですか。指名するのですか。カードに書かせて集めるのですか。それが見えない。
賛成、反対の意見を言わせる、って意見が出なかったらどうするのか。皆が押し黙っているな中「誰か意見はありませんかあ」と連呼するんですか。
最も支持された提案に決める、って、挙手させて多数決なのか。
そんならそうに書かないと相手には伝わりません。
周りの人達が動けるように提案しなければダメなんです。
自分達の行動が「見える」ようにすること。
こんな当たり前のこと。実は、小6生にはハードルが高いのです。
それは、あまり経験がないからです。
はやり、適切なトレーニングを積んで準備しておく必要があるのです。
リーダーは人が動きやすいような提案をする。