ご褒美について

本日1名、体験即覚悟の入塾。
有難うございます。
期待以上の結果を出しましょう!

さて、

久々に今日はご褒美の話を確認しておきましょう。


・・・・・

ご褒美がはやっている。

はやっているという言葉は、以前はそれほどではなかったものが今では際立っていて多くの人々が取り入れている、ということを意味している。

家庭でも学校でも、子供達はご褒美を貰い慣れしてきている。

「評価は形にして表す」

このことが当たり前になってきているようだ。
賞状や商品、時には図書券。

ご褒美で子供達のモチベーションは更に上がる、ということなのかもしれない。

さて、

ご褒美をもらうことで、人は少し「不自由」になる。

この事実を、多くの大人は分かっていない。

人はご褒美をもらうと、知らず知らずにそのご褒美に縛られている。
ご褒美は貰えるものなら、もらいたいと普通は思う。他の人が貰っているのに、自分だけ貰えないのは悔しい。また、普通、他の人のご褒美よりも良いご褒美を貰おうと頑張ろうともする。

子供達は、何をするにも、それを始める時から大人からのご褒美が視野に入ってしまっている。

かすかな期待。

これが、いつの間にか当然の「権利」に変身していなければ良いのだが。

「それで頑張ってくれるのなら」
と多くの大人は思っている。

ご褒美に縛られることに違和感を持たない人は、いつの間にか「不自由」になっていることに気づけない。

縛られているということは、不自由であるとういこと。
つまり、自立していないということ。

自立できない人は自分で自分の人生を歩めない。

子供の自立を妨げる行為が教育的であるはずがない。


「そんなに面倒に考えなくてもよいのでは。子供達のモチベーションも上がるのだし」

という声が聞こえて来そうだ。

私は、

これは小さな問題ではないと考えている。
大人達が真正面から向き合うべき深刻な問題だと考えている。

「お手伝い」再考

本日、体験入学のご予約を頂きました。
ありがとうございます。

また、今日が通塾初日の塾生も長時間の学習を難なくこなしました。
タフな小学生が急増中です。

さて、

今日は、お手伝いの話の確認。

家のお手伝いはさせるべきです。
「任せる」形で。つまり、責任を持たせる。

それが、家族という最小単位での社会で生きてゆく自信につながります。その自信が外の社会に出てゆく勇気になります。

このお手伝いに「報酬」を支払うのは如何かと思うのですが。報酬を払った瞬間にその意味合いが全く違ってきてしまいます。

家族という小さな社会の中で生きてゆくには相応の役割がある、という当たり前のことをするだけです。

このような考えは、最近理解されなくなってきていると感じています。

感謝を形で示す意味でも「報酬」は必要なのだと考える人が急増中のようです。

どうなんでしょうね。

土俵上で倒れた市長に心配蘇生した女性が、表彰状を固辞したとか。
表彰状を受け取ることで、意味合いが異なってくるような気もしますしね。

お手伝いの問題にも通ずるものがあるかな。

モチベーションは自分で上げるもの

モチベーションは自分自身で上げるもの。

他人に上げてもらうものではない。

何等かの「モチベーション上げシステム」のようなものに頼ること自体がおかしいのだ。

モチベーション上げを自分自身の「外部」に求めていること自体、モチベーションというものが分かっていない証拠。
そのことに気づていないのもまた深刻だ。

どこかにモチベーションを上げるのが上手な人がいる。
誰かがモチベーション上げの秘密を知っている。

でも自分はそれを知らない。

だから、

その誰かを探したい。
できれば、その誰かが自分のモチベーションを上げに来てくれることを期待している。

そんな風に考えている。


受け身の人にモチベーションが上がる日が訪れることは無い。

絶対にない。

モチベーションは自分で上げるものだから。

では、どうするか。

まずは自己流で。
失敗を繰り返しながら少しずつ前jに進む。
でも、自立的になった時点で既に結果は約束されている。

いや、もう半分位達成されている。


創造性と丸暗記


何かを丸暗記すべき時には、ストーリーで覚えたり、何かのイメージを作り上げて結びつけて覚えたりします。

この時の脳の働きは人が想像力を働かせる時と同じではないかと思うのです。

一見対極にあるように思える丸暗記と創造性。
結構距離が近いのではないでしょうか。

教育に携わる人の多くが創造性という言葉を安易に使い過ぎます。
何の定義もせずに何となく「創造的」「創造力」という言葉も使っている。

よく、

「創造力豊かな作品に仕上がった」
「授業は創造的であるべきだ」
「彼のように創造性豊かな仕事をしよう」

など、良く聞かれます。
正論なので反論する人はいない。
でも、雰囲気だけ。

じゃあ、この場合の「創造」ってどういう意味かと問われて答えられるのでしょうか。

私には、結果を見てからそれを評価しているだけに思えます。
成功者が結果を出したのを見てから「何故成功したかというと、ここで創造性を発揮して・・」などと。
創造的なのは結果。

何かを創造するのは産みの苦しみ。
丸暗記も同様に苦しい。

それにしても、

言葉の定義が曖昧なまま使っている人が多いようです。


さて、新学期がスタートしてすぐに実力テストがありますね。
春期講習の成果が試されます。

錆びついたねじを動かす術

今日はこの話の確認です。

錆びついて動かなくなったネジを動かす術。

昔の人は知恵がありましたね。

錆びついた部分にわずかに油を染み込ませ、しばらく置いておく。
そして、少し動かしては様子を見る。

これを繰り返す。
決して無理はしない。ネジの声を聞きながら、少しやってみては様子を見る。

すると、

動かないはずのネジが動くことがあるのです。

知恵とはそういうものなんでしょう。

決して焦らない。
焦らないが諦めることもしない。
淡々としている人は、だから強いのですね。

動かないはずのネジが動いた時の感動は、その人自身のものです。
他人の評価などどうでもよい。



さて、

今日は、2名覚悟の入塾。
有難うございます。

ご家族の期待。
本人の覚悟。

必ずこの期待と覚悟に応えます。
プロフィール

齊藤塾塾長 齊藤茂

Author:齊藤塾塾長 齊藤茂
渋川高校卒業後、代々木ゼミナール(教務課)に3年半勤務。4年目の9月より浪人生活を送り、翌年4月に群馬大学教育学部に入学。卒業後、藤岡市、前橋市の大手進学塾にて前高、前女、高高、高女進学コース、附属中クラスなどを担当。平成9年に出身地の東吾妻町矢倉にて齊藤塾を開塾。以来トップ校受験生の指導にあたる。

齊藤塾合格実績・・・前高、前女、高高、高女、高専、渋高、渋女、高経附、佐久長聖中、中央中等、樹徳中、埼玉大、新潟大、群馬大、静岡大、高等工科他

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